「愛着」「愛用」していたモノを捨てるのが辛い時に
こんにちは、片づけ習慣化コーチの牛尾恵理です。
本気で家をカオス状態からスッキリ状態にしたいのであれば、不要なモノを「手放す(捨てる)」ことは免れません。
でも、「愛着」「愛用」していたものであればあるほど、たとえそれがもう使えないものであっても、手放す時には心理的な痛みや反動が伴うものですよね・・・
なぜそんな心理的なブレーキがかかるのか・・・?
今日は、そんな反応が起きる源になっていそうな言葉をシェアしたいと思います。
■片づくマインド・名言シェア190
我能く人を愛すれば
人も亦た我を愛す。
(自分が本当に人を愛していたら
自然と人から愛が返ってくる。)
伊藤仁斎(儒学者、思想家)
1627年8月30日生
とても日本人らしい思想だなあと感じました。
まさに、思いやりの文化。
この思想をコミュニティ全員が信じて実践することができれば・・・、きっと平和な世の中になるんでしょうね・・・
でも、問題は、
愛した「その人」から愛が返ってくるとは限らないこと。
あなたも、苦い思い出の一つや二つあることと思いますし、今まさに現在進行形中で辛い思いをしている方もいるかもしれません。
モノも同じで、まだまだ愛用するつもりだったのに、壊れてしまったり、使えなくなったりしてしまうことはよくあります。
結果、もう使わなくても、邪魔になっていても、固有名詞をついていたような特別感があるので、手放しにくいんですよね。
でも、そうやって手放せずにいると、片づけは一向に進みません。
なので、そんな時は、先程のこの文を
自分が本当に人を愛していたら
自然と人から愛が返ってくる。
こう書き換えてみてはどうでしょうか。
自分が本当に何かを愛していたら
そのエネルギーが別の何かになって
自然と愛が返ってくる。
モノは、何かの縁でいろんな元素がぎゅっと圧縮されている状態ですから、もう用が済んだのならば、自由に解放して上げるのも、愛の表現方法の一つだと思います。
それはすなわち、捨てて、地球に返すこと。
地球も私たちに元素を与えて、最終的に同じだけのエネルギーが返ってくることになるので、結局そんなメカニズムで、全てはぐるぐる回っているのかなあと思うんです。
モノを溜め込むのは、そのエネルギーのぐるぐるを必死で滞らせていることになるんじゃないかと。
自分も、家も、お風呂のような穴の空いた器みたいなものだと思って、それぞれの器の大きさに合わせて、溢れないように、減りすぎないように、程よくでエネルギー収支が取れているといいな〜・・・
なんて、思うのですが、どうでしょうか。