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無知の知(ソクラテス)


哲学の祖、ソクラテス

 次はソクラテスです。ソクラテスもプラタゴラス同様に古代ギリシャの人です。しかし、ソクラテスは当時古代ギリシャで活躍していた相対主義者とは違いました。相対主義者は、真理の探究というよりも、相手を論破する弁論術について長けていたので「知恵を持つ者」という意味の「ソフィスト」と呼ばれていました。

 一方、ソクラテスは「ソフィスト」ではありません。ソクラテスは「フィロソファー」と呼ばれています。これは「知恵を愛する者」という意味です。もちろん、英語で哲学は「フィロソフィ―」ですね。相手を論破するという行為自体にも「知恵」は必要ですが、それは単なる「相手との競争」であって、真理の探究とは異なります。一方、ソクラテスのフィロソファーとしての態度は常に「相手との対話」に開かれていました。そのような知的な態度から、多くの人はソクラテスを敬愛し、多くの弟子を持つことになりました。その中の一人が、こちらも哲学界の超有名人であるプラトンです。

ソクラテスの弟子であるプラトン

 少しプラトンに脱線しますが、プラトンは「イデア」という「理想的な姿」がすべてのモノにあると考えました。これは、ウマやリンゴなどのように、よく見るとそれぞれに少し違いがあるにも関わらず、我々はそれを過たずにウマやリンゴと見分けることができるのは「ウマのイデア」や「リンゴのイデア」を知っているからだ、という考えです。

 そして、このイデアは「考え」にも適用できます。例えば、「教育のイデア」や「指導のイデア」ですね。プラトンはこの思想を政治に適用しました。つまり、政治はソフィストに染まった相対主義者がするのではなくて「政治のイデア」を知る「哲人王」がするべきだという考えです。そして、その哲人王を育てるためには「教育」が必要であり、プラトンは「アカデメイア」という教育機関を作ることになるのです(これはアカデミーの語源です)。そこで哲学を学んだ人を育てて政治をしてもらおうと考えたわけです。さらに、そのアカデメイアの卒業生にはアリストテレスもいます。

プラトンの弟子、アリストテレス

次はアリストテレスに脱線しますが、アリストテレスは「万学の祖」と言われ、「世界を征服した」と言われるアレクサンドロス大王の家庭教師を務めていたことでも有名です。アリストテレスは師匠であるプラトンのイデア論には反対の立場でした。イデアの代わりにアリストテレスは「事物の特徴を考える」という方法を取りました。例えば、「ウマ」というのは「ウマのイデア」を知っているから「ウマ」だとわかるのではなくて、「顔が長くて、たてがみがあって、足が長い生き物」だから「ウマ」とわかるのであるのならば、そのような特徴を並べていけば生き物の分類ができるということを考えたわけです。

 これは、現在の「学問的な考え」そのままですね。だから、アリストテレスは「万学の祖」と言われているのです。他にも「三段論法」や「形而上学」でも有名ですが、ここでは割愛しますので、興味があれば調べてみてください。とりあえず「ソクラテス→プラトン→アリストテレス」という師弟関係は、これまでの人類の師弟関係の中でもそのネームバリューが強烈だなと感じたので紹介してみました。

ソクラテスの産婆術

 話をソクラテスに戻します。ソクラテスは当時、圧倒的な知名度を誇っていた相対主義者であるソフィストに対してどのように「対話」をしかけたのでしょうか。それはソクラテスの対話がしばしば「産婆術」と表現されることからも分かる通り、「相手に新しい知のきっかけ」を与えるような対話だったそうです。では、ソクラテスの対話を具体的に見ていきましょう。

 ここでは「全員がしっかりと理解できるまで諦めてはいけない」という教育観をお持ちのベテラン教員とソクラテス先生との対話を想定しましょう。

ソクラテスの対話を実演

ベテラン教員:「私はこれまでの教員生活で、子どもたちの全員が理解できるまで、諦めずに指導してきました。もちろん、子どもたちの中には勉強が苦手な子もいます。でも、子どもたちには無限の可能性があるのです。だから、教師が指導を諦めなければ、子どもたちは必ず全員が理解できるようになるのです。できるようにさせられないのは、教師の熱意が足りないからです。すべては『子どもたちのため』なのです。」

ソクラテス:「ほうほう。それはすごいですな。では、まず、一つ目の質問ですが、子どもたちが『理解する』とはどういう状態ですかな」

ベテラン:「それは、テストの点数が取れるようになることです。」
ソクラテス:「テストの点数はそんなに万能な数値なのですかな」
ベテラン:「他に『理解した』を測る数値なんてありませんから」
ソクラテス:「では、そもそも『理解する』という状態を、あなたはわかっていないのではないですか」
ベテラン:「ぐう」


