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今日も、読書。 |読書日記の難しさ、雪の断章

2021.11.14 Sun

休日だからといって、平日よりたくさん文章を書けるわけではない。むしろ休日の方が、平日よりも日記を書くのが億劫だと感じる。

私は意志が弱い。何事も長く続いたためしがない。そんな私が日記を続けていくためには、日記を書くという行為を、ルーティンとして生活の中にシステマチックに組み込む必要がある。

例えば夜寝る前に歯を磨くように、意識せずとも日記を書けるようにならなければ、途中で挫折してしまう。私は平日、夜の9時半~10時の間に日記を書くようにしている。これはこの読書日記を始める前、手書きの日記を書いていた頃からの習慣である。このルールがなければ、私は「今日は面倒だからやめてしまえ」という、甘い誘惑に抗うことができない。時間で行動を縛ることで、私は日記を書く行為を継続できている。

しかし休日は、夜の9時半~10時になんだかんだと予定を入れていることが多い。すると毎日日記を続けるためには、それより前の時間に書く必要が出てくる。これが難しい。休日の午前は頭が全く動かないので問題外として(?)、午後も日記を書く意欲はなかなか湧かず、ずるずると時間だけが過ぎていく。これが、平日より休日の方が日記を書くのが億劫だと感じる理由だ。夜10時以降に書けないこともないのだが、私は就寝前1時間は、できる限り電子デバイスに触らないようにしている。寝る前にスマホやパソコンを見ると、目がチカチカして眠れなくなる。

幸いなことに、日記を書くという行為は、今のところ1年以上続けられている。「今日も、読書」としてデジタルに移行してからも、何とかなっている。この調子でいけば、おそらく頓挫することはないだろう。

……と書いておきながら、「今日も、読書」が来週から更新されなくなる可能性は全然ある。悲しいことに、私は私の意志の強さを信用できない。そうなった時は、今までの投稿を全て削除して、そもそもこの世に「今日も、読書。」などという読書日記は初めから存在しなかったことにしようと考えている。うまく続いてくれることを願うばかりだ。



2021.11.15 Mon

146日目。
佐々木丸美さんの『雪の断章』を読み、自分はこういうミステリを欲していたのか、と気付かされた。

私は、ミステリから読書の世界に入った。芸能の世界に入ったかのような表現になってしまったが、とにかく私にとって読書の始まりはミステリだった。綾辻行人さんの『十角館の殺人』だったし、有栖川有栖さんの『月光ゲーム』だったし、島田荘司さんの『占星術殺人事件』だった。1日1冊以上のペースで本を読んでいたあの幸せな大学時代は、本格ミステリの魅力に取りつかれて幕を開けた。そう、まさに何者かに取り憑かれた感じだった。ネットで検索した「ミステリランキング」に載っている作品を、片っ端から読んでいった。綾辻行人、有栖川有栖、島田荘司、歌野晶午、西澤保彦、米澤穂信、折原一……。私の大学時代は、こうしたおじさんたち、もといミステリ作家たちによって彩られていた。

読書の興味は、時が経つにつれて移ろいゆくものだ。大学4年の秋頃から、私は少しずつミステリ以外の小説を読むようになった。

きっかけは何だったのだろう、はっきりとは思い出せないが、その頃読んでいた本で特に印象に残っているのは、司馬遼太郎『竜馬がゆく』、内田洋子『ボローニャの吐息』、村上春樹『ノルウェイの森』……。カミュ『異邦人』、ヘミングウェイ『老人と海』、サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』など、それまで苦手意識を持っていた海外作品にも、挑戦するようになった。自分の読書史において大学4年の秋はひとつの大きな転換点で、ジャンルを絞らず、色々な本を読んでみようと考えるようになったのがその頃だった。

