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#9 太宰治全部読む |折り返し地点にして、最大の難敵
私は、太宰治の作品を全部読むことにした。
太宰治を全部読むと、人はどのような感情を抱くのか。身をもって確かめることにした。
前回読んだ『グッド・バイ』では、未完の状態でも太宰が残してくれた小説が、後の世代で面白い小説を生み出す軌跡に想いを馳せた。
9回目の今回、早くもなのかようやくなのか、「太宰治全部読む」は折り返し地点を迎える。そんな節目に、太宰最大の問題作、『二十世紀旗手』を取り上げる。
『二十世紀旗手』は、大学生の頃に一度読んだことがある。しかしそれは、おそらく「読んだ」とも言えないような読書で、難解で癖の強い文章にほとんどついていけず、なんとなく流し読みしただけで終わった。
しかし、今回の私は一味違う。ここまで太宰治作品を8作読んできて、太宰の来歴や性格、執筆の背景など、小説を楽しむための準備は万端である。
そういうわけで今回は、数年越しのリベンジである。『二十世紀旗手』を理解できれば、太宰を理解できたと言っても過言ではないだろう。さあ、曲者揃いの難敵に挑戦だ。
太宰治|二十世紀旗手
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麻薬中毒と自殺未遂の地獄の日々、小市民のモラルと既成の小説概念のいっさいを否定し破壊せんとした前期作品集。"二十世紀旗手"という選ばれた自負と「生れて、すみません」という廃残意識に引き裂かれた現代人の心情をモザイク的構成のうちに定着させた表題作、後年「人間失格」に集約される精神病院入院の体験を綴った『HUMAN LOST』ほか『虚構の春』『創世記』など7編を収録。
『二十世紀旗手』に収録されているのは、1936〜1937年にかけて執筆された、太宰の文学活動の前期後半に属する短編だ。処女作『晩年』の後くらいに書かれた作品たちである。
いずれも、太宰の精神状態が非常に不安定な時期に執筆された作品だ。そのため、従来の小説概念から大きく逸脱し、文章も錯乱したものが多い。
当時の太宰は、自殺を試みるも未遂に終わり、麻薬中毒にかかりながら、激しい精神状態そのままに小説を書いていた。
そして麻薬中毒治療のため、先輩や友人により、精神病院に入院させられる。この病床での生活が、太宰にとっては「人間失格の烙印を押された」と考えるほどにショックだった。
一方で、処女作である『晩年』が文壇で評価され、短編「逆光」が芥川賞候補に選ばれるなど、太宰は新人小説家として、世間に認知され始める。文学の才能はあるものの生活力には乏しい、「才有れども徳無し」と評された。
そんな執筆当時の太宰の境遇を頭に入れながら、再読する。彼の悲痛の叫びが、行間から聞こえてくるようである。
狂言の神
『晩年』収録の「道化の華」、続く「虚構の春」とあわせて、『虚構の彷徨』三部曲と言われる作品のひとつ。
太宰自身の、鎌倉山中での縊死自殺未遂を取り上げた小説。彼は常に「死」を意識しながら、酒を飲み歩き、江ノ島行きの列車に揺られ、他の小説家と将棋を指す。
全体的に改行が少なく、激情の勢いに任せ、ノンストップで書き綴られている。死の予感を目前に控えた太宰の、感情の起伏に圧倒される。真実の告白と狂言の狭間で、読者は翻弄される。
虚構の春
全編通して、知人から太宰に宛てて書かれた手紙のみで構成された、稀有な小説。
雑誌の編集者や文学評論家、同業の小説家など、様々な人物からの手紙が並べられている。実在の人物からの手紙もあれば、太宰が創り出した虚構の手紙もあり、その区別は判然とせず、虚実入り混じった構成になっている。
この短編の中に太宰本人の言葉はないが、第三者からの手紙を通じて、太宰の姿が形作られていく。『二十世紀旗手』収録作品の中で、私は「虚構の春」が一番好きだ。
