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WEB業界のからくりとライターをやめたわけ

こんにちは。「なつ」と申します。

2024年3月に発作的に始めたこのブログ。わずか10日で放置。
その後紆余曲折あり、2025年のタイミングで心機一転再開することにいたしました。

当面はスピリチュアル的な日常の雑記になると思います。

仔細は後述しますが、しばらく「SEO」とか「ためになる発信」とかお腹いっぱいでやりたくないので、ただつらつらと書くだけになると思います。

もしお時間ある方はおつきあいください。


WEBライターはほんと向いてなかった

ここまでこのブログでそんなにライター色は出してなかったと思うのですが、一応今回自分の思考を見える化」するために書き出してみます。

【ここまでの職歴概略】

  1. 事務職会社員20年

  2. 中間管理職にて退職

  3. フリーWEBライター→ディレクター

  4. 2025年1月現在完全フリー

といったところです。今回は3から4に至る道筋を備忘録として記載します。

WEBライターを辞めたいきさつ

ブログ開設当時、雇われWEBディレクターのお仕事にいっぱいいっぱいで少しでも瞑想で余白を作ろうとの試みがこのブログでした。

とはいってもそもそもぎゅうぎゅうなところに何か詰め込んだって余計がんじがらめになるだけだったわけですよね。

WEBライターってそろそろAIに仕事奪われそうなポジションではありますが、私のやってたころは、まだ人間が手を入れて施策を打つ必要があり、人手は常に不足気味でいくらでも仕事がありました。

ただし

最低賃金の10分の1ぐらいで作業してくれる人手っていう意味ですがね。

私はお金の額にはあんまりこだわりはなかったのですが、忙しいのはほんと勘弁でした。特に予定外で自分のペースが乱されるのがもうほんときつかった。

3月最後の記事のとおり、海温泉行こう!と行動したのはいいけれど、温泉でも結局仕事で緊急対応に追われて撃沈。こんなん対応するなら前の会社(夜中3時に電話対応とかしてた人)のほうが給料高いだけマシ!

ディレクターっていっても、やってた会社は多分他社でいうライターさん用の単価しかもらえず、ディレクターに許されているのは人を集めて(その作業はただ働きね)自分の単価より安く使って差分を利益として得ること。

だから10人ぐらい雇って書かせろと何回も言われました。
でもねえ、結局10人いたらわちゃわちゃなんですよ。出来上がった原稿はディレクターの責任になるため瑕疵がないように必死で見るのですが、レベルだってバラバラだし、私より安い単価でちゃんとやってくれる人なんて希少な存在です。

それに皆さん副業だったり立場も違うので、作業日程や時間帯もバラバラ。(年末年始休みたい人もいれば、そこでこそ働きたい人いる)それこそがライターの魅力でありますが、結局ディレクターは365日24時間受け付ける感じになっちゃうのですよね。

私は休み!と宣言しても、Wordpressぶっ壊されたりすれば、さすがにその対応はせねばならず、なんだかさあ…って感じ。(編集権限しか渡してないのに…ある意味すごい)

デジタルノマドって、口当たりはいいけれど、かなり上手に自分のペースを守らないと、24時間どこにいてもPC一つで縛られる仕事だってことを思い知り、帰宅してからブログを書く元気もなくなってしまったのでした。

結局そのあとも何度もサインがでて、ようやっとのこと雇われWEBディレクター辞めました。

あのときのすっきり感は忘れられない。会社員退職した日の帰り道の次ぐらいでしょうかね。手放しって最高!