以来、国内外のエンタメ小説、純文学、古典、エッセイ、紀行文、短歌、詩、サブカルなど、とにかく雑多に、なるべく前後のジャンルが被らないように、本を読んでいる。新しい本を開くたびに、自分の関心がぐいぐいと押し広げられていくのを感じ、ジャンルごとに脳の違う部分で本を楽しんでいるのを感じ、毎日が楽しい。

問題は、そんな日々の中でそういうわけか、ミステリだけは心から楽しめなくなっていたことだった。




2021.11.16 Tue

147日目。
『雪の断章』の話をしようと思って書き始めたのに、昨日の日記では『雪の断章』に辿り着けなかった。1日に書くことができる文章量には限りがあり、かつ話をわかりやすく要約する力も不足しているので、計画通りに筆を運ぶことができない。嘘である。そもそも計画など立てていない。

かつてあれほどまでにのめり込んだミステリを、いつの間にか楽しめなくなっていた。「楽しめなくなった」というのも正確には嘘で、いざミステリを読むとなるとやはりそれなりに楽しいのだが、ミステリ以外の本を読んだときの楽しさの方が勝るようになっていった。ミステリを手に取らなくなり、ミステリを買わなくなり、ミステリを追わなくなっていった。

この「楽しめない」に、個々の作品の面白さはおそらく無関係で、大学時代に読んでいたミステリの方が今読んでいるものより優れていた、ということではないと思う。自分の読書の軸が移り変わったのだ。ミステリしか知らなかったあの頃から、様々なジャンルの読書体験を経て、読書には色々な「楽しい」があることを知った。エッセイの美しさを知り、文学のリズム感を知り、小説の可能性を知った。私は、ミステリを読むことで得られる「楽しい」とは違う「楽しい」を、強く欲するようになった。

読書の関心の幅が広がるのはいいことだ。しかし、ミステリを欲することができないこの状況を、寂しく感じることも事実だった。積読にミステリがひとつもない状況を切なく思うことも事実だった。できることなら、ミステリを読んで、「ミステリを読んでよかった」と思いたかった。いつもミステリを読んでいたあの頃の気持ちを取り戻したいとまでは言わないが、純粋に、楽しめる楽しめないなどというつまらないことを考えずに、ミステリを堪能したかった。



2021.11.17 Wed

148日目。
今日は仕事が少ししんどくて、というより正確には明日仕事がしんどくなることが確定していて、読書日記を書く気力が湧いてこない。この日記にはできる限り仕事の愚痴を持ち込みたくないのだが、仕事が原因で文章を書く精神でなくなってしまうのは、仕方がない。

こういう時は、読書をするに限る。私はそうやって、辛いことを切り抜けてきた。読書日記を書くことが、読書の妨げになっては本末転倒である。今日は本を読む日だと決め、早々に日記を切り上げようと思う。

佐々木丸美さんの『雪の断章』の話は、どうやらまた延期のようである。読了直後の味わい深い余韻はとうに過ぎ去り、瑞々しい感想はもう書けそうにないが、ここまで引っ張ってしまったからには何か書きたい……が、書けるだろうか。とにかく、ずっとミステリ離れしていた私を、『雪の断章』が引き戻してくれる予感があった。



2021.11.18 Thu

149日目。
仕事は予想通りしんどかった。

このところ「呪術廻戦」を読んでいて、時間を忘れてのめり込んでいて、平日の夜は一瞬で過ぎ去っていく。1日中パソコン作業をした後に、楽天Koboで呪術廻戦を読み、そしてこの読書日記を書く生活は、電子デバイスの海に溺れるようで私の目を著しく疲弊させる。それでも呪術廻戦は読む。五条悟の強さに痺れ、七海健人の熱さに震え、虎杖悠仁の実直さに勇気をもらっている。

私は文化的摂取行為における読書の比率を上げるために、漫画や映画には普段あまり触れない。それでも呪術廻戦は、読まざるを得なかった。「僕のヒーローアカデミア」や「鬼滅の刃」の時のように、読書時間を削ることが自明でも読みたさが抑えられなかった。つまるところただのミーハーだった。そのうち好きな漫画の話もしたいが、我が家に唯一紙書籍で全巻揃っている「SKET DANCE」については、絶対に語らなければいけないと思っている。

