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命を許されたかった

数年前、友人から「死のうと考えている」と言われた。

詳しいことは割愛するが、それはその人にとって文字通り命を懸けた何かが終わりを迎えたタイミングだった。だから、その言葉を放つ友人の本気を私は知っていた。
スイスに渡って、200万だか500万だか支払えば、安楽死をさせてくれるらしい。友人は安楽死のために貯金をして、1年以内には死にたいのだと言った。

私はその人に死んでほしくなかった。素直に「私が寂しいし、嫌だから死なないでほしい」と言ったけど、その人の切実さの前には無意味だった。
その人は私に自分が死んでもいい理由を語った。

一つは、人は生きる権利と同様に死ぬ権利をもっていて然るべきだから。
突然の事故や病気で突発的に死なざるを得なかった人も、天寿や運命を全うして死んだ人も、全ての人が満足して死ねるわけではない。どんな死に方でも、死は死でしかない。
だから、自分でゴール地点を決めて、自分で死に方を選ぶことができる自殺が禁忌のように扱われるのは不当なことだ。

もう一つは、これ以上生きることにもう意味が見いだせないから。
今以上に一生懸命になれるものなどない、これを失った私には、生きる目的も希望もないから、これから生み出せるものも得られるものもない。
自分が死んだからといって、心を乱して、生活を狂わせるほど、愛してくれている人もいない。
生きていればいつかそういったものにまた出会えるとは思えないし、その可能性に賭けて生き続けられるほどのパワーが今はもうない。

一通り話した後、何も言えない私に「どうしてあなたは生きていられるの?」と聞いてきた。
私は返答にとても困った。この問に対する明確な答えを、私自身もずっと探してきたから。

私も子どもの頃から「死にたい」という気持ちをずっと持っていた。
正直今まで、生きていることに明確な目標を持っていたこともないし、それをこれから見いだせる期待もない。自分の死にたさを打ち消せるほど誰かを深く愛したことも、愛されたこともない。
友人の理論からすれば、私もまた死ぬべき人間だった。
それでも私は生きていく。死んではいけないと思っている。(物心ついた頃から、「絶対に死んではいけない」という呪いを親から掛けられていた。この呪いもいつか文章に昇華できたらいいな。)
友人に対する問いに答えることはできていないけど、私は思っていることを素直に伝えた。

追い詰められていたこと、お酒が入っていたことが手伝って、友人は私にまくしたてた。
「あなたには理解できない。死んじゃいけないなんてぼんやりした理由で否定できるような死にたいは本物じゃない。私の本気があなたには伝わっていない。」
私は友人の本気を感じ取っているつもりだったし、できるだけ誠実に話をしたのだけど、この言葉には押し黙るしかなかった。
私は友人の死にたさを救うどころか、受け止める資格さえないようだったし、今私が生きていることさえも否定された気持ちになって、何も言えなかった。


初めて「死にたい」と思ったのは、自分のことが原因で喧嘩している両親の叫び声を、寝室で聞いて泣いていた3歳の時だったと思う。
病弱で両親の時間やお金をすり減らし、家族の和を乱す、私さえ居なければ、ご近所のお家のように笑顔に溢れた普通の家族にきっとなるのに。
私さえ死ねば、と泣いていたことを明確に覚えている。

でも、自分の都合で、自分の意思で、死ぬことが悪いことだという認識もあった。
子どもの頃からずっと、切実に「死にたい」ことと「死んではいけない」ことと私は向き合おうとしていた。
「命は尊いものだ」「君は愛し愛されるために生まれた」「生きていることに責任と感謝を」みたいな、正しい道徳の授業みたいなものは、素直さのなかった私は受け入れられなかった。
だけど、青白い顔してリストカットしたり、薬をどしゃっと飲んだり、生きていたって意味が無いからハタチで死ぬわって悟った顔をしてる人に、誘われてはいけないとも強く思っていた。

自分の命を大切に思えないことに、私は罪悪感を抱えていたし、恥じていた。
その反面、死にたいと思いながら死ぬための行動を起こさない自分がとても半端者な気がして、当時の流行りだった「ファッションメンヘラ」という言葉で周りから蔑まれることを恐れていた。
(多分友人が言った「あなたには理解できない」「あなたは本物じゃない」という言葉も、そういう意識からくる言葉だったんだろう。)
私の命には、ずっと居場所が無かった。

