廃棄物処理業者

その会社の社長と初めて会ったのは、私が高校を卒業後に入社した会社でOLをしていた頃でした。

私の持っていた原付バイクを、
「もう乗らないんだし保険をかけ続けるのはもったいないから処分してしまおう」
ということになった頃、タイミングよく自宅のポストに
『いらないもの引き取ります』というチラシが入っていたので、母が3000円を業者に支払い引き取ってもらいました。
数週間後、そのバイクが売れたからといって、その業者が1000円を届けにきたそうです。
どちらの日もわたしは不在でしたが、母は気を良くし、その後、勤め先でいらないものが出ると、この業者に引き取ってもらっていました。
それを聞いていたので、私も、勤めていた会社で不要な物がたくさん出た時に、頼んでみたのです。
私は総務課だったので、倉庫を片付けたり、その時に出た不要な物を処分することも仕事のひとつでした。

社長は、当時は40代後半くらいだったでしょうか。
グレーの汚れたスウェットをはき、白い半袖Tシャツ姿で坊主頭、お腹が出ていて、笑ったまま戻らないような細い小さな目をしていました。
自分は過去にお寺で修業をしたことがあり、お坊さんを目指していた、という話を、不要な物をトラックに運びながら話していました。
作業員とさっさとトラックに積み込むと、私に1000円を手渡してくれました。
紙類は売れるから、というようなことでした。
ポケットマネーにすることも出来ましたが、それはせず、もらったお金でお茶菓子を買い、3時のお茶の時間に皆に出しました。
そして、その後は、会社でとっている古新聞などがたまると、その業者をよび、引き取ってもらっていました。

結婚して会社を辞めることが決まり、そのことを業者の社長に話すと、
次に不要物の引き取りを頼んだとき、お祝いをくれました。
1万円も包んでありました。
だいぶ金額が大きかったので、そのままというわけにもいかず、新婚旅行先でお土産を買い、送りました。
それで自然に住所を知らせることになったわけです。

その後は時々、なぜかたくさんの地元の野菜を送ってきました。
一家族ではとても食べきれない量でした。
お礼の電話をすると、
「近所に配って、近所の人と仲良くしなさい」
と言われました。
その後も毎年、同じように野菜が届き、電話をすると
「帰省した時には顔でも見せにきてください」
と言われました。
とはいえ、帰省した時というのは、赤の他人に顔を見せに行くほど暇ではなく、
「はい」と答えても、なかなかそれは実行に移すことは出来ませんでした。


あるとき、夫が、会社を辞めたいと言い出しました。
以前から《あぶない》という噂があった夫の会社で、早期退職者を募集し出したのです。
仲良くしていた同期が早々に退職して別な会社に入り、それを聞いて自分もその会社に入りたくなったようでした。
私は、いつかは夫と離婚すると決めていたので、夫がどこに勤めようとどうでもよく、
「どうぞ好きなようにして下さい」と答えました。


何度か離婚話を持ち掛けたことがありました。
夫は長女を溺愛していたので、どうしても長女を手放せないと主張し、
いつも話はまとまらず、ずるずると家族のまま生活していました。
転職したい、でも、それを機にまた離婚話になるのを避けよう、とでも思ったのでしょう。
私の地元で就職すると言い出しました。
夫が転職を希望していた会社は、全国にあるとはいえ、異動エリアが決まった会社だったのです。
その当時は、夫の地元に住んでいましたが、いつかまた転勤があると思っていました。
数年だけしかそこに住むわけではないと思えばこそ、夫の実家との付き合いも
「今だけ今だけ」と、我慢できていました。
そのエリアで就職してしまうと、離婚が実現するまではその地に住むことになるわけです。

夫は長男でしたが、姉が2人と妹もいたので、義母は、夫が私の地元に戻ることになっても仕方がないと、以前から諦めていたようです。(義父は結婚してから数年後に亡くなり、その頃は義母しかいませんでした)

私は母子家庭の一人っ子とはいえ、母とは不仲だったので、自分の地元に帰りたいとは思っていませんでした。
かといって、夫の地元に永住するのは嫌だし、
お互いの友人や親戚が一人もいない地に永住する勇気はありませんでした。

かくして、地元に戻ることとなり、
子供達を保育園に転園させるために、
なぜなのか先に必要な就労証明書を(引っ越す前に就労しているわけないのに)、廃棄物処理業者の社長に書いてもらうことをお願いしたのでした。
そして、実際にそこで働くことになりました。


会社といっても、外からはゴミ屋敷のようにしか見えません。
敷地内に小さなプレハブ小屋があり、周りには高々と、電化製品や家具などが積んでありました。
社長の自宅もその中にありましたが、どこが生活スペースなのかわからないくらい、雑然としていました。(最後までわかりませんでした)

基本的に事務仕事をやるように言われましたが、事務的な仕事などほとんどないので、作業員の人達と外でする仕事ばかりでした。
私が入った頃は、作業員は4人いて、皆日雇いの人達でした。
日当は1万円で、毎日帰りに現金で支払っていました。
私は時給1,000で、給料制にしてもらいましたが、明細があるわけでもなく、お給料日に現金をポンともらうだけでした。