『雪の断章』の話をしたいが、この日記を書く前に「今日は『雪の断章』の話をしなければならないのか、はあ……」と思ってしまい、好きなことを好きなように書くのがこの読書日記のルールだったはずなのにテーマが縛られて憂鬱さを感じているこの事態は危なかった。『雪の断章』の感想については、話したいと感じたタイミングで話せばいいし、そのようなタイミングが今後訪れなくても別にいい。これだけ話題に出ているのだから私がこの作品を気に入っていることは充分伝わっているだろうし、数日前に『雪の断章』の魅力についてじっくり細かく語りたいと感じていたあの情熱は嘘ではないし、それが今やすっかり消え去ってしまっていることも何ら悪いことではないはずだった。読書感想文は、鮮度が命だ。足がはやい。時期を逃すと書きたいことも書けなくなってしまうということを、反省として肝に銘じておく。

極度の飽き性の私が奇跡の綱渡りで続けられているこの読書日記の中で、話題に興味を失うという飽き性っぷりをやはり遺憾なく発揮しているのがおかしかった。今日無理やり『雪の断章』について話そうと頑張っていたら、この読書日記の存続は危ぶまれていたかもしれなかった。まるで悪者のように扱っているが、『雪の断章』には何の罪もない。佐々木丸美さんの作品は今後も定期的に読もうと心に決めていて、次は『崖の館』に狙いを定めている。後々佐々木丸美さんの別の作品を読んだタイミングで、『雪の断章』の話はひょっこりと顔をのぞかせるかもしれなかった。



2021.11.19 Fri

150日目。
またひとつ残業記録を更新し、帰りの電車の中で今これを書いているが、とても電子デバイスの画面を見る気になれない。

帰ってからも、おそらく日記は書けないだろう。今は本を読みたい——通勤のお供は、佐藤多佳子さんの『しゃべれども しゃべれども』だ。軽妙な文体が、疲れた頭にもするすると流れ込んでくる。面白くて、最近の読書の中ではかなり早いペースで読み進めていて、最寄駅に着く頃にはきっと物語は幕を閉じている。



2021.11.20 Sat

佐藤多佳子さんの『しゃべれども しゃべれども』がすごく良くて、これは久しぶりに感じる種類の良さで、多分「お仕事小説」を読むときにいつも感じるあの良さだった。私は生活の中で落語に触れる機会は皆無と言ってよくて、だからこそ噺家として奮闘する三つ葉の物語は新鮮な驚きに満ちていて、彼らにとっては何気ない日常の一瞬でも私には輝いて見えた。もし自分自身のお仕事小説が誰かに読まれるとして、同じような種類の驚きをその人に与えられるだろうかと落ち込む一方で、「そんなことをくよくよと考えるな」と三つ葉の快活さに救われる思いでもあった。三つ葉は短期で口の悪い奴だが、どんな人でも受け入れてくれそうな懐の深さが良かった。

佐藤多佳子さんは『明るい夜に出かけて』を読んだことがあったが、やや苦手な印象だったと記憶している。1人称視点の小説なのだが、主人公・富山のパーソナリティが地の文に非常に濃く反映されていて、うまく言えないが全編会話文、といった感じだった。物語には入り込みやすいのだが、同時に気が休まる隙がなかった。

『しゃべれども しゃべれども』も主人公・三つ葉の1人称小説だが、こちらは一転して好きだった。登場人物に共感できるか否か、ということが小説の読みやすさに影響するのだと思い、だとすれば自分はまだまだ想像力が足りないと反省する。どんな本も楽しく読めるという人がいて、そういう人は読む本によって「その本を楽しめる自分」に意識的にせよ無意識的にせよスイッチを切り替えていて、その切り替えには豊かな想像力が必要なはずだった。




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