ソクラテス:「二つ目の質問ですが、『教師の熱意』とは何ですか」
ベテラン:「それは、子どもたちの可能性を信じる気持ちのことです」
ソクラテス:「それは、教育の中でどういう役に立つのですか」
ベテラン:「教師の熱意が無いと指導は中途半端に終わります。学校の勉強には連続性があり、2年生ならば2年生の勉強をきっちり理解できていないと、次の学年の勉強がわからなくなってしまいます。」

ソクラテス:「しかし、あなたは先ほど『理解する』ことを『テストの数値』程度でしか理解していないと述べていましたね。つまり、それは『あなたが納得する数値を出す子ども』を育成していることになりませんか」

ベテラン:「でも、やはりテストの点数は大事です。保護者の多くだってそれを望んでいます。」
ソクラテス:「では、あなたは『子どものため』と言いながら、『保護者のために』教育をしていたわけですね。」
ベテラン:「ぐう」


 このようにソクラテスの対話とは「相手へ質問を繰り返す」という手法だったと言われています。これを繰り返されると相手は、いずれ自分の主張と主張とがズレてきてしまい、逆にソクラテス側は質問し続ける限りは絶対に言い負かされないということになります。

 では、どうしてソクラテスはこのような少々意地悪にも見える対話をソフィストに仕掛けたのでしょうか。それは、ソクラテスの幼馴染であるカレイポンがデルフォイという神殿で「ソクラテスよりも賢い人はいるのだろうか」と神に尋ねたことがキッカケだと言われています。ソクラテスはそれを確かめるために、当時、「知恵をもつ人」と言われていたソフィストたちに対話をしかけたのです。しかし、ソフィストたちはソクラテスの意地悪な対話にうまく応えることが出来ず、恥をかかされることになります。しかし、ソクラテスはそれでも満足しませんでした。どこかに「真理」はあるはずだ。この世界の価値はすべてが相対的であるわけがない。そして、ソクラテスは対話の中で真理の探究を行うことに情熱をかけたのです。

無知の知

 このソクラテスの情熱の源はなんだったのでしょうか。それが、かの有名な「無知の知」なのです。つまり、ソクラテスは「自分はまだ何も知らない」と考えていたのです。だから「知りたい」という情熱を持つことができる。当然ですが、「私はすべてを知っている」という者は、もうそれ以上「知りたい」とは思えませんよね。そして、ソフィストたちは当然「私は全てを知っている」という態度だったことは明白です。だって、「相手との競争」である限り、「私は知らない」なんて口が裂けても言えませんから。そんなことを言ってしまったら、すぐに相手に論破されてしまいます。

 教育の世界も相対主義であると、先ほど述べました。学校という組織には管理職やベテラン教員がいます。彼ら彼女らには「経験値」という、若手や中堅では絶対に敵わない「時間の重み」があるのです。そして、教育の世界では、この価値がまだまだ権力をもっています。管理職やベテラン教員の気持ちもわからないではありません。20年以上も現場の第一線で辛酸を舐めながらもやってきたという自負は、どこかの誰かの「真理」なんかには絶対に負けないほどの説得力を帯びていることでしょう。

 しかし、人間の経験というものは、実は「狭い視野」であるという視点を忘れてはいけません。ビスマルクの言葉を再度引けば「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」です。自身の経験という狭い檻から、周りへの影響力を行使していることは愚行になりがちなのです。我々は自分の経験だけから学べるほど長生きはできません。だからこそ、書物という「人の歴史」からも学び続けなくてはいけない。そして、学ぶためには「自分は十分に知っている」という態度よりも、「自分にはまだまだ知らないことがある」という態度の方が、学びのモチベーションには良い影響をもたらすことは明白です。

 一つの学校レベルで威光を放つようなベテランではなくて、学校を超えて地域を代表するような伝説的な教員には共通項があると感じます。それは「学び続ける」という姿勢です。自分の実践は決して完成形ではない。まだまだ改良点があるはずである。書物からも、もちろん同僚の新任の先生からだって学べるところはある。そう考えて実践している「姿勢」こそ、ソクラテスが古代ギリシャで敬愛された姿勢そのものなのです。

 しかし、ここで我々は古代ギリシャのソクラテス先生から難しい問題を投げかけられました。それは「教育には真理があるのだろうか」ということです。相対主義的に教育を捉えてしまえば、「教育には正解がない」ということになり、前述の通り、教師の熱意ある指導による圧力に虐げられてしまう子どもたちが生まれてしまいます。かといって、放任であれば、次年度の学習にも影響を及ぼすでしょう。さて、我々はここで進退極まってしまったようです。しかし、ここで哲学界には「真理探究のリーサルウェポン」が存在しているのです。それが次章で扱う「現象学」なのです。