雌に就いて
二・二六事件が起きた日の夜、太宰はとある客人と二人で、理想の女性と行く温泉旅行について、議論をする。
ほとんどが両者の会話文のみで構成され、攻守がテンポよく切り替わりながら進んでいく。最後に鎌倉で太宰と共に入水自殺を図った女性の影がちらつき、不穏な幕切れとなるのが面白い。
創生記
太宰が書いた中で、最も錯乱した作品だろう。
支離滅裂の概念自体を小説にしたような作品だ。彼自身、後に作品中に加えるにあたり、多くの箇所を削除したという問題作。
麻薬中毒で朦朧としながら書かれたであろう本作は、繋がりのない文章の断片が、万華鏡のように切り替わりながら進んでいく。構成は『晩年』の「葉」のような感じだが、何倍も読みづらい。
再読でも、終始何が書かれているのか理解できなかった。理解できない面白さに振り切って読んだ。内容は意味不明でも語感の良さだけで読ませてしまうのは、さすが太宰といったところだろうか。
喝采
講演調で書かれた小説だが、「創世記」に続き、何が書かれているのか理解するのは難しい。というか、「創世記」を読んだ疲れを引きずっていて集中できなかった。
単語の羅列、次々に移り変わる話題、句点のない長い文章。内容が頭に入ってこないが、音を味わうような読書は健在。
二十世紀旗手
序唱〜終唱まで、全12編からなる作品だが、これまた難解で捉えがたい。この辺りまで来ると、私の意識も朦朧としてくる。
神話のような幕開けから、原稿が認められず金に苦心する随筆調の文章に、いつの間にか切り替わっている。「創世記」よりは読みやすいが、それでも雰囲気で楽しむ読書だった。
「生れて、すみません。」は太宰屈指のエピグラフだ。そんなことない、生まれて小説を書いてくれてありがとう、と声援を送りたくなる。
HUMAN LOST
重度の薬物中毒で精神病院に入れられた太宰は、周囲の人への不信、憎悪を募らせ、人間としての資格を剥奪されたような、切実な叫びを書き綴った。
晩年の傑作『人間失格』の前身となる作品であり、太宰が文学人生を通じて書き続けた「自己否定」のテーマが強く現れている。
病床での出来事や心情が、日記形式で綴られている。精神状態は不安定で、もうギリギリだ。医師を詐欺師呼ばわりしたかと思えば、意味深な詩を殴り書きしたりする。
こんな不安定な状況下でも、自身をネタに小説に書くというのは、尊敬を通り越して恐怖ですらあった。読者としてはありがたいのだけれど、太宰はどうしてここまで小説を書き続けられたのだろう。一度彼の話を聞いてみたいーー。
改めて『二十世紀旗手』を読んだ結論としては、やはり難しいものは難しかった。私にはわかりません。お手上げ。
それなりに太宰について学んできたつもりだが、それでも『二十世紀旗手』の読み方は掴めず、「創世記」を読んでいるあたりから頭がぼんやりしてきて、「二十世紀旗手」を読む頃には内容が全く入ってこなくなり、結局語感だけを楽しむ読書になった。
『人間失格』に繋がる「HUMAN LOST」をしっかり読み込みたい方は、本作を後ろから読むことをお勧めする。
……とここまで書いて、短編集を頭から順番に読んでいく読み方は、もしかしたらメジャーではない?と思った。
よく考えたら、どの収録作品から読むかは読者の自由に委ねられているわけで、「後ろから読むことをお勧めする」のは、余計なお勧めかもしれない。閑話休題。
さて、「太宰治全部読む」は本作を以て、折り返し地点を通過する。
後半の9作品は、前半に比べて未読のものが多い。一層楽しみである。
ただ、このままのペースでいくと、2023年中に全作読み終えることができるか微妙なところである。「川端康成全部読む」とか「三島由紀夫全部読む」とか、早く別の作家の「全部読む」を始めたいのだけれど……。
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