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中沢新一『対称性人類学』/人間の幸福について

中沢新一さんの「カイエ・ソバージュ」というシリーズの本を秋頃から読んでいた。『人類最古の哲学』、『神の発明』、『対称性人類学』。書いてある内容は人類の歴史、民俗、宗教、哲学、経済などなど多岐に渡る。
「ほぼ日」でも中沢新一さんの特集ページがあってこれも読み応えがあった。
とても刺激を受けたのだけれど、その思いをなんと言葉にしたらいいのかが分からずにいた。
いまだうまく言葉にできないけれど、中沢さんから僕が受け取ったものをあえて自分の言葉にして表現してみようと思う。

思い切って一言でいえば、人間の幸福についてなのかな。

①人間はどういう生き物なのか
人は複数性・多数性から成り立っている。
それが表現や芸術を生んだ。
(ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』と重なる部分が多かった)

②その人間性はたびたび脅かされる
今は金融資本主義、新自由主義によって不平等や分断が生まれ、格差が拡がるばかり。世界の限定化・固定化。
僕ら庶民すらも団結を声高に叫ぶもそれが分断を生む「呪いの言葉」に染まってしまっている。

③ここから、どうしたらいい?
起源に還る。人はどういう生き物なのかについて知る。
間をつなぐ仲介者になること。かき混ぜること。


①人間はどういう生き物なのか

どうやら私たち現生人類の心は、まったく仕組みのちがう、ふたつの思考のシステムの共存として働き続けているようなのです。

つまり、人類の心は、合理的な言語のモジュールにしたがって組織されて非対称の論理で動く層と、現生人類の心を特徴づけている「流動的な心」の流れでできた対称性の論理で動いている層とがひとつに結合している、「複論理=バイロジック」としてつくられているのです。

同時にそこには、現実との対応関係をもたないでも勝手に肥大していくことのできる幻想界というものがつくられて、妄想もできる狂気にも陥りやすい性質が、あらわれてくるようになります。
現生人類は自分のなかに狂気への可能性を開くことによって、はじめてそれまでの人類たちを越えた存在になった、と言えるかも知れません。

そのとき人類は自分たちの心に芽生えた「流動する心」というものに直接触れる体験を持とうとしていましたが、その「流動する心」の働きと一体になった表現技術が、あの壁面にみごとな芸術作品を生み出してみせたのです。

ユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』で書いた認知革命のこととよく似ている。それまでにもいたネアンデルタール人らホモ属になくて、人間=サピエンスにあるものそれは虚構(フィクション)だという。
表現や芸術も現実にはありえないものだけに虚構のひとつだといえる。芸術表現ができるということが人間であるとも言えるのかもしれない。


②その人間性はたびたび脅かされる

資本主義は〈一〉の原理が経済の領域で覇権を握ったことによって、はじめて可能になったメカニズムなのです。p106
〈一〉によって人間と神が分離されると、そのとたんにあらゆる領域で不平等が発生するでしょう。(中略)支配する者と支配される者の非対称的な関係がかたちづくられ、支配者はますます神の領域に自分を近づけていこうとするでしょう。p113
神をめぐる宗教の領域におこった「一神教の神の出現」と、経済の領域におこった貨幣経済の発展形態としての「資本主義の出現」と、政治権力の領域におこった「国家の出現」とは、深い内在的なつながりがあります。それぞれが本格的に出現したり、発達したりした時期は違っていても、そこには一貫して〈一〉の原理が貫かれています。p115

資本主義にしろ新自由主義にしろ、単一に収斂させていくシステムが人間性を破壊していくんだろう。人間は複数性だから。でないと、表現や芸術を生み出せない。それはつまり人間が人間でなくなるという危機。
時代の閉塞感や窒息感みたいなものは、〈多〉である人間が〈一〉の原理に蹂躙されているために感じてしまうんだろう。


③ここから、どうしたらいい?

シンデレラ物語の究極的な目的は、もともとはいっしょだったのに不平等ができたり、たがいに分離されて仲介を失ってしまっていたもののあいだに、もう一度仲介された状態をつくりだすことにありました。それが「ハッピーエンド」ということの本当の意味です。p129
ハッピーエンドが意味を持つためには、仲介が欠如している状態が、冒頭に出てこなければなりません。つまり世界が仲介を欠いて、コミュニケーションが起こりにくくなっている状態、またはコミュニケーションが途絶している状態があらわれていなければなりません。p129

人間性が破壊されないためにできること。それは人間について、人間の起源について知ることなんじゃないかな。なんつーか、人間の誕生期にヒントがありそうじゃないすか。

〈多〉である人間が〈一〉の原理に蹂躙されていくと、分離分断が起こる。分離分断された世界にもう一度つながりをつくるには仲介者の存在がいる。
仲介者によって通路が開かれる。


◆◆◆

もうちょっと整理できたらいいんだけど、今の自分ではこれがやっと。
中沢新一さんから受けとったことについてはまた改めて言葉にする機会をつくろうと思う。


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