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「御上先生」と教育改革
今日は、TBSテレビ日曜劇場「御上先生」と教育改革について書きたいと思います。
このドラマ「御上先生」ですが、一週間の内で最も視聴者が多いとされる、「日曜日の9時」に放送されているドラマです。当然、この時間帯に放送される番組は、注目度が高いために各放送局とも公共放送組織としてその独自性を示す場となっています
そして、今季(冬期ドラマ)、TBSテレビが、出した答えが、この「御上先生」でした。
TBSドラマ「御上先生」の公式ホームページによると、
文科省の“官僚”兼“教師”が
権力に侵された日本教育をぶっ壊す!?
―辞令、日本教育の破壊を俺に命ずる―
文科省のエリート官僚が高3の担任教師に!
“官僚教師”が行う独自の授業とは!?
令和の18歳と共に日本教育に蔓延る
腐った権力へ立ち向かう
大逆転教育再生ストーリー!
となっています。
これを、書かれた通りに解釈するとすれば、このドラマのコンセプトは、「教育とは何か?ー教育現場の破壊と再生 ー 教育改革」ということになります。
日本の学校教育は、国の機関である「文部科学省」により、そのルールが明確に定められています。では、この文部科学省は、この「教育改革」をどの様に考えているのでしょうか。
文部科学省の考える教育改革
これは、文部科学省の公式ホームページに書かれている「教育進化のための改革ビジョン」で明確に記述されています。
これによると、
新型コロナウイルス感染症を契機として
1 デジタルが持つ学びにおける可能性の提示、学びの在り方の変容
2 学校の持つ福祉的機能や教師の存在意義、リアルな体験の持つ
価値の再認識
第1番目の事項は、昨今のデジタル環境及び新型コロナウイルスによる生活環境の変化及び種々の事情により十分な教育機会を与えられていない人の存在を勘案したものです。これは、「教育」をテクニカルにアプローチする事、つまり、「教育技術」に関する事項を言っています。
第2番目の事項は、本来であれば家庭や地域でなすべきことまでが学校に委ねられることになり、結果として学校及び教師が担うべき業務の範囲が拡大され、その負担が増大したことによる教育環境の崩壊を防止することが目的となっています。これは、第1項目の「技術」ではなく、教育のもう一つの大切な事項である「技能教育/情操教育」について述べています。
(「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと、協働的な学びの実現~(答申)【概要】2021より)
この二つを実現(進化)させるために、「2つの基本理念と4つの柱」が掲げられています。
まず、2つの基本理念とは
1 誰一人取り残さず個々の可能性を最大限に引き出す教育
2 教職員が安心して本務に集中できる環境
上記の2つの基本理念を元に、同一年齢で同一内容を学習することを前提とした教育の在り方にとらわれず、これまでの日本型学校教育の優れた蓄積も生かして、個々に最適な学びを提供するとともに、地域や企業とも連携し、学校内外での豊かな体験機会を確保するため、以下4本の柱に重点を置きます。
1 「リアル」×「デジタル」の最適な組合せによる価値創造的な学びの推進
2 これまでの学校では十分な教育や支援が行き届かない子供への教育機会
の保障
3 地域の絆を深め共生社会を実現するための学校・家庭・地域の連携強化
4 教職員が安心して本務に集中できる環境整備
更に、これら2つの基本理念と4本の柱を具現化する方策(方向性)として、
1 個別最適な学びと協働的な学びの日常化
2 特別な指導や支援が必要な子供への学びの場の提供
3 全ての生徒の能力を伸長する高校教育の提供
4 質の高い教職員集団の形成
が挙げられています。
1項目については、具体的に述べると、デジタル教科書等を活用した学びの充実・授業時数の弾力化や、学年を超えた学びの検証・開発をいいます。
因みに、「個別最適な学び」及び「協働的な学び」とは、「一人一人の児童(生徒)が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるよう」と言う意味になります。
