うまくできないことだからこそ、ずっとつづけられるんじゃないかと。 2020/08/11
心なしか冷房の効きが悪くなった気がする、それくらい暑い。会議の合間にハンバーグ丼を食べさせたりと、なかなか綱渡りな感じで乗り切った1日だったのだけど、本当に暑い。そして、毎朝、前日のことを書いていたこの日記のペースが乱れた。すでに夕方である。
「ミナ・ペルホネン」のデザイナー、皆川明さんの半生を語り下ろした『生きる はたらく つくる』を読んだ、ことを書くのを忘れていた。
保育園の頃、いちばん熱中していたのは泥だんごをつくることだった。粘土でウサギとかリスをつくるのも好きだったけれど、泥だんごをつくるのだけは特別で、手のなかの泥だんごの感触はいまも忘れていない。
皆川明『生きる はたらく つくる』P.10
これを読んで自分も小さい頃、黙々と黒光りする泥団子をつくるのが好きだったことを、唐突に思い出した。ほとんど忘れていたことのフラッシュバック。年をとると、こういうことが増えていくのだろうか。と、同時に、娘たちが泥団子作ったとか見聞きしてないな、とも思う。あの職人技っぽい泥団子、一緒に作りたいような気もするけれど、こんだけ暑いと外には出たくない。
縫ったりするのは、けっしてうまくない。うまくできないことは、なかなか覚えない。上達するのに時間がかかる。だから逆に、こういう仕事は自分にとって、長くやっていられそうな仕事だな、と思ったのだ。うまくできないことだからこそ、ずっとつづけられるんじゃないかと。妙な考え方だと思われるかもしれない。スキルとかキャリアアップの発想からすれば、得意でないものを四苦八苦してやっているのは効率も悪いし、ストレスだし、得るものが少ないーーそう考えるのが普通だろう。でも、そうは考えなかった。この仕事は自分の得意なことではないから、長くつづけられそうだ、と当たり前のように思う自分がいた。
皆川明『生きる はたらく つくる』P.44
そしてこれ、結構感動したというか、物事に向かい合う姿勢とか時間軸のスパンとかが、とてもいい。効率厨みたいな話が支配的な世の中で、こういうことを訥々と語る人がいる。まぁ、ほんと自分に合った形がよいよ。こうじゃなければいけない、みたいなのとかこの方が楽だ、とか、安易にこれは無駄だとか、そんなのわからないので、自分に合った、自分のやりたいようなことを、そういうペースでできる場所とか仲間を探した方がいいし、なければ作っちゃえばいいということなんだと思う。
出発したとき十五万円あったはずの所持金が、どうしてそんなに乏しくなっていたのか。じつは、フィンランドのロヴァニエミから足を伸ばしたラップランドで、一着十万円もする服を買ってしまったのだ。クラフトショップに売っていた、地元の作家によるオリジナルの服。バリまで辿りつけばアルバイトが待っているという頭もあった。ユーレイルバスがあるから、夜行列車に乗れば宿泊費はかからない。切り詰めれば残りの四万円ほどで何週間か過ごせるだろうと思ったのだ。
皆川明『生きる はたらく つくる』P.71
なんかめちゃくちゃ堅実そうに見えて、旅の序盤にこういう買い物の仕方するところが人間臭くていい。学生時代友人と二人でカメラ抱えてフランス、イタリア、オーストリアと鉄道で移動する旅をしたのだけど、最初の滞在地パリでアウグスト・ザンダーの写真集『20世紀の人々』を見つけてしまって、7冊揃いで3万円くらいだと思ったけど思わず買ってしまったことを思い出した。お金というよりは、その重さの方が問題で、重くて運べないから簡易なスーツケースも買って、そこに入れて持ち歩いてたんだけど、疲労困憊して最後に安宿の階段持ち上げられなくなったりして、友達に持ってもらうというはた迷惑な買い物をしたことを思い出した。
当時のが上で、当時の7分冊が合本された再販版が下かな。
ポートレイト集なんだけど、本当にいろんな人がいて、写真というのは、たくさんの情報を記録することができる、表現することができるものだということを思い知る作品集。本当に見ていて飽きない傑作なんだよなぁ、と思いながら写真撮りたい欲がむくむくと頭をもたげてきている。もう20年、写真撮っているのに、全然うまくならない。長く続けられそう、なのかもしれない。
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