「あんたの都合のいい時間に来て、都合がいい時間に帰ればいいよ」
と言われ、出来るだけ早めに保育園に子供を預けて出社するのですが、
社長が早起きな上にせっかちだったので、作業員の人達もそれに合わせ、
朝7時頃から働いていました。

私が会社に着いてから、まず最初にするように言われたことは、
新聞のお悔やみ欄をチェックし、載っている市内の人の住所と名前を、ノートに書き出すことでした。
その日のうちに、社長がその家々を回り、『いらないもの引き取ります』のチラシをポストに入れるのです。
すると、数日後、面白いように電話がかかってくるのでした。

約束の日に、2tトラック2台でその家へ行き、お客さんに言われたものをとにかく荷台に積み込みます。
帰ってきてからは、それらを荷台から下ろし、解体して分別します。
例えば、木製の家具などはバラバラに解体して燃えるゴミに、
ベッドのマットレスやソファーなどは、
布や皮の部分は燃えるゴミ、
中のスプリングや鉄パイプなどは、鉄くずを集める業者へと運びます。

たまたま1日に2~3件そのような仕事が入っているときには、
急いで荷物を積んでは会社へ戻りすぐに下ろし、また次の家へ向かい荷物を積んで下ろしを繰り返し、次の日にゆっくり解体する、という感じでした。

荷物の中で見つけた金目の物は、見つけた人がもらってもいいということになっていました。
私は、束になったテレフォンカードや図書カードを見つけてもらったことがありましたが、箪笥の引き出しを壊していたときに、底の部分に敷いてあった紙の下から何枚ものお札が出てきたのを発見して、それをもらった、という人もいました。

お客さんの荷物をトラックに積むときには、どうせ壊す物なので、引っ越し業者のように丁寧に積むことはなく「ぶん投げる」という感じでした。
また、解体も、大きなハンマーで
「ぶち壊す」という感じ。
ストレス解消になり、気分爽快でした。
つい数ヶ月前までスーツを着て働いていたのに、
その会社へは、化粧もろくにせずに、汚れてもいい格好をして行き、服の上からは割烹着を着ていました。

物を壊すと、その物の作りがわかります。
「こうやってできているのか」
と思ったものです。
ですが、リサイクルしなければいけない家電や、冷蔵庫やエアコンなどガスが出るものも、そこでぶち壊していました。

お昼は毎日お弁当を用意してくれました。
作業途中に飲食店に寄り、ごちそうしてもらうこともありました。
とても助かりました。
社長の家にはおばあちゃんが住んでいて、はじめは社長のお母さんなのかと思っていましたが、赤の他人でした。
80代のおばあちゃんでしたが、社長の内縁の奥さんだったようでした。
このおばあちゃんが、ときどきカレーを作ってごちそうしてくれました。
ニンニクたっぷりで、ものすごく美味しくて、作業員のみんなにも大評判でしたが、外との区別がつかないような台所で作っていたので、よくアリなどが入っていました。
「今日はアリカレーだなこれは」
などと言いながら、それでも美味しいので皆アリをよけながら食べていました。

3時にはおやつも出ました。
社長が甘いものが好きだったので、毎日どこからかおまんじゅうなどを山のように買ってきて、出してくれました。
また、業務用の冷蔵庫にいろいろな飲み物が冷やしてあり、好きな時に好きなだけ飲んでいいことになっていました。

契約をしていて、毎週通う場所もありました。
数ヶ所の県立高校で、校内で出たごみを引き取って処分していました。
引っ越し業者とも契約していて、ダンボールや、お客が不要になった電化製品や家具などを引き取りにも行きました。
廃棄物処理業者とはいえ、基本的には何でも屋だったので、
個人の家の庭の草むしりに行ったり、大きな木を切り倒しに行ったりもしました。

大きくなくても、植木を刈るような仕事もありました。
社長は、見積もりに行く前日にその家の様子を見に行き、
お金がありそうな家と見ると、見積もり時に
「これくらいなら2人でできますね。人件費は2万くらいです。あとは、処分費が別途かかります」
などと言います。
お客さんに
「では、お願いします」
と言われると、作業日の約束を取り付けます。
当日は、4人ほどで行ったりします。
2人でできるような仕事なので、すぐに終わります。
お客さんも、さっさと仕事が終わり、気を良くします。
お金は当日にはもらいません。
「処分費がいくらかわからないので、あとで請求書を届けます」
と言って、その日は帰ります。
そして、処分費が高かったと言って数日後に5~6万円請求するのです。
もちろん、お客さんは文句を言いますが、
「木の枝はけっこう処分費がかかっちゃうんですよ」
などと言われると、しぶしぶながらちゃんとお金を払うのです。
最初に母がバイクの売り上げを返してもらったあれは何だったのか…?
と不思議になるくらい、
「これは詐欺では?」
と思ってしまう仕事が多かったです。