友人を目の前にしたあの時、酔いも遠慮もあって言えなかったけど、居場所を無くしていた子どもの頃の私のためにも、大人になった今言いたいことがある。

「うっせえ、知ったことか」と。

私の「死にたい」も「絶対に死んではいけない」も、私が本当に苦しんでいた私の悩みだ。私の本物の感情だ。
二者択一を選び取れてる人に、自分の中にある矛盾をどうしても処理しきれず、経験も知識もない小さな世界で戦っていた3歳の私の気持ちなんか分かるものか。
啓蒙も否定もさせてなるものか。
これは、私の戦争だった。
割り込んでくるな。部外者は引っ込んでろ。


私がこんなに強気であの時の自分を認められるようになったのは、単純に人生の経験値が上がって、死に対してそれほど期待が持てなくなったこと(死に比べれば生の方がまだよっぽど期待できることがあるかもしれないと思えたこと)、そして何より、15歳の時に出会った音楽のお陰だ。


アヲイというバンドの「生キル為ノ歌」だ。

「本当は生きたい。
だけど怖くて仕方ないんだね。
弱くても生きていいから、そんなに泣かなくてもいいよ。」
「それでも死にたいなんて思う日があってもいいから
どうか生きてください。」
https://youtu.be/S_hfY27TCjk

生きたくない、死ねない、どちらも選べない半端者の弱虫の命でもいいと、未来に期待も目的も感じられなくても、そのまま生きていていいと、許してもらえた。
5分足らずの曲で、バカにでも分かる簡単な言葉で、悩んでいたことを丸ごと肯定してもらえた。
私の約10年間の戦争に、あっさりと一旦のピリオドを打たれたことに震えた。

私はこの曲の歌詞をお守りのように大切に抱えて生きてきた。
もう解散してしまったこのバンドが、私の人生にこの曲を遺してくれたことに心から感謝している。
半狂乱になった大阪のライブハウスのフロアでこの音楽を浴びたあの時間が私の財産だ。
アヲイに出会って、「生キル為ノ歌」に許されたから、私は今日も生きている。

愛していても愛されていなくても、死にたくても死ねなくても、命がそこに在ること、生きていることだけでいい。
そうしていたら、明日はご飯が美味しいかもしれないし、昨日まで苦しかった涙が出ることが嬉しいと感じるかもしれない。
何かが変わるかもしれない。変わらないかもしれないけど、それでも生きてていいじゃないか。

私は人生で一度だけ、大人になってから、喫茶店で人目をはばからずに一人で号泣したことがある。
中村文則『何もかも憂鬱な夜に』を読んだ時だ。私はこの本の、刑務官が殺人事件を起こした(控訴しなければ確実に死刑になるのに、控訴しない)未決囚に叫ぶように言った台詞を読んで、涙が止まらなかった。
そしてそのこともまた、一生忘れないと思う。

「俺が言いたいのは、お前は今、ここに確かにいるってことなんだよ。それなら、お前は、もっと色んなことを知るべきだ。お前は知らなかったんだ。色々なことを。どれだけ素晴らしいものがあるか、奇麗なものが、ここにあるのか。お前は知るべきだ。」

「人間と、その人間の命は、別のように思うから。……殺したお前に全部責任はあるけど、そのお前の命には、責任はないと思ってるから。お前の命というのは、本当は、お前とは別のものだから。」

私がどんな人間で、どんな人生を歩んだのかは関係ない。
私が失ってはいけないと自分を戒めて、守ってきた命は、それだけで価値のあるものだった。私が抱えた戦争には、戦うだけの意味があったのだ。
この小説もまた、私の命を許してくれた。


こんなことを二度も経験するなんて、子どもの頃は想像もしていなかった。
生きてみるものだなって思えた。

一曲の歌。一冊の文庫本。
たったそれだけの芸術に感動して、感化されて、うっかり続く人生があったって良いじゃないか。人生なんて多分それくらいの価値しかない。
人生なんかより、圧倒的に、命には価値がある。

私の大切な友人へ
私は、死にたいあなたを決して否定しないし、あなたを引き留めておくだけの力を持っていないことも認める。
だけど、少しだけ私の話を聞いて。

死んでもいい理由は考えたらたくさん見つけられるかもしれない。だけど、私よりも賢くて、頭の回転が速い人だったら、論破できちゃうんじゃないかと思うんだ。
私は、シンプルすぎて、逆にそう簡単には覆せないであろう、死んではいけない理由を見つけられたよ。生きていたら出会うことができたよ。

だから、どうか生きてください。

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