「師の師」という概念について
三章 「学び」における「師の師」という存在
思想家内田樹は教育に関する論考をいくつも発表しているが、本章ではその中でも彼の大学での講義をもとにして書かれた『街場の教育論』(以下、「本書」とする)における第7講「踊れ、踊り続けよ」で登場する「師の師」という概念について考察していきたい。
学びのシステムは存在するのか
本書の内容は、大学院での講義がもとになっている。この講義自体は学生が論件を提出し、それに内田が応えるという形式になっている。第7講における論件は「師弟関係はシステムとしてマニュアル的に構築できるのか」というものであった。これを内田は「学びのシステムは存在するのか」と読み替えて考察を始めることになる。
まず内田は論件の前提を疑う。つまり、どうやって「生徒、学生たちを学びの運動に巻き込むか」という問題の立て方自体がおかしいと。この前提に立てば、どこかに「巻き込む主体」が存在していることになるが-そして、それは学校教育においては教師であろう-学びのプロセスは、教師と子どもの二項関係ではないのだという。このことを内田は端的に「学びにおいて、人を操作的に学びに巻き込む主体は存在しない」と述べる。では、人が学びに入っていくのは、どのようなプロセスなのだろうか。内田はここで「教壇をはさんで行われる知の運動」について述べることになる。
ここから内田は「学びの場というのは本質的に三項関係なのです」と強調する。つまり、「師と、弟子と、そして、その場にいない師の師。その三者がいないと学びは成立し」ないのだと。上記の学生が提出した論件に欠けていた要素は、まさにこの「(その場にいない)師の師」という存在であり、内田はこの存在こそが「学びを賦活する鍵」であると考える。
起源にならない祖述者たち
内田は上記の考察を深めるために、孔子の事例を取り上げる。孔子は『論語』の「述而篇」において「述べて作らず、信じて古を好む」という言葉を残しており、この「述べて作らず」を内田は「私が教えていることは、私のオリジナルではありません。私は先賢の教えを祖述しているにすぎません」と解釈する。内田によれば、孔子が徳治の理想としたのが「周公旦の政治」であったのだが、それは孔子の時代にはすっかり忘れ去られていたものであった。それを孔子は「かつてすばらしい政治が存在したが、それが失われた」という話型でもって弟子たちに政治を語り、その弟子たちもまたそれを聞き取って「子曰く」という形で伝承した。これを「あらゆる「教え」の基本」型として内田は考える[1]。
さらに内田は、実際は、孔子の祖述自体が「孔子のオリジナル」であると考える。その理由として、祖述者が「祖述」という形で「起源を創造している」方が、「教えが効果的に宣布」されるという点を挙げる。これはつまり「私自身が私の語っている言葉の起源である」と言うと信用されず、「私は『先賢の語った言葉』を繰り返しているに過ぎない」と言うと信用してしまう、ということである。
この心性について内田は、「かつて一度は存在しえたものであれば、それをもう一度再建することも可能である」と人は考える、という説明をしている。例えば、これが「かつて一度も地上に存在したことのない理想的な政治体制を作りましょう」と言ったならば、「人間の能力を超えているのではないか」といった疑義が生じてしまう。つまり、人間のパフォーマンスは、課題が「一度はできたこと」であるか「一度もできなかったこと」であるかによって大きく変わるということなのだ。
このように内田は、学びや教えの力動性を「その場にいない師の師」という観点から考察していく。では、そこで行き交っている「もの」は学びや教えにどのように影響を与えるのであろうか。内田はそれを知的「コンテンツ」ではないと考え、むしろ「私には師がいる」という事実そのものに見る。
内田はエマニュエル・レヴィナスの事例を取り上げつつ、以上の点を考察する。レヴィナスにはシュシャーニ師という師がいた。そしてこの師に出会ったことによってレヴィナスは「レヴィナス哲学」を切り開いていったと内田は考える。しかし、シュシャーニ師がレヴィナスに教えたことは「哲学」ではなく、「ユダヤ教の教典であるタルムードの、それも「アガター」と呼ばれる一領域についての解釈の仕方だけ」だった。このことから内田は、「レヴィナスの知的可能性を開花させたのは、師から「教わったこと」ではなくて、「師を持ったこと」という事実そのものだった」と分析する。この事象を内田は「私の外部に、私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたことによって、人は自分の知的限界を超える」と表現する。
「他者の倫理学」とも呼ばれるレヴィナス哲学の生成を上記のように記述した内田は、レヴィナスについて言及した別の稿において、「他者」という言葉を用いて師弟関係についてこのような記述をしている。
これは「師の師」ではなく「師」の記述ではあるが、その「師」を「他者」ならしめている要因が「師の師」だとすれば、弟子の立場にいるものは、もう「起源に直接触れることはできない」のであるが、それこそが祖述者の仕掛けとして効果的に機能していると考えることもできる。
このように内田は学びや教えの力動性を、教師と子どもの二項関係から捉えるのではなく、その場にいない「師の師」という概念を用いて説明する。これ自体を非科学的だとか、スピリチュアルだと一蹴することは早計であろう。マルクスだって商品の価値に対して「物神」という霊的な力を看取していたし、ホッブスも国家をリバイアサンという「怪物」に例えていた。アダムスミスは、経済の作用を「神の手」になぞらえている。マルクス研究で知られる柄谷行人は、このようなものを安易に退けるべきではなく、「人ならざるものの力」について分析している(柄谷行人『力と交換様式』)。
そうであるならば、教育という事象についても、「人ならざるものの力」という視点から考察がなされてもいいのではないであろうか。
[1] ちなみに、このような「教え」は孔子の事例に留まらないことも内田は指摘している。アブラハム系の宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム)における聖典はみな「神から言葉を託された人」である「預言者」たちによるものであり、それは「私の言葉の起源は私の中にない」ということを示している。