また、社長はエロ話が大好きで、たまに事務所の中で請求書作成の仕事があると、嫌になるくらい何時間でもそのような話をするのでした。
内縁のおばあちゃんとも現役の関係らしく、気持ち悪くなるような話も聞かされました。
事務所には、たまに娘もやって来て、娘も彼氏とのそういった話を聞かせて来て
「親子だな~」
と思ったものです。

私が毎日するように言われていた仕事はもう1つあります。
敷地内に番犬として飼われている犬数匹に、エサをあげることでした。
数匹は、離れた場所にそれぞれ繋がれていました。本当にただの番犬でしかないので、いつも、ずっと繋がれたまま。
糞は、たまるとおばあちゃんや娘がとって捨てていましたが、犬達の周りや体はいつも、抜けた毛やゴミだらけでした。そして、ダニだらけでした。
エサをあげに行くと尻尾を振ってとても人懐っこいのですが、
会社が休みの日に、何かの用事で行ったときなど、歯をむき出して、
今にも噛みつきそうに吠えてきました。
番犬として、とても優秀ではあります。
でも、毎日ご飯をあげているのに…?
いつも尻尾を振っているのに…?

そのことを作業員の人に話すと、
「ちゃんと吠えないと、社長に金属バットでぶちのめされるからだよ」
と言っていました。
今までも何匹も、バットで殴り殺された犬がいるとか…
ある日、エサをあげに行くと、いなくなっている犬がいました。
作業員の人が
「昨日社長が毒を食べさせて殺したらしいよ」
と言っていました。
ちゃんと吠えようが吠えまいが、気分で殺されてしまうこともあるようでした…

お坊さんの修業をしたことがあると、私にも言っていたし、
お客さんにもよく話しているけど…
こんな人がよくそれを目指したものだ。
なれなかったことにも納得…

社長の気分で早く終わる日もあったり、
雨の日は休みだったり、
途中で雨が降ってきて早く終わったり…
作業員の人達は、仕事が終わるとそのお金を持ってパチンコ屋に行き、
いつもお互いにお金を借りたり貸したりしていました。

パッカー車という、いわゆるゴミ収集車を、私も運転させられるようになりました。
普通免許を持っていれば運転できるのです。
マニュアル車ではありますが、普通の道路を運転する分には、特に難しいことはありません。(マニュアル車で免許を取ったので)
ですが、清掃工場へ行き、焼却施設にゴミを捨てるのは大変でした。
まず、ゴミを捨てる場所は高いところにあって、
ちょうど一般家庭の可燃ごみを集めてきたパッカー車が戻ってくる時間などににぶつかってしまうと、
高いところまでいく坂の途中に停まらなければなりません。
そしてもちろん、そこから発進し、ちょっと進んでまた停まる…を繰り返すのです。
『マニュアル車で、勾配が急な道で渋滞している』
という状態です。
しかも、周りはプロなので、車間距離をあまりとってくれず、詰めてきます。
ヒヤヒヤしながらやっと捨てる場所へ辿り着き、バックで捨て口まで車を下げます。
ギリギリまで行かないと中のゴミがきちんと落ちないし、下がりすぎて車ごと落ちたらどうしよう…?と、そこでまたヒヤヒヤしてしまいます。
そしてゴミの投入です。
ゴミが入っている部分が、ガーーーッと持ち上がって中身を捨てるわけですが、それが中古車なので、なかなかうまくいかず…
一度だけ一人で清掃工場へ行かされた時には、生きた心地がしませんでした。

清掃工場は私の家の近くだったので、私はパッカー車で保育園に子供を迎えに行きました。
さすがに、中にいる園児達や先生方に見える駐車場まで入り込む気にはなりませんでしたが。
道路に停めてあるその車を見て、次女は大喜びでした。
助手席に乗せて家に帰り、ちょうど小学生の長女も帰ってくる時間だったので家で降ろし、また車を置きに会社へ戻りました。

トラックのゴミの量はどうやって量るかというと、
施設に入る入り口に一旦停止する場所があり、そこでトラックごとの重さを量ります。
ゴミを捨ててから施設の出口にまた同じようにトラックを量るところがあり、中身を捨てた重さを量ることにより、ゴミの量を出すのです。

捨てる時には、もちろん少しでも軽い方が処分費が安くなるので良いわけですが、
引き取ってもらう場合(ゴミがお金になる場合)は、重い方が良いわけです。
その会社ではしていませんでしたが、
同業者の中には、ダンボールを買ってくれる会社に持ち込むときに、ダンボールを荷台に積み込んだ後に、上からホースで水をかけ、水分を含ませてから持ち込む、などということをしている業者もあるそうでした。

社長は、きれいに洗われてラベルもはがしてあるたくさんのペットボトルなどがお客さんのところにあると
「これも捨てておきますか?」
と声をかけて引き取り、持ち戻ってからは、普通の可燃ごみに捨てたりしていました。
洗ってラベルまではがしてある意味……
また、収集した物の中に、中身が入っている洗剤や薬品があると、中身を敷地内の竹林に垂れ流していました。

元お坊さんの親切なおじさんだと思っていましたが、
とんでもない人だったのです。

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