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読書感想 言葉を紡ぐ

今日の朝の目覚めは最悪だった。
パートナーや子どもたちは起きていくのに、私はベッドでグズグズする。

「あー頭が痛い」
「気持ち悪い」

そうである。二日酔いである。
昨日は宿直勤務明けだったので、何だか飲みたい気分だった。
そこへ夏休みの思い出の写真たちを見返すのにハマってしまって、、、
「旅行楽しかったな」
「キャンプ楽しかったな」

と思い出を肴にして、酒を浴びるように飲んでしまい、自爆。

それにしても、あとから思い出に浸れる、そういう経験にはお金や時間を投資した方がいいな。じんわりとセロトニンが分泌される感じ。心地よい。
今年の夏も素敵な夏でした。

さて、今日も読書感想をしていく。
書籍は、「親子で哲学対話 10分からはじめる「本質を考える」レッスン 苫野一徳著」である。

大学の先生である苫野先生の一冊。
とあるVoicyで紹介されていたので、早速ポチり。
最近よく聞く「哲学対話」であるので、どんな感じなのだろうと興味津々で読ませてもらいました。
哲学というと、理解するのに時間がかかるとっつきづらい学問が私を含めて一般的に思うところだろう。
ですが、とても分かりやすく苫野先生は言葉を選んでくださっているので、非常に読みやすかったです。1〜2時間もあれば読めてしまいます。一気見しました。

感想の結論。
「1人で悶々と考える時間も大事。それと同じくらい誰かと考えを交流することも大事。対話をすることで、言葉にして相手に伝わるように伝え、相手の言っていることを読解しようとする。「紡ぐ」工程は、複数人で言葉を編んでいくこと。1人ではできない。言葉を紡ぐこと自体を楽しみたい」

前提です。
考えることは楽しい、もっと考えたいと思うマインドがあること。
要するに知的好奇心がある状態であること。
相手の状況を許容する度量があること。

上記の前提があることで、対話は成立すると考えます。

だって、考えたくもない、考えるのは楽しいと思えない人と、「学びって何だろう」と問うてもお互い苦行の時間になることは火を見るより明らかだ。

だって、対話は自分ではない人と言葉をツールにキャッチボールをしていくので、自分ではない人のコンディションによって返ってくる球が変わることを想像できていないと、キャッチボールは楽しめないので。疲れやすい人と話すと、後半は良い球が返ってきづらくなることを分かっているのかどうか。

対話ってとてもポテンシャルあるんですよね。

だって、自分では考えつかないようなことに出くわす可能性があるから。
いわゆる「言葉を紡ぐ」工程である。

どんな柄が生まれるのか。
新しい材料があった方が良い(新しい人を呼ぶ方が良い)ことに気づく。

デメリットとしては、思考の迷子になることもしばしば。
あと、気疲れしてしまうことも。相手のコンディションを観察しながら、言葉を編む作業なので。もちろん自分も観察されているわけで。見られている状況に疲れてくることも。

それでもメリットの方が大きいと私は思う。
本書で書かれている「本質観取」は対話によって本質に近づける。

本質観取の方法は、
①本質観取するとどんないいことがあるのだろうの確認。
②さまざまな事例を出す。
③②の事例の共通キーワードを出す。
④本質を言葉にする。「〇〇とは〜〜〜である」
⑤④が①の答えになるか確かめる。

私も子どもと本質観取出来たらいいな〜。

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