
Photo by
reautnt
あはれ且元さん |『真田太平記(十一)大坂夏の陣』
幸村の最期はドラマチックであった。
父に語りかける様子、佐平次と共に最期を遂げるとは感動。逆に哀れな最後を遂げる豊臣家の秀頼、淀殿、幸村の息子大助などなど。大坂城の片隅の蔵で火を着けて自害とは何ともいえない結末だった。
そんな中、私はもう一人のあわれ人である片桐且元の最後に大変興味を引かれた。
かつては賤ヶ岳の七本槍ともいわれた且元。豊臣の代表として徳川との交渉に当たっていたが、豊臣側からは裏切者扱いされ、徳川にはただ良いように利用され。
最後は秀頼、淀殿の潜伏場所を家康に報告するという辛い役割を担い病没。
こんな且元を著者は「且元は、自分の器量と実力にふさわしくない、重い荷を負いすぎてしまった。」と締めくくる。
この一文に我が身も考えさせられる思いとなった。