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死後の鞄に何を入れる?の話

ある日、美人の整体師さんに施術を受けているときの会話で、こんな質問をされたことがあります。

「もし自分が死んだあと、家族に届けることのできる遺品が鞄一個ぶんだけに限られるとしたら、太郎さんはその鞄になにを入れますか?」

というものでした。

これは、とても面白い質問です。

彼女はYouTubeで「遺品整理」の動画を見た影響でその質問をしたとのこと。
家族と離れて暮らし、そして孤独死だった場合に、家族のもとへ届けて欲しい遺品を鞄につめるとしたら、太郎さんは何を入れますか?という質問でした。

私は迷わず、「今まで書いた日記と、フス戦争の研究ノート!」と答えました。

整体師さんは、「へぇー!自分で描いたイラストとかって答えると思ってました。でもどうして、日記とか研究ノートなんです?」と、さらに聞いてきます。

私は
「家族のもとに、っていうよりも、後世に残したいからですね。絵はあんまり残す価値は無いけど、研究ノートは、それを後世の誰かが引き継いでくれるでしょ。日記には、研究のヒントが書いてあります。なのでセットで残せば、物好きな誰かが研究の続きをやるときの手助けになるでしょう。
でもそれだと、ノートと日記を合わせて60冊ぐらいになるかも。ギリギリ鞄に入るかな。」
と答えました。

「へぇー、後世に残す、っていう発想は私にはありませんでしたねー!」と整体師さんは言いました。

答えたあと、自分でも驚きました。悩む間もなく即答だったな、と。なるほど、私は研究成果を後世に残したいんだな、と、初めて言語化できたのでした。

また、即答できたのにはもう一つ理由がありました。

東日本震災のときの強い揺れを体験しておりますので、いざというときのために、枕元には「鞄」を常に置いています。
その中には、フス戦争に関する書物と、研究ノート数冊がぎっしりと入れてあるんです。

避難にはふさわしくない荷物ですが、火災などの際はこれだけは焼失させたくないので、他のどんな財産よりも優先して守りたいと思っています。

整体師さんからの質問については、実は既に実行してあるものだったということですね。

ノート60冊はさすがに鞄に入りきらないので、適当なスーツケースでも用意し、それに詰めるとしましょう。


ばくさんのかばん、をイメージ


さて、その質問と回答に関連して、私は2つの漫画を思い出しました。

1つは、最近アニメ化もし、話題となった「葬送のフリーレン」という作品で、もう一つは数年前の「チ。-地球の運動について-」という作品です。

その2つに共通するのは、「後世に何かを残すために奮闘した、数々の人間のドラマ」が描かれているということです。

「チ。」は、中世ヨーロッパが舞台となり、天体観測から「地動説」を発見した人がいまして、それを発表すると世界の秩序がひっくり返るので、権力者から異端視されて拷問を受けたり「火炙り」にされるんですね。
でも、自分は死んでも良いから、なんとか「地動説」を後世に残し、発表しても大丈夫な時代までその説を生き残らせようと、何人もの主人公がバトンタッチしながら物語を紡いで行くという話です。

もう一方の「フリーレン」は、ファンタジー作品なのですが、人間よりはるかに長い寿命をもつエルフの女性が主人公となり、エルフから見ればほんの一瞬とも言える短い寿命の人間が、その短い生涯を何のために費やすのか、というのを、エルフ視点から描いてる作品です。

短い寿命を背負いながらも、人間たちは「後世の人間が幸せに生きれるようになるための今だ」と言って頑張ったり、「エルフのお前が一生かけても学び尽くせないような知識を、本にして残してやるんだ」と言って研究に人生を捧げたりしていました。
登場する人間たちはみな「自分が存在しなくなった後の世界をも幸せにしてやろう」という気概をもって生きているのです。

私はこれらの作品に、すごーーく共感できます。
なぜなら、同じことをしているからです!

そもそも、私は前世の時代からそれをやっていました。
15世紀のチェコはまさに「チ。」と同じで、当時の社会ではキリスト教に反する思想はタブーでしたから、前世とか生まれ変わりについての考えを書いたり述べたりするのは禁忌でした。

なので、言論や思想の自由がある現代の日本に転生し、前世では実現できなかったものをやり遂げようとしているのです。

フス戦争の研究も、前世からの悲願です。
生きているうちは戦争や政治抗争に駆り出されたりしたため、戦没者たちの伝記を書く暇はありませんでした。
なによりも右腕がほぼ動かなくなっていたと思われるため、物理的にも無理だったでしょう。

今世でも「右腕に重傷」を負ってしまいましたが、それは私が前世を意識するためのトリガーとして必要だったものだと思いますし、今回はペンを持つぐらいの機能は残っているので大丈夫です。

たとえ不慮の事故で、志半ばでこの世を去ることになったとしても、きっとまたすぐ生まれ変わって、今度は「研究太郎という人物について」の研究をするんだろうなと思います。

今日の話はこれでおしまい。


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