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山本二三展に行ったら、世界がジブリになった話。


2019.07.27
山本二三展に行った。

わたしは子どもの頃からジブリが大好きで、
お気に入りの作品なんかは、
初めて出会ったその日から今日まで、
それはもう何回も何回も見た。

ジブリの作品は、何回見ても面白い。
幼心に感じた純粋な「好き。」は、
何度も何度も形を変えて、
歳を重ねるたびに、新たな魅力に気付かせてくれる。

小さい頃にはわからなかった、
歴史的背景や物語の本当の意味、
構図に秘められた感情や意図を知るとさらに魅了され、
スタジオ・ジブリの作品づくりに対する熱量に感服する。
ジブリ作品が子どもから大人まで
たくさんの人に愛される理由のひとつだと思う。

山本二三さんは日本のアニメーション美術監督で、
多くのジブリ作品の背景画を長年担当されてきた方だ。
宮崎駿作品として有名なルパン三世「カリオストロの城」をはじめ、
「天空の城ラピュタ」「耳をすませば」「もののけ姫」など...。
手掛けてきた作品はどれも、日本のアニメーションを代表する作品ばかりだ。

とくに、雲の表現はとても独特で、「二三雲」と呼ばれるほど。
そう聞くだけで、いままで知らなかった人も、
「あぁ、あの雲か。」とジブリ作品の空が頭に浮かぶんじゃないかと思う。

今回、といっても少し前のことになるのだけれど、東京富士美術館で
「日本のアニメーション美術の創造者 山本二三展 〜天空の城ラピュタ、火垂るの墓、もののけ姫、時をかける少女〜」(2019.07.13-9.16)
が開催されているのを知り、これは見に行かなければと足を運んだ。

展示作品は、初期のものから最新作まで約220点もの作品が並んだ。

どの作品を見ても、いったいどんな感受性で日々を生きれば、
こんな些細な植物や建物の息遣いの、その一端一端を、
逃さずに感じることができるのだろうとため息が出る。

山本二三さんの背景画の素晴らしいところは、
人や生きものたちのいないその背景世界に、
「生きている」と感じさせるところだと思う。

都会で生きていると、山本二三さんの背景画は、
「世界はこんなに美しかっただろうか」と思うほどに美しいのだけど、
ただ写実的表現が素晴らしいだのなんだのと、
ひとことでは言い表せない魅力がある。

季節の変化を描けば、その季節独特の香りが鼻先を掠めるし、
冬の言葉にできない切なさや、
春のはじまる少し前の、生ぬるい空気が体温と一体となって、
自分の存在を隠すような不安すら蘇らせる。

とにかく「世界はこんなに美しかっただろうか」と思う気持ちとは裏腹に、
わたしの中の心象風景とリンクするような感覚を覚える。刺さる。

だから、それぞれが思い描いてきたものたちの、記憶とのリンクが、
背景画に対して「あぁ、生きている」という感情を抱かせるんだろう。

街並みを描けば、そこにはいない人々の生活が顔を覗かせるし、
森を描けば、そこにはいない生きものたちが潜んでいる気配がある。

あまりのすごさに語彙力を失うけれど、綺麗だ。

山本二三さんのような感受性は持ち合わせていないけれど、
少しでもそれに近づきたくて、
同じように感じたくて、
細かな線の一つ一つも逃さぬよう、
その背景画に入り込もうとする勢いで見た。
時間を忘れるくらい見入った。

どのくらいの時間が経っただろう。

山本二三さんの作り出した世界にたくさん浸って、
美術館を出るのを少しためらった。
もっとこの美しい世界の中にいたいと思った。

すぐにはうまく言葉にならない感動を精一杯の語彙力で、
一緒に訪れた友人たちとあーだこーだと語りながら、
少しの寂しさを胸に美術館を出ると、自分の目を疑った。

ここはもといた場所だろうかと、一瞬頭が混乱したのだった。

―トンネルのむこうは、不思議の町でした。
千と千尋の神隠しのコピーが頭を過ぎる。

「世界はこんなに美しかっただろうか?」
結論から言うと美しかったのだ。

空が、木々が、いつもより綺麗に見えるなんてものじゃない。
薄汚れたコンクリートが、
それまでただ雑多でしかなかった電信柱の電線一本一本までもが、
なんていうか「ジブリ」だった。

こころなしか、いつもより遠くまで見える気がした。
すべての音が心地よく響いた。
幼い頃に思い描いた「夏」がそこにはあった。

頭の中ではもう「カントリーロード」が流れまくっている。
この感覚を忘れたくなくて、あたりを目いっぱい見渡した。

帰りのバスの中ですら、知らない街に行く途中みたいなわくわくがあった。
膝上のお土産の画集の重みを抱きかかえて、これが現実だと確認する。

少し経てば、あたりの風景はまた同じように、
なんでもない日常に戻っていくだろう。
これを書いている今も、すでにいつもと変わらない、
なんてことない風景が広がっている。

けれど、山本二三さんの魔法を少しばかり借りたわたしの目には、
あの日たしかに、日常のなんてことない風景が「とても美しく」写った。

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
茨木のり子さんに怒られてしまいそうだけれど、
もう一度、あの魔法にかかりたい。

今度は長崎県にある、山本二三美術館に行ってみたいと思う。


帰ったら、あの日の風景に想いを馳せて、何十回目の「耳をすませば」でも観ようかな。



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