私の愛着障害がほどけていく感覚
こんにちは、やつ子です。
昨日、noteの記事を書いていて
気付いた事があった。
母の事、
私はずっと母の発達特性や
隠れ毒親の関わりによって困ってきた。
結局は共依存、なのだと思う。
自分と向き合う事で自己理解が進み
だいぶ心が軽くなってきた。
それでも母の呪縛みたいなものは
完全に解かれたわけではないようで
しょっちゅう出てくる。
出てきては自分との対話、
この繰り返しだ。
私は母の事が嫌なのに
ずっと母の事を考えてきた。
ご機嫌は良いのか悪いのか…
嫌な目にあってはいないか…
また誰かに裏切られたりしていないか…
そんなこと考えたくないのに
気がついたら考えていた。
考えていた、のに、
本当の母の事を見ていなかったようだ。
私は、私の中の “理想の母(であるはずの母)” を
ずっと見ていたのかもしれない。
実際の母はそれとはだいぶ違うもんだから
腹が立つし、残念に思う。
母はずっと昔から変わっていない。
きのうnoteに書いたような
嫌な人だって事は見てきたはずなのに
“理想の母” なのだから、そんなわけない!
っていう気持ちも
私の心に存在していたようだ。
私の中の理想の母親像…
そりゃ実際の母を好きになれないわけだよ。
これは母自身がなりたかった母親像だ。
娘である私に
「私はこんなに良いお母さんなのよ!」と
言葉で訴えかけていた。
私が母を理想の母親だと思う事は
母の望みでもあったと思う。
でも、いくら言葉で伝えても違うもんは違う。
“母自身の憧れ” があったんだと思うけど
でもそうはなれないんだよねぇ。
悔しいよねぇ。
なぜそう思うのかは、私がそうだったから。
私はサザエさんの「フネ」に憧れている。
あんなお母さんになりたかったけど
絶対に違う種類の人間だと自覚している。
以前、息子に打ち明けた事があった。
私「フネみたいなお母さんになりたかったんだよね~」
息子「(鼻で笑う)…なれるわけないじゃん!」
私「そうだよね…違いすぎるよねぇ~」
息子「まあ、いいんじゃね、こんなアホな母親がいても。」
そんな風に言ってくれたなぁ。
ありがとう。
私は本当の母を見てなかった。
理想の母親像に母を押し込んでいた。
もしかしたら母は
自ら その入れ物に入ったのかもしれないし
今もそのつもりなのかもしれない。
私もいつか言えるようになりたい…
「ダメな母親がいても、いいんじゃね。」
少し止まっていた愛着障害の事が
ここにきてまた進んだ。
気付くってありがたい。
ありがとう。
~365個のありがとうnote/034~
それではまた(^-^)/
◆
2022年12月のある日、
息子が
「アレが欲しい」
「コレをしてくれ」と
うるさかったので
私は思わず「足るを知れ」と叫び
あ、それ、私もだわ…
と自分に突っ込みを入れた次第。
今年は感謝に気付く一年にしようと
\365個のありがとうnote/を
思い立ちました。
◆
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