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「やさしくさせてくれてありがとう」と感じた出来事

前回書いた「やさしさ」についての気づきは、
あるおばあさんに教えてもらったことでした。

私は前職の時に適応障害と診断されました。

前職だけが原因ではなく、
講師の仕事を辞める前後の出来事も
大いに関係していると思いますが・・・。

とにかく、自分に対して
「人として(人間性)の自信」を失ってしまったのです。

今回は、そんな時に起きた出来事です。

あるおばあさんとの出会い

そのおばあさんに会ったのは
退職前の有休消化中の3月にお出かけした時。

普段行かない街に朝から晩まで用事があり、
ランチを済ませ戻る時、

ヘルプマークをつけたおばあさんが
私と一緒の方向に渡るために信号待ちをしていました。

おばあさんは、杖もついているし、
目も開いていない状態。

少し大きめの道路なので
「渡り切れるかな?大丈夫かな?」と
気になっていたものの、

少し急いでいたし、
他にもたくさん人も居たし、
信号渡ったところに交番もあるので、
「お巡りさんが気づいてくれるかな?」と思い、
一度は信号を渡り
目的地の方向へ歩みを進めた私。

でも、信号が点滅していた時点で、
おばあさんはまだ半分ちょっとしか渡り切れていなくて…

「もしここで、おばあさんに何かあったら後悔する」と思い、

結局戻って、おばあさんに声をかけ、
一緒に信号を渡りました。

「私、トロいから…すみませんねぇ…」と言う
おばあさんの手はとても暖かくて。

こちらが暖かい気持ちをいただけた気がしました。

そんな時に自分の心に真っ先に浮かんだ言葉が
「やさしくさせてくれて(やさしさを受け取ってもらえて)ありがたいな」
「自分が誇らしく思える機会を与えてもらった」

でした。

それまでの約半年間、
職場の事でものすごくイライラしていて
パートナーさんと過ごす以外の時間で
あまりあたたかい気持ちになったことがなかった。

もしかしたら
おばあさんからしたら、余計な事だったかもしれない。

ただの自己満足だったかもしれないけど、
その時気づいたのは
「私は人にやさしくしたかったんだ。」

「辛かったのは
人から”やさしくされない”ことではなく、
”自分のやさしさを感じられる場所がなかった”からなんだ。」

「私は誰かを愛したかったし、
 やさしい自分を認めてほしかったんだ」

ということだった。

思春期から感じていたこと

私は、小学校高学年から高校まで、
容姿の事で同じクラスはもちろん、
知らない学校の人からも誹謗中傷される学生生活を送ってきた。

さらに、
元々引っ込み思案の内弁慶な性格から
その誹謗中傷によりどんどん暗くなっていった。

負けん気はあったので、
「学校は友達を作るところじゃない。勉強するところ。
 あんな奴らのせいで勉強まで追いつけなくなるのは嫌だ」
という想いだけで学校に通っていた。

だけど、
「どうせ私は愛されない・受け入れられない」
という想いはどんどん強固になった。

そして、どんどんひねくれていったのだ。

パートナーとの関係にも気づきが

今回のおばあさんとの出来事を通して、
その頃の事を振り返ってみると

私は「やさしくされない」ことよりも

「自分が本来持っているやさしさを
 出す機会すら与えてもらえない・否定された」
ということが辛かったんだ
と気づくことができた。

そういう意味でも
40歳を超えてから出会えた今のパートナーさんは
そんな私の「やさしくしたい」「愛したい」を
受け止めてくれる存在であり、
「彼と一緒にいる時の自分が好き」だと思えるんだと気づいた。

そんな存在に感謝の気持ちでいっぱいになった。

「与える側が偉い」なんて驕りである


一般的に見ると「親切にしてあげた」側と
「助けてもらった」側という構図に見えるかもしれないが、

おばあさんのおかげで
私はあたたかい気持ちや、たくさんの気づきをいただいた。

「人に親切にして、私は偉いわ♪」なんて驕るのではなく、
「やさしくさせてもらってありがとう」なのだ。

一見、与えているように見えるけど、
やさしさを受け取ってもらえることは
とてもありがたいことなんだ。

だから「してあげた」なんて驕ってはいけないと思う。

では、人からもらうやさしさは?

とはいえ、
人からやさしさをもらう側になった時、

「お前の自己満足だろ!」
「こっちは受け取ってあげてるんだ!」
なんて思ったり言ったりするのは、当然お勧めしない。

「やさしさを与える場所として
 私を選んでくれてありがとう」
という気持ちで受け取るのがおススメです。

でも、心の事などを学んでいなくて、
自分のエゴで人にやさしくして
好かれよう、優位に立とうと、
人をコマのようにコントロールしてくる人もいる。

そんな時、受け取る側は選択できる。

前回の記事で書いた
「やさしさは自分を好きでいるためのもの」
という前提のもと、

「相手が相手自信を好きでいられる状態」を作ってあげるのも
自分が与えられるやさしさの一つでもある。

つまり、受け取ることで
自分も自分の事が好きでいられるということ。

やさしさの循環ができると、
あたたかい人間関係が築けるだろう。

ただし、
あまりにも相手のエゴ全開のやさしさだと感じるのであれば
受け取らない選択もありだ。

受け取ることで、自分を好きでいられなくなるのであれば。
(色んなしがらみでそうできない時も当然あるが…)

まとめ

今回も長くなってしまいましたが、今回のまとめです。

  • やさしくする側が偉いなんて考えは驕り

  • 人からもらうやさしさには素直に「ありがとう」

  • 受け取るか受け取らないかは選択できる。

  • 「自分を好きでいるため」の選択をしよう

今回も、最後までお読みいただいた方が居たらありがとうございます。

またお会いしましょう♪



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