2項目については、具体的には、特別なニーズのある子供(障害、不登校、特異な才能、日本語指導等)やへき地の子供を対象としたオンライン等を活用した教育・支援の充実・特例校の設置促進などによる、通常の学校だけでは十分な教育、支援が届かない子供への学びの場を確保する事を言っています
3項目については、これまでの⽂系・理系といった枠にとらわれず,各教科等の学びを基盤としつつ,様々な情報を活⽤しながらそれを統合し,課題の発⾒・解決や社会的な価値の創造に結びつけていく資質・能⼒の育成(STEAM教育)を指しています。
以上3項目については、内容が相互していますが、要は、教育を受ける側に対するアプローチについて書かれています。
一方、第4項目については、教育を行う側である教職員について書かれています。
具体的には、免許制度改革や勤務形態の柔軟化などを通じた、多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成・教職課程の見直し(教員研修の高度化及び専門化)、同時に、給与・処遇に配慮し(働き方改革の実効性を高める方策)、多様な専門人材・支援スタッフを含めた教職員の配置の在り方の検討を言います。
以上が、世界で一番優秀と言われる日本の官僚が考えた、「教育改革」となります。流石に、優秀な人が考えた策であり、隙がなく上手くまとめられた文章となっています。
然しながら、英語で言う「Pros and Cons」、つまり、利点を最大限に大きく見せ、かつ、欠点を最小化させているだけではと、思うのは私だけでしょうか?
所詮は、「霞が関」という特殊な場所で作られた「最も差し障りのない」国会答弁ではと。
経済学が、人間を「経済人」(homo economicus/もっぱら「経済的合理性」にのみ基づいて、かつ個人主義的に行動する人)のみと仮定して理論を作り失敗したように、特殊なモデルケースのみで実践することの危うさがあります。
過去にも、「ゆとり教育」といった失敗作があるように、これらの方策が、全ての教育現場で実施され、再びフィードバックされ検証される必要があります。
ドラマ「御上先生」の「教育改革」とは?
では、TBSテレビ又は本ドラマの脚本家である詩森ろばさんは、このドラマ「御上先生」を通して、この「教育改革」をどの様に表現しているのかを検証していきたいと思います。
残念ながら、この「教育改革」そのものについては、ストーリー上では、文部科学省が示した「教育進化のための改革ビジョン」から、そのままコピー&ペーストされています。
例えば、「デジタルが持つ学びにおける可能性の提示、学びの在り方の変容」については、主人公である御上先生は、常にデジタル端末(タブレット)を持ち歩き、「板書き」せずに単焦点プロジェクタを用いて授業や問題提起を行っています。
また、「学校の持つ福祉的機能や教師の存在意義」については、本ドラマの舞台となっているのが、私塾から立ち上げた進学校の「隣徳学院」となっており、この私塾と高校の違い、及び「講師」と「先生」の違いを暗に対比させています。
また、「個別最適な学び」については、御上先生が、教育の「技術的」方法である「アクティブリコール」を使ったり、また、反対派を「賛成」の立場で、賛成派を敢えて「反対」の立場でディベートさせたのは、まさしく「協働的な学び」を実践したものであり、あらゆる他者を価値のある存在として尊重させることを教えると言った、教育の「技能的」なアプローチです。
ストーリーの中で、御上先生に、同じTBSテレビの学園モノの代表的なドラマである「金八先生」を否定させたのも、旧態然とした先生のイメージを壊し、先生に教育現場で過度の負担を与えず、「教職員が安心して本務に集中できる環境作り」の為であり、教育を先生だけでなく、「地域の絆を深め共生社会を実現するための学校・家庭・地域の連携強化する為」でもあります。
その他、文部科学省が示した「教育進化のための改革ビジョン」の文言が、そのままストーリーの中で語られています。
「御上先生」の結末
しかし、このドラマがユニークなのは、ただ教育現場のみを描いていないことです。
