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【不登校】周りの大人こそ肩書きに縛られるな。今この瞬間を本気で生きる!
こんにちは、めげないやつ子です。
私は不登校のお母さんたちに向けた応援のメッセージや共感の気持ちを発信している。この活動を始めてもう3年が過ぎた。
電話相談や動画コンテンツを通じて、子どもだけじゃなく母たち自身が自分の人生をもっと大切に考えられるよう、言葉を届けてきた。
その活動を続ける中で、どうすれば伝わるのか、どんな言葉を選べば理解が広がるのかを真剣に考え、発信に夢中になっていたら、自分のスキルもどんどん広がっている事に気付いた。
自分の “好き” に気付いた
文章を書くこと、動画編集、勉強会用のスライド作成。それらが得意になり、好きになっていった。
私はレイアウトやデザインする事が好きだ。
文章を書くことは前から好きだった。
自分の知っていることを必要な人に届けたいという欲求もある。
子ども電話相談をやっていた時は、代弁者や人と人を繋ぐ役割りになりたいと思っていた。
そこに加えて、レイアウトやデザインも楽しくて時間があっという間に過ぎていく。大人になり何かに没頭するのは贅沢な時間だと思う。
本気でやってみて自分の “好き” にも気付いたのだ。
思えば、私は「これをやりたい」と思う気持ちに従って動いてきた。それが形になり、スキルとして身につき、いつしか私の仕事の一部になっている。
それが自然だったからこそ、無理なく続けてこられたのだと思う。
「将来」ではなく「今」に目を向ける
子どもに対して「将来のやりたいことを見つけなさい」と促す大人は多い。もちろん、それが悪いわけではない。
でも、私は「将来」ではなく「今」にこそヒントがあるのではないかと考えている。
今、心が動くこと、楽しいと思うこと。その中にいつか得意分野となる種が隠れているのではないだろうか。
たとえばゲームや動画視聴。それらは一見すると何の役にも立たないように思えるかもしれない。
でも、そこに熱中し、本気で楽しむことで得られるものがあるはずだ。
ただ、大人たちはそれを認めたがらない。
勉強やスポーツ、あるいは将来に繋がる「らしい」ことにだけ価値を見出し、それ以外は排除しようとする。
特に不登校の子どもたちには「学校に行かないなら家でゲームばかりしていないで勉強しろ」と言いがちだ。将来が不安だからこそ、今の「遊び」を軽視してしまうのだろう。
でも私は、子どもが本気で遊べる環境こそが、子どもたちの未来を形作る基盤になると信じている。
遊びが得意分野になる
遊びも本気でやれば必ず得るものがある。
それはいつか得意分野となり、自信や成長に繋がる。
だからこそ、大人が否定するのではなく、一緒に楽しみ、語り合う姿勢が必要だ。
子どもたちには『大人に怒られないように…』『大人の目を盗むように…』遊ぶのではなく、安心してその時間を満喫できるようになってほしい。
遊びに本気になれる環境を作るのは、私たち大人の役目だと思う。
肩書きは必要ない
ここで振り返ると、私の活動も、肩書きに縛られて始めたわけではない。
ただ「伝えたい」という気持ちと「やってみたい」という思いで始めたものが、いつしか私自身の人生において重要な役割を果たすようになっていた。
私は「母親」「不登校支援者」「動画編集者」といった肩書きで自分を定義する必要はない。どの肩書きも本質ではない。
ただ、私が好きなこと、熱中できることをやり続ける。
それが結果として形になったにすぎない。
肩書きに囚われるのはもったいない。
肩書きを気にして動けなくなるくらいなら、まずはやりたいことを試してみるべきだ。
今の時代、柔軟に、自由に、自分らしく生きていくことが求められている。
肩書きに縛られ過去の価値観に固執する人は、新しい時代の波に乗ることが難しいと、昭和に生まれた私は考えている。
まとめ
大人も子どもも、「今やりたいこと」にもっと素直になるべきだ。それが遊びであれ、学びであれ、そこに熱中することで得られるものが必ずある。
そして肩書きや役割に囚われるのではなく、自分の感覚を大切にして動くこと。
新しい時代に生きる私たちには、そんな柔軟さと自由さが必要だと思う。
それではまた。
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