そのあと個人でSEOライター仕事受けてたのですが、すでにライター自体が嫌になっていたからか、全然適性ないじゃんっていうやらかしばかり発生します。

書くのは好きだけどそれをWEB的な仕事にするのは向いていない。

「Excelつかった事務処理のほうが向いているんじゃない?」
とクライアントに言ってもらえたのですが、そんなん会社員時代にやりつくしたから出来るだけだもん、そんな仕事やるのやだもん。(急に口調がおかしくなった)

WEBの仕事でエネルギー根こそぎ吸い取られてたっぽい

この辺で何もかも嫌になり引きこもり状態。一人が大好きなのでその状態も悪くないのですが、夜眠れず、五十肩でヨガはかどらず、そもそも
暑くてまったく動けず(2024年サマー暑かったですよね~)

そんな日々に恐るべし更年期、体重だけがぶくぶくと増えていきました。

今思うと、WEBディレクターやってた1年で体力も気力も相当消耗してしまい、エネルギー取り戻そうと身体のほうが暴走してた感じですね。

ああ恐ろしい。

確かに食生活もいい加減になっていました。
外で仕事するのがWEBライターっぽいと外食ばかりだったし、(お金も飛んでいくわ~)仕事できるようなお店では小麦主体になるしそもそも食事自体が手抜きだったので…糖質過多で栄養失調。

大げさでなくほんと、低たんぱく、低ビタミン、低ミネラル。

糖質ばかり食べても食べてもおなかが空く低血糖になるのは、上記栄養が足りていないからなんですよね。

これをすべてWEBライター仕事のせいにするのは乱暴ですが、(ちゃんと栄養管理すればいいって話)私のキャパでは、どうしても仕事に引っ張られてしまい、コントロールが難しかったのですね。

ここ気が付いて復活してくるのに4ヶ月ほどかかってしまいました。

失敗の要因を自己分析

こんなマイナスなことばかり言ってますが、WEBライターの仕事が悪いわけではなかったのだと今にして思います。(雇われたところはあれでも移ればいいだけのこと)

結局私が形だけ個人事業主みたいになってたのが要因なのです。

  • 雇われ根性

  • 社畜根性

  • だれかに頼りたい

  • 自分の責任にしたくない

このマインドですね。

あとひとつはっきり言えるのは、失業保険が切れるときに恐怖心で次の仕事としてライターやろうって決めちゃったんですよね。

この辺も当時は新しい道を歩んでるって思ってたけど、基底マインドが恐怖だから、そんな事象ばかりやってくる。

今思えば、変な案件ばっかり受けてました。
あまりにもひどい案件が多すぎて、ディレクターになった会社がマシに見えてしまったのですよね。

半年でディレクターになったのも適性があったのね~と当時は喜んでましたが、結局は安価で比較的まともにできる人手が不足してたってのが大きいわけです。

長らく会社員やら主婦やらの社会人経験やってれば、そこそこ常識的な対応はできるのでそれだけのことでした。

今後のお仕事展開について


ここから教訓として以下を得ました。

  • 恐怖心からの行動でなく内発的動機の発現を気長に待つ

  • 自分自身の事業を展開する

収入が途絶えると途端に恐怖心が出てくるのですが、焦って無理やりやってみた結果がまったくかんばしくなかったので、やみくもに行動しないを肝に命じます。

思い返してみれば、する~っと自然になんならあまり意識せずとも、その方向に展開していく感覚のときが、人生の大筋を決めて来たので、その感覚が来るのを待つことにします。

今回は私にしては狙いすぎたのだと思います。

意図、決めること、願いが大事っていう自己啓発系あるけど、たましいの願いなんて、エゴにはわかるわけがない(少なくとも私のエゴは)

曇ったエゴまみれの私は、下手に自分の意志で動かないほうがいいのだと悟りました。

そして使われる状態だったら別段会社員やってればよくて、事務職員として条件は悪くなかったのを辞めてまで何を求めようとしたのかもう一度ちゃんと思い出します。

今の時点で何をどうすればいいかは何も見えずなのですが、ひとまずはこうしてスピリチュアル寄りの雑記ブログを書くことで自分の思考を整理していきたいと思います。

自分のペースで書きたいときに書いていきます。もしよろしければ時々のぞきにきてやってください。

ここまでお読みくださりありがとうございました。








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