このドラマの最初シーンである、無差別殺人に至った理由、主人公の御上先生の過去、そして、文部科学省の省庁が持つ闇が、まだ、ストーリー上に明確に現れていません。
本ドラマの脚本家である詩森ろばさんは、映画『新聞記者』など社会問題にするどく切り込む脚本を得意としています。従って、「金八先生」や「ドラゴン桜」の様なただの学園モノで終わるとは思えません。
例えば、第3話で、FAXで怪文書が届きます。
内容は、
隣徳はくにのまほろば
このくにに平川門よりはいりし者たち多数あり
お前の不正をわたしは観ている
倭健命
となっています。
上の「隠し言葉」には、実は元ネタがあります。それが、
「倭は国の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく 青垣山籠(ごも)れる
倭し 麗(うるは)し」 (倭建命)
と言う短歌です。これは、最も古い「辞世の句」として有名なものですが、これを歌ったといわれているのが、倭健命(やまとたけるのみこと)だと言われています。
倭健命は、通常は「日本武尊」と書かれますが、この怪文に書かれているヤマトタケルは、古事記にかかれている漢字となります。
この「隠し言葉」は、第4話で吉岡里帆さんが演じる副担任・是枝先生によって解読されます。
まず、是枝先生は、この怪文の差出人が、「官僚」と推測します。
何故なら、この倭健命は、武に優れ、西征して熊曾建と出雲建を短期間のうちに討伐。続けて東征を命じられるのですが、この東征の時に作った関所の場所が、現在の「霞が関」だからです。
次に、「くにのまほろば」の行(くだり)を、「くに」とは、「国」つまり「文部科学省」そして、「まほろば」は、漢字で書くと「真秀ろば」となり、これは、隣徳学院の理事長である「古代真秀」だと推測します。
そして、「平川門」とは、江戸城の西側にある門で、別名「不浄門」とも呼ばれ、江戸城内で死人が出た場合のみに使用される「裏口」となります。
つまり、これらのことから、是枝先生は、国と隣徳学院が癒着して不正(裏口入学)を行っていることが告発されていると解読します。
このドラマ全体に言えることですが、理路整然としており理論武装が完全で、隙がないストーリーとなっています。このシーンも鮮やかだと、関心してしまいます。
更に、第3話と第4話では、「教科書検定の是非」が取り上げられています。
この「教科書検定の必要性」については、文部科学省の公式ホームページでは、
「小・中・高等学校の学校教育においては、国民の教育を受ける権利を実質的に保障するため、全国的な教育水準の維持向上、教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持、教育の中立性の確保などが要請されている。文部科学省においては、このような要請にこたえるため、小・中・高等学校等の教育課程の基準として学習指導要領を定めるとともに、教科の主たる教材として重要な役割を果たしている教科書について検定を実施している。」
となっています。つまり、「教育水準の画一化」「教育機会均等の保証」「教育の中立性」の為としています。
ドラマでは、この「教科書検定」を自由な思想を阻害するセンサーシップ(検閲)として捉えられていますが、個人的には、この意見には同意できません。私は、「教科書検定」は「是」だと思っています。
何故なら、世界で最も革新的な教育システムであると言われているアメリカの教育界では、期せずして、アメリカの医療システムと同様に、個人の資産のレベルに応じた医療しか受けられないと言う状況と同樣に、「富む者」と「貧(まず)しい者」との間に、教育格差が発生しているからです。
日本でも、最近、都市部と地方との教育格差が広がっていますが、今の所は、「教科書検定」により歯止めがかかっていると思います。
以上、「御上先生」と教育改革について書きました。本ドラマは、社会派学園ドラマとなっており、色々と考えさせられる事が、取り上げられています。同時に、ミステリーなどの要素も多重的に組み込まれており、娯楽としても楽しめるものとなっています。
次週は、どの様なストーリーになるのか楽しみです。