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人を許せてる!?【ごめんね いいよ の弊害とは!】
こんにちは、めげないやつ子です。
罪を憎んで人を憎まずっていう言葉が嫌いでした。
ずっと許す事が苦手だったからだと思います。
嫌なことをされた側の気持ちはどうなるの?と思っていました。
(される側になる前提なのが もうそういう事ですが…)
自分の感情を自分で受け止める事をしてこなかったために、外部に決着をつけてもらう事でしか気持ちが収まらないような気がしていたのかなと自己分析しています。
罪を償ってもらわないと気持ちの行き場がないっていう感じです。
最近いろんな思いと向き合っています。
その中でも許すという事については大きなテーマでもあります。
罪を憎む。
罪自体は過去になりますよね。
あとはこっちのネガティブな感情と向き合うだけになります。
で、人は憎まない。
人の事は許す。
それ以上は もうその人に対してグチグチ言わないって事ですよね。
許すと何が嫌なのか自分に聞いてみたら『仲直りしなければならないと思っていたから』でした。
小学生の時にありがちな
ごめんね いいよ の儀式。
これの弊害が出てます。
ごめんねと言われて、いいよと言わないといけない空気…マジで意味がわからないです。
ごめんね。
いいよ。
罪を憎んで君の事は許すから今回の事を今後 君に追及する事はしない。
でも仲直りはしたくない。
これから遊ぶ相手には選ばない。
こんなんでもいいよなぁと思いました。
何だかドライすぎる気もしてきましたけども。
でも相手にもよります。
関係性や今後も繋がりを大切にしていきたい相手なら、“仲直り” を選ぶと思うのですが、
こちらの気持ちを奪う相手(つまりテイカー)とは、正直なところ許すだけで終わりたい。
いつまでも憎み続けるというのは、自分の心に良くないんです。
だから自分のために許すという意味でも、[ 罪を憎んで人を憎まず ] はした方がいい。
人は憎まず許します。
でも嫌いでもいい。
自分の気持ちに正直でいいなら、許す事も苦手ではなくなるかもしれません。
それではまた。
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