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真田父子の無念 | 読書日記『真田太平記(七)』
第7巻、読了。いやあ、圧巻の関ヶ原。最初から最後までハラハラが止まらなかった。
関ヶ原合戦については、司馬遼太郎さんの関ヶ原しか読んだことがなかったので、今回真田昌幸・幸村と徳川秀忠の上田での攻防については特に興味深かった。なるほど、真田父子は関ヶ原の合戦にここまで大きな役割を果たしていた、とは。
そんな功績を残したにもかかわらず、関ヶ原での西軍の敗戦を聞いた時の落胆はもう悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
幸村が「これは父上、私が、たとえ百の兵を引きつれてでも、上方へ残っているべきでありました」と残念そうにいったという台詞からも如実に表されている。
著者は西軍の失敗を作戦の拙劣、と説いている。作戦がなってなかったという意味と理解。
幸村の立場から、諸将がそれぞれ単独で戦ったとしても、それはそれで良いとし、必ず相手につけこむ隙を見出していた、と言わせている。東軍が圧倒的に有利、というわけではなかったという部分が垣間見られて池波さんの関ヶ原に関する考察をこの物語の節々に感じた。
関ヶ原の合戦について、今までは戦国末期の大合戦というようにしか理解していなかった自分。今回の物語を読んで、歴史の分岐点に2つの異なる秩序というか価値観がぶつかり合い、その中で起こる心の迷い、葛藤などの描写が特に印象に残る。
小早川秀秋の裏切りが関ヶ原合戦の流れを変えた、というところまでに至る迷いの様子。勝つ方に味方をするまでの苦悩、苦悩に陥り判断のタイミングを失い、最後の最後、どうしようもなくなって追い詰められて流れに任せて味方を裏切行為に走る、と心理の移り変わりが丁寧に描かれていた。
一方で真田家の草の者たちの決死の突進は圧巻。裏方でしかない身分を知りながらも、真田家の存続に命をかけて立ち向かっていくところは息を呑む展開だった。ここに心の迷いは一切感じられない。このコントラストにも魅了された。
また個人的な感想として、関ヶ原に至る徳川家康の後年の野望についての捉え方。これは年齢によって変わっていくのかな、なんて私は思う。
本能寺の変にて運がなかった家康。一方で運を掴んだ秀吉。秀吉が天下人となった後、世の中はすでに天下平定に進んでいたようにも思う。
豊臣秀吉がこの世を去った際、徳川家康は待ちに待った機会とばかりに天下人への野望に突き進む、一方で前田利家の様に豊臣家の存続を願い、争い・対立を避けようと努力する。それぞれの性格や立ち位置も違うのだろう。
家康は年齢を理由に諦めることなく最後まで自らの野望を成し遂げるために闘志を燃やし続けた。そして天下人となり、徳川江戸幕府を築いた。歴史は変わらないのでこれが事実だし、その後江戸時代は約260年も続くという戦のない天下平定の世の中を築いた。その姿に感銘を受ける。
しかし一方でいい歳になって未だ自分の未練にすがり、次の世代に譲れぬだけでなく、自分が天下人となるために地位を存分に利用して邪魔者を排除する姿に哀れさを感じてしまう部分もある。
今回の真田太平記を読んでいて、そんな晩年の家康の心情の両極面を私は感じとりながら読んだ。こういった感想を持ったのは今回が初めてだ。自分が今後10年のキャリアをどうしていくか、どういった立ち振る舞いでいたいか、それを日々考えていることが影響を及ぼしたのだろう。全くもって家康とはスケールの違う立場であるにもかかわらず。まあそこは私のただの感想にすぎない。
どっちがいいとかではなく、これが人間らしさなのかな、なんて思う。著者は物語の中で戦国時代の心の葛藤や矛盾をこんな風に語っている。
(この時代の男たちは)人間と、人間が棲む世界の不合理を、きわめて明確に把握していたのであろう。
人の世は、何処まで行っても合理を見つけ出すことが不可能なのだ。
合理は存在していても、人間という生物が、
「不合理に出来ている……」
のだから、どうしようもないのだ。
人間の肉体は、まことに合理を得ているのだが、そこへ感情というものが加わるため、矛盾が絶えぬのである。
その不合理な感情をどのように肉体というか自分の外に現すか。そこが運命の分かれ道にもなるのかな、と思った。
いよいよ、真田父子の行方もクライマックスに突入か。真田丸の登場がとにかく楽しみで仕方がない。