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#12 太宰治全部読む |太宰流ハムレットを、戯曲調で読む

私は、太宰治の作品を全部読むことにした。

太宰治を全部読むと、人はどのような感情を抱くのか。身をもって確かめることにした。

前回取り上げた『パンドラの匣』では、太宰が実在の日記を下敷きにして書いた作品を読んだ。日常の何気ない”細部”を文学に昇華する、太宰の技術力の高さに舌を巻いた。

12回目の今回は『新ハムレット』。『ハムレット』といえば、イギリスの劇作家、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲である。

そのハムレットの頭に、”新”という文字が付いている。果たしてどのような作品と出会えるのか、とても楽しみだ。




太宰治|新ハムレット


デカダンス文学の旗手、太宰のもう一つの面、天稟の文学的才能を存分に発揮した知性的作品群の中から、西洋の古典や歴史に取材した作品を収める。「ハムレット」の戯曲形式を踏みながら、そこに現代人の心理的葛藤と現代的悪の典型を描き込んだ表題作、全作品中もっとも技巧をこらした『女の決闘』、人生の本質的意味を数頁に結晶させた『待つ』ほか『古典風』『乞食学生』の全5編。

あらすじ


新潮文庫『新ハムレット』には、「古典風」「女の決闘」「乞食学生」「新ハムレット」「待つ」の5編が収録されている。いずれも、太宰の作家人生の中期に執筆された作品である。

あらすじにもある通り、今回は、西洋の古典作品や歴史を題材にして書かれた作品が収められている。

前回の『パンドラの匣』に続き、「他作品を下敷きに、想像を膨らませて小説を書く」という、太宰が最も得意とした執筆手法だ。

東西の古典、フォークロア、歴史、そして知人、友人の日記や手紙をもとにして、その物語の枠組の中で現代人的な発想を自由大胆にかつ微妙繊細に表現した作品

p357「解説」より引用


太宰は、第二次世界大戦中に、西洋古典を題材にした作品を精力的に執筆した。

太平洋戦争を間近に控え、国粋主義が蔓延し、西洋排斥の動きが強まる日本において、あえて西洋の古典をもとにした作品を発表した太宰。

ここに、文学・創作を通じた、太宰の反抗精神が表れている。このように、歴史的な背景を汲み取りながら作品を読むと、太宰はより面白い。


『ハムレット』といえば、有名なシェイクスピアの悲劇。太宰に限らず、多くの文豪たちが、ハムレットを題材にして小説を書いている。

さて、「西洋×太宰」は、どのような化学反応を起こすのだろうか。早速1編ずつ読んでいこう。



古典風

伯爵の御曹司・美濃十郎が、てるという不器用な女中と関係を持つも、てるには親が決めた婚約者がおりその愛は叶わず……という、身分違いの恋愛話。

本筋のストーリーも良いが、個人的には、十郎が自作の暴君ネロの伝記を、遊び仲間である詩人に向けて朗読するシーンが良かった。

本編そっちのけで、ネロの伝記が”作中作”としてしばらく続くのだが、これがよくできていて面白い。古代西洋の時代に惹き込まれた。

しばらく朗読を聞かされた後、詩人が途中で十郎を静止して突然終わるのだが、そこで読者もはっと本筋に引き戻される。この短編はネロの伝記じゃない、十郎とてるの恋愛話だった……と、太宰のマジックに欺かれている自分に気がつくのだ。


女の決闘

本作は構成がとても複雑で、言葉で簡潔にお伝えするのが難しい。ぜひ実際に読んで体感していただきたい作品だ。

解説の奥野健男氏が、本作を「太宰治の小説の中でも、もっとも技巧の限りをこらした知的な作品と言ってよい」と評しているが、仰るとおり、非常にテクニカルな試みがなされている。

前半は、ヘルベルト・オイレンベルグ『女の決闘』という小説を、太宰と一緒に読み進めていくような展開になっている。原作の文章が引用され、そこに太宰による感想が付記されている。

後半は、原作『女の決闘』を土台にして、太宰の創作がブレンドされ、時に原作を引き合いに出しながら、オリジナルの物語に仕立てられている。原作では描かれていない登場人物の心理が、自由に表現されている。

