爆ぜる文学性。”エモい本”を読んで、感情を揺さぶろう
皆さん、感情、揺さぶってますか?
平日は仕事に行って帰るだけ、休日はずっと寝ているだけ、そんな単調な日々をお過ごしの方も、もしかするといらっしゃるのではないでしょうか。
そんな感情の起伏の少ない日々に、一筋の光を差し込んでくれるのが、”エモい本”。
感情を揺さぶるようなエモい本を読むことで、忘れかけていたあの頃の気持ちが蘇る——今回はそんなnoteです。
”エモい本”とは?
最近よく使われるようになった「エモい」という言葉。
実はこちら、『三省堂国語辞典』に収録されています。実際に引いてみましょう。
まさに「心が揺さぶられる」ような気持ちを表現する形容詞が、「エモい」なのです。
『三省堂国語辞典』には、古語「あはれ」の意味に似ているという記載があります。数百年前の日本でよく使われていた表現が、言葉を変えて、現代に蘇った感じでしょうか。
さて、「心を揺さぶられる」ような気持ちには、プラスの感情もマイナスの感情もあると思います。
良くも悪くも、読むことで心が大きく揺さぶられ、エモさを感じる。そんな本をご紹介します。
拝啓元トモ様
いつしか疎遠になってしまった友だち、名付けて「元トモ」。
例えば、学校に入学したばかりの頃、席が近かったという理由だけで、初めの数週間は行動を共にしていた友だち。
または、毎日のように遊ぶ”親友”だったのに、卒業や引っ越しを機に、気づけば関わりがなくなってしまった友だち。
そんな、誰もがひとりは持っている、元トモ。『拝啓元トモ様』は、元トモに関するラジオリスナーたちのエピソードを集めた、とんでもなくエモい本です。
普通の人の、ごくありふれた元トモエピソードを読んでいるだけなのに、何故かめちゃめちゃ心を揺さぶられます。
心臓がキュッと締め付けられたり、ホロリと感動したり、いたたまれない気持ちになったり、感情が大忙し。なんというか、他人事として読めない感じです。
それはきっと、私を含む読者全員が何かしら元トモエピソードを持っていて、多かれ少なかれ、本書掲載のエピソードに共感できる点があるからだと思います。
本書を読んでいると、自らの元トモとの思い出の扉が自ずと開かれ、記憶が蘇ってきてしまうのです。
ライムスター宇多丸さんも書いているように、穴があったら入りたくなるような、悶絶ものの思い出だったとしても、それもきっと人生の豊かさのひとつなのだと思います。
すっかり疎遠になって、失われてしまった友人関係だって、その思い出とともに生きていくことができれば、それは豊かさのひとつ。そう思います。
こちらは宇垣美里さんの言葉。会わなくなった後も友人関係は続いていくという、とても素敵な考え方です。
人が元トモを思い出すと、そこに文学が生まれるようです。
本書はラジオの文字起こしのような感じで非常にライトに読めるのですが、中身は文学性が溢れすぎてぎゅうぎゅう詰めです。
あなたの元トモとの思い出も、それを聞く誰かにとっての文学。ぜひお読みください。
koto|いとエモし。
タイトル、『いとエモし。』。こんなにもわかりやすく、自らを”エモい本”と表明している本は他にありません。
冒頭で「エモい」は古語の「あはれ」に似ていると書きましたが、まさにその感覚に直結するような本だと思います。
古き日本で綴られた美しい言葉を現代語訳し、そのエモさを体感する本書。色彩豊かなイラストが紙面いっぱいに描かれており、言葉の持つエモさを引き立てています。
本書の中で、私が「これはエモい!」と唸ったものを、例としてひとつご紹介します。
30番目に収録されている、「旅の終わりと始まり」というものです。
松尾芭蕉が、各地を遊歴する中で詠んだ句を収めた俳書、『笈日記』。その中でも、死の直前に詠まれたとされる句がこちらです。
まるで病に取り憑かれたように、日本各地を旅する人生を送った芭蕉。
死の床についてなお旅に対する思いは強く、身体は動かせなくなっても、夢の中で旅を続けていくという気持ちを詠んでいます。
旅と俳句に生きる人生を全うした、芭蕉の格好良さが感じられとても良かったです。
このようなエモい言葉がたくさん収録されており、非常に心が揺さぶられます。
1000年前も現代も、人が”エモい”と感じることは、実はあまり変わらないのだな……とも思ったり。
本書は、1日1ページずつ読み進めていく読書もおすすめです。ぜひチェックしてみてください。
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