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「地図」と「スマホ」――主人公にはどちらを持ってほしいか

先日本を読んでいたら、主人公が”地図”を片手に知人の家を探す、というシーンがあった。本を読み進めていて、なんら違和感のない描写ではあるのだが、現代のわたしたちの生活に落とし込んでみると「地図を使って家を探すなんて、大変だなあ」と思ってしまうようなシーンである。

今の世の中、なにか起こってもスマホがあれば大丈夫。道に迷えば、Googleマップで一発解決だからだ。

この”本と現実世界のチグハグさ”は数年前から感じていた。スマホやSNSの活用が当たり前となり、なにをするにもインターネットを介すことが普通の生活になった。そんな中、「本の中の世界」はどうなっていくんだろう?と。
「本の中の世界」もスマホやSNSが蔓延した世界が”当たり前”になっていくのだろうか。物語に登場する若者たちの言葉遣いも、”今風”になってくのだろうか。


本筋から少しズレるが、わたしは太宰治や夏目漱石、芥川龍之介など、まっすぐな純文学が大好きで(純文学からは少し逸れるが、江戸川乱歩も大好き)、その純文学の世界にどっぷりと浸かってからは、「今をときめく作家たち」の本が読みづらくなってしまった。本の内容というより、文体や言葉遣いが苦手になってしまった、という方が近い。そして、その原因はきっと「本の中の世界」、がより『現実』に近づいてしまったからなのだと思う。

実際に、現実世界のリアルを題材にした本や映画はたくさんあり、たとえば「SNSでのいじめ」をテーマにした小説があったり、Skypeを介して幽霊が襲ってくるという映画なんかもある。(ちなみにこの映画はなかなか面白かった!わたしは無類のホラー好き)
また、古株作家の中にもこうした「今のニーズ」にあった題材や文体を用いて、新しい一面を見せようと取り組んでいる方もいて、わたしはそういった作品も読んだことがある。しかし、この古株作家ならではの”味”を楽しみに作品を読み進めていたのに、要所要所で、無理をしたような「今風」のテイストを盛り込まれてしまうと、戸惑いばかり覚えて、内容がまったく頭に入ってこなかった。結果、その作品は最後まで読んでいない。


正直、わたしのような考えは、イチ読者のワガママなのかもしれない。いつまでも、時間が止まったままの本の世界が好きなのかもしれないし、それなら、そういう時間軸の作品を読めば良いとも思う。本の好み・面白いと感じるポイントは、人それぞれだからだ。

それでも、わたしは「スマホ片手に家を探す主人公」よりも「地図を片手にあくせく家を探す主人公」の方が、なんだかホッとするような、応援したくなるような、その背景にもっと深い世界が広がっているような気がしてしまう。

…それに、もしかしたら作家の方々にとっても、こういった「本の中の世界」をどこまでリアルに近づけるかは、大きく悩まれているポイントなのかもしれない。そう考えると、新しい物語を生むのは、毎度容易なことではないだろう。


世の中が便利になり、毎日生活しやすくなった反面、なんだが日々の物語に「コク」が出なくなってしまった。

――そう思いながらわたしは、ノートパソコンのキーボードをたたいて、このnoteを書いている。

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