このような、原作と創作がどちらも混在している作品は珍しい。これまで「太宰治全部読む」で読んできた中だと、「右大臣実朝」もこれに該当するだろうか。


作中、こんな文章も書かれている。

このごろ日本でも、素材そのままの作品が、「小説」として大いに流行している様子でありますが、私は時たま、そんな作品を読み、いつも、ああ惜しい、と思うのであります。口はばったい言い方ではありますが、私に、こんな素材を与えたら、いい小説が書けるのに、と思う事があります。

p99より引用

自身の創作に対して、自信をのぞかせる太宰。いつもは自分を卑下するばかりの太宰だが、ここでは珍しく自己評価が高い。そして実際に面白い小説を書いているのだから、すごい。


乞食学生

これは、太宰の隠れた傑作ではなかろうか。初めから終わりまで、とても面白かった。

私はその日も、私の見事な一篇の醜作を、駅の前のポストに投函し、急に生きている事が嫌になり、懐手して首をうなだれ、足元の石ころを蹴ころがし蹴ころがしして歩いた。

p106-107より引用

「見事な一篇の醜作」(皮肉)を投函し、落ち込みながらとぼとぼ歩いていた太宰。玉川上水を泳ぐ謎の学生に出会い、色々なことをひたすら無為に議論し合うという、なんともナンセンスな短編である。

とにかく太宰と学生たちの会話のテンポが小気味よく、笑いどころやツッコミどころが盛りだくさん。太宰のユーモアセンスが、ひときわ発揮された作品だと言える。

そして極めつけに、まさかのオチが待っている。ひたすらにナンセンスで、侘しくて、でもこれこそが、太宰の真骨頂とも思える。いや面白かった。


新ハムレット

シェイクスピアの戯曲『ハムレット』をもとにして、現代人の葛藤や悲痛を描いた表題作。因みに、太宰初の書き下ろし小説とのこと。そうなんだ。

解説で奥野氏が、「古典の換骨奪胎の手本とも言うべき作品」と絶している。太宰としても、そしてハムレットを題材とする小説としても、前例の無い取り組みがなされている。


まず本作は、通常の小説形式ではなく、登場人物たちの台詞のみで構成された、戯曲形式で書かれている。

そして、主人公のハムレットやオリーフィアをはじめ、『ハムレット』の登場人物たちはそのままに、各々の思考や言動には、”太宰イズム”が存分に反映されている点が面白い。

舞台設定がハムレットの世界であるだけで、中身は、いつもの太宰作品である。太宰自身の実体験や人生観について、ハムレットの話の筋に乗せる形で、網羅的に描かれているように感じた。

そして物語の終盤では、当時の日本へのアンチテーゼとしての、戦争反対とも取れる表現が見られる。文学による、太宰の反骨精神の表現がここに見られる。


待つ

壮大な「新ハムレット」の後に、数ページの掌編「待つ」が収められているところが、何とも粋な構成。『新ハムレット』という短編集のエンドロールといった趣。

戦争期間中、毎日買い物帰りに駅のベンチに腰を下ろして、改札を見ながら「何か」を待ち続ける、女性の告白が描かれている。

徴兵された恋愛相手が待ち人と思って読んでいたら、「旦那さまや恋人でもありません」と打ち消される。彼女は一体、何を待っているのか——?

作中で明確に描かれていない分、読み手にあれこれ想像させる余白がある。数ページの掌編で、これほどの”広がり”を感じさせるのはすごい。



今回取り上げた『新ハムレット』は、西洋の古典や歴史をベースに、太宰の創作がブレンドされた作品が中心だった。

前回の『パンドラの匣』や、7回目の『お伽草紙』でも感じたことだが、太宰は何か別の作品を下敷きにして小説を書いた方が、より奔放に空想を羽ばたかせて、奥行きのある小説を書けるのだと思った。


太宰の書く文章には、確固たるスタイルが存在する。

思わず声に出して読み上げたくなるような、テンポの良い文章。そこに太宰の人生観や思想、哲学が色濃く反映され、ユーモアや苦悩が真っ直ぐに表れている。

このように文体が確立されているために、太宰の文章を他の作品と掛け合わせたとき、心地良い”ズレ感”のようなものが生まれ、それが唯一無二の味になるのだと思う。

特に西洋古典という、普段の太宰作品の設定からはかけ離れた世界と組み合わせると、ひときわ面白みが増す。この化学反応を、ぜひとも体感いただきたい。



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