52日間
熊本城の話です。
(※2016年4月に発生した熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城ですが、天守も復活し現在復旧作業中、今だからこそ観れる熊本城の姿に注目です。
公式HP https://castle.kumamoto-guide.jp/)
本当にいいものが時代を超えた例として、熊本城の例を挙げないわけにはいかないでしょう。この熊本城というのは真っ黒で、巨大な石垣がやたら目立つ威圧感のある城砦です。
徳川家康の対薩摩防衛思想に基づき、建てたのは虎退治で有名な加藤清正。
彼は小西行長とともに朝鮮出兵の先鋒として活躍しましたが、長期間、敵に城を包囲されたことがあって、欠乏する弾薬、飢餓状態などを経験し、城の重要性をわかっていました。その思いをその地元・熊本城に反映させたのです。
まさにヨーロッパの近代城砦と見紛うばかりの石垣の存在感に目を奪われる戦闘的な城はしかし、その後戦乱の中でその性能を示す機会に全く恵まれず(?)数百年を過ごします。
江戸から明治へ、時間の経過が世の中を変え、城自体不要のものとして各地で取り壊され出した明治10年(1877)、機会は突然訪れました。西南戦争です。敵は奇しくも家康の仮想的・薩摩でした。
西郷、桐野(利秋)らに率いられた薩摩軍はこの熊本城を最初の標的としました。当時熊本城には熊本鎮台軍がおりましたが、明治時代の徴兵制で集めた農民兵が主体。勇猛果敢、朝鮮出兵の時代には20万人の明・朝鮮連合軍をたった7千人で打ち破り「シーマンズ」と現地で恐れられたという武勇の土地柄、薩摩の戦士達との戦いの結果は明らかに思えました。
しかしですよ、この城は52日間も持ちこたえたのです。つまり最後まで落ちなかった。
戦国武将加藤清正の作った城は、大砲などの近代兵器を持つ300年後の敵と戦って負けなかったのです。
城の脇に当時の熊本鎮台司令長官、元土佐藩士・谷干城の像があります。坂本竜馬暗殺の時、一番に駆けつけたのが彼だそうです。諸説ありますが、薩摩が竜馬を暗殺してたとすれば、ここにも歴史の数奇を感じざるを得ません。今度九州・熊本に行く機会があったら、その思いで熊本城を見てみてください。ほんとすごく強そうなんで。
(2005.2.11初出)