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邪な自分を客観視して認める
私は機能不全家庭で育った、どACです
自己肯定感が低いが故の生きづらさや、人と交われなくて閉塞感を抱えながらも、恋愛依存をしたりスピリチュアルにハマったりしながら、なんとかだましだまし保てていた何かが
結婚し娘を産んでからものの3年も経たずに限界を迎え、
縋るような気持ちで「あなここ」というセッションルームにお世話になって、もうすぐ10年目を迎えようとしています。
幼稚園児だった娘も、もう中学生になります。
私が不安定だった頃は、登園拒否や登校拒否、体調不良やストレス性の頻尿、悪夢を見て寝るのが怖いなど、娘も私の精神状態や家庭内の空気を敏感に感じて、いろいろな身体症状が出ていました。
今は、上記のような身体症状は落ち着きましたが、自分が娘に与えた影響がどんな風に出てくるのか、娘をよく見ていきたいと思っています。
さて、そんな娘が6年生で書いた絵や作文などを持って帰ってきたのですが、その中に虐待をテーマにした作文がありました。
虐待について調べてみたら、身近な友達が親からされてる事も虐待に当てはまるんじゃないかと思い、友達に児童相談所に相談してみたらどうかと伝えた、という内容でした。
今は収まっているから大事にしたくないという友達の意を汲んで、文の最後に本人の特定や他の先生や保護者に聞いたりするのはやめて欲しいと書いてありました。
自分は何も出来ないからせめて学校で一緒に過ごす時は、笑って楽しい時間を過ごせるようにしようと、娘なりに友達の力になれる事を考えて行動しているという内容でした。
それを読んでびっくりして、娘にどんな風に話したらいいか悩みました。
そしてカウンセリングの師匠であり、ずっとお世話になってるカウンセラーさんにどう話していいか相談しました。
これを機に自分が虐待されて育ってきた事を話した方がいいだろうかという事と、娘は友達のどんな姿を見て虐待だと思ったのか聞いてもいいのか、そんな相談だったのですが
師匠からは
「下心ありすぎ、色々乗っけすぎ」
とバッサリ 笑
自分の気持ちを深掘りした方がいいと言われてよくよく振り返ってみると、
娘が虐待に関心を持つという事は、されてきたからこそ関心を寄せるんだろうと思い
そこでやましい気持ちからの保身に走りたくなって、娘の虐待の認識を確認したくて友達のどんな所をそう思ったのか聞きたかったのと
自分もされてきたからしてしまったんだと自己弁護したくて、娘にされてきた話をした方がいいんやないかと思った
という、自己保身に走って見事に子供を見てない状態になっていました
邪な下心満載で話しても、繊細な子供にはすぐ察知されて拒絶されるのが関の山だよ、とも言われました
人間なので、邪な心が湧いてくるのは当たり前なのですが、
ACの人は清く正しい人間じゃないと愛されない、と思っている人が多いと思います
違う方も居るかもしれませんが、私はそうでした。
汚い自分、邪な自分、ダークな部分があってはならない、出してはいけない縛りが強く、そんな自分ではいけないと思っていましたが
人間なんで、いろんな感情を持つのが当然なんです。
いろんな感情を感じなければ、他人のいろんな感情を理解する事ができないと思います。
邪な自分を客観視して、認める
それが良い聞き手になる一歩だと、今回の件で良い勉強になりました