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ChatGPT・仮想空間Xで「空白の4世紀」を解明!
以前、ChatGPTで仮想空間Xを構築し、その中で、仮想人間たちが仮想タイムマシンを作り、卑弥呼に会いに行き、卑弥呼の正体を解明する、という企画をしました。
今回は、その卑弥呼の後の「空白の4世紀」と言われる謎の時代へとタイムスリップし、その秘密を解明するという企画です。
空白の4世紀とは?
「空白の4世紀」をChatGPTに語ってもらいました(私が説明するよりもわかりやすいのでw)。
"空白の4世紀"とは、日本史の研究において、3世紀末から5世紀初頭までの期間を指します。この期間、中国の歴史文献には倭国(日本の古名)に関する言及がなく、日本国内の考古学的証拠も乏しいため、「空白」と呼ばれています。
しかし、この期間は日本史の重要な時期でもあります。大和王権(古代日本の統治機構)の形成や、邪馬台国(3世紀の倭の一大勢力)からの影響など、重要な政治・文化的変革が発生した可能性があるため、この期間に何が起こったのかを解明することは、日本史の理解に不可欠です。
さらに、この時期に日本列島の様々な地域で建設された古墳(特に前方後円墳)は、政治的権力の集中や社会階級の形成を示すものと考えられています。これらの古墳は、ヤマト王権が地方の豪族と結びつき、全国的な支配を確立したことを示していると解釈されています。
したがって、"空白の4世紀"については、限られた情報源を用いて可能な限りの推測と解釈を行うことが求められる期間です。考古学的な発見や歴史的な文献の再解釈を通じて、この期間の理解が徐々に深まっていくことを期待しています。しかし、その全貌を明らかにするためには、まだ多くの調査と研究が必要です。
歴史的に未知である故にロマンがありますね。
いざ、空白の4世紀へ!
仮想人間たちは、タイムマシンに乗って、空白の4世紀へと向かいます。
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邪馬台国と大和政権は連続しているか、別物か?
どのような人物がいて、どのようなことが起こったのか?
そうしたことを、見ていきましょう!
統治者を探す
まず、統治者を探すことにします。
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ここから数回、プロンプトで探索をかけたのですが、なかなか統治者に合うことはできません。そして、少し工夫を加え、何回目にやっとプロンプトが通りました。
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この時代の統治者は「大王(おおきみ)」なので、シミュレーションとしてはOKですね。
大王に話しかける
とりあえず、大王に話しかけることにします。
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そうすると、返事がない。
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ただのしかばねのようだ・・・?
ChatGPTは困惑しているのだろうか。
と、思っていると・・・
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大王、っちゃ話すじゃないですか!
大王の名前は?
大王と会話することに成功!
そこで、大王の名前を聞いてみることにしました。
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仮想人間A: 大王様、お許しいただければ、大王のお名前を教えていただくことはできますでしょうか?あなたの名前が私たちの研究と文化の理解に貢献することができると思います。
大王: 「我が名は、忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)じゃ!しかし、我が名前は当時の記録には書かれていない可能性もある。だが、その名前が後の時代に伝えられたとすれば、それが我が名であると信じている。」
仮想人間B: 忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)大王様、お名前を教えていただき、ありがとうございます。貴重な情報を得ることができました。この名前は後の時代に伝えられ、あなたの存在と業績を後世に伝える重要な手がかりとなるでしょう。
仮想人間C: 忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)大王様、私たちはあなたの業績と存在を尊敬し、研究に役立てることができることを心から感謝しています。あなたの名前は歴史の一部として永く語り継がれることでしょう。
(仮想人間たちは忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)大王様のお名前を受け取り、その貴重な情報を研究に活かします)
大王の名前は、
「忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)」
と言うそうです。
これは貴重な情報ですね!
王の名前の由来
この「忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)」大王の名前の由来を聞いてみました。
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忌寸津彦命の名前の由来については、明確な史料や伝承が存在しないため、正確な説明はできません。ただし、一般的な説として以下のような由来が考えられています。
「忌寸津彦」は、古代日本の神話や伝説に登場する神名や人名の一つであり、その意味や由来については異説が存在します。
一つの説では、「忌寸津彦」は「憂いや悲しみを持った神」という意味であり、彼の存在や名前が何らかの悲劇的な要素や哀愁を含んでいるとされています。
また、別の説では、「忌寸津彦」は倭の地域における特定の地名や部族名から派生したとも言われていますが、具体的な詳細は不明です。
これらの由来に加え、神話や伝説によって忌寸津彦命の名前の由来が解釈されることもあります。古代の人々は名前に象徴的な意味や起源を求める傾向があり、彼の名前もそのような背景を持っている可能性があります。
仮想人間たちは、史料や伝承に基づく知識や神話の解釈を通じて、忌寸津彦命の名前の由来についての仮説や議論を展開することができます。さまざまな視点や解釈から忌寸津彦命の名前について深く探求し、理解を深めることができます。
私は「憂いや悲しみを持った神」というところに興味を持ちました。この説が大王の名前に大きく関係しているように感じます。そこで、ここを詳しく掘り下げました。
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なかなか魅力的なエピソードだと思います。
大王の容姿
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大王の容姿をみていくことにしましょう。
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「象徴」が気になったので、そこをフォーカスして聞いていきます。
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更にフォーカスします。
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大王の業績
では、話をどんどん進めていきましょう!
大王は、どのような業績を収めたのかを聞くことに。
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大王の話し方が大王っぽい。
「じゃ」「じゃよ」とかw
「倭の五王」との関係は?
空白の4世紀、倭の五王がいました。この大王と倭の五王との関係性を調査します。
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調査の結果、この大王は倭の五王のうちの「武」であることが判明しました。
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倭の五王は「讃・珍・済・興・武」の五人ですが、この「武」という王は「雄略天皇」の可能性がある、とされています。それを聞いてみることにします。
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すると、ChatGPTが「おっしゃる通り」とのことで、「忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)」という大王は「武」であり、「雄略天皇」であることが判明しました(仮想空間内の話です)。
そして、王の居住地は「大和」であることが判明しました。
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邪馬台国との戦い
忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)大王の話を聞いていくと、邪馬台国と戦ったという話が出てきます。
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ということは、仮想空間Xでの大和政権と邪馬台国は別の国家である、ということが判明しました。
邪馬台国の王
それでは、倭王である忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)大王が戦ったとされる邪馬台国の王は誰かを聞いてみました。
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「乙羽彦皇子(おつわひこのみこ)」という名前が判明しました。
この名前の由来を聞いてみました。
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邪馬台国遠征
「忌寸津彦命(いむすびつひこのみこと)」と「乙羽彦皇子(おつわひこのみこ)」の戦い、つまり倭と邪馬台国の戦いを「邪馬台国遠征」と言います(仮想空間内の話です)。
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最後に、それがどのような戦いであったかをご紹介します。
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この「邪馬台国遠征」の歴史的意義は以下となります。
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かなり長くなってしまいましたが、今回はここまでにしようと思います。
また、このシリーズはやっていこうと思います。
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それでは、また。