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【読書】伊吹有喜(著)『犬がいた季節』を読書中〜読み終わるのが勿体無いと感じる小説です〜

吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか頓(とん)と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

夏目漱石『吾輩は猫である』

『こころ』を読んでから、夏目漱石の小説ばかり読んでいた時期がありました。
『三四郎』『それから』『門」の三部作、『坊ちゃん』、『明暗』が特に好きでした。
しかし何故か、処女作品でもあり代表作品である『吾輩は猫である』は、読んだことがないのです。
いつでも読めるという気持ちが、いつまでも読めていない原因なのかもしれません。

犬派か猫派かと聞かれれば、私は速攻で犬派と答えます。
小学生の頃に住んでいた村には、野良犬がウロウロしていました。
私たちはその野良犬に勝手に名前をつけて、駄菓子屋で買ったパンなんかを食べさせたりしていました。
夏休みの暇なときなんかは、野良犬の尾行という、意味のない遊びをしていました。
そんな事をしていたので、野良犬は私たちに懐いていました。
野良犬にとっては、私たちのことを友達と思っていたのだと思います。
ある日、学校のグランドで体育の授業をしている時に野良犬が入ってきて、先生に怒られたりしていました。


馴染みのある土地が舞台になっている小説を読むのは、楽しいものです。
私は7年間ほど、三重県に住んでいた頃がありました。
東京から大阪に移動するとき、最近は高速バスを使うのですが、新東名高速道路の静岡県の富士山が見えるところと、新名神高速道路の三重県を走っている間は、読んでいる本を閉じて、車窓を眺めるようにしています。
鈴鹿山脈の麓から見える景色を眺めながら、住んでいた頃のことを懐かしく思い出します。

今、伊吹有喜(著)『犬がいた季節』を読書中です。
舞台は北勢と呼ばれる、三重県の北部です。
三重県では北から北勢、中勢、南勢と地域を区分して呼ばれています。

漸く、第4話の「スカーレットの夏」まで読み進んできた所です。
かなり、ゆっくりのペースで読み進めています。

私は、昔の事を思い出すと、後頭部の奥のあたりから鼻の奥にかけて、ムズムズするような感触がします。
この小説を読んでいると、その感触を感じたままの状態になってしまいます。
懐かしい音楽を、聴いているような感触です。
決して、悪い感触ではありません。

久しぶりに、読み終わってしまうのが勿体ないと思える小説です。
引き続き、ゆるりと読み進ていきたいと思っています。


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