『源氏物語』を「恋愛小説」といふ勿れ(3) ※「光源氏と一条天皇」編
5 なぜ光源氏のモデルは確実に分かるのか
専門家は、『源氏物語』を架空の貴公子光源氏の雅な恋愛が描かれている物語として読むようにと、私達を指導してきました。
しかし、そのように光源氏を架空の貴公子と私達に読ませたため、「一条天皇が長大で難解な『源氏物語』を読み続け理由」が「七大ミステリー」の一つとなったのです。
結論から言えば、光源氏はモデルのいない架空の人物でも、モデルに似た架空の別人でもなく、実在するモデル本人なのです。
つまり光源氏が、実在するモデルと同じ人物であることで『源氏物語』は一条天皇が「必ず」読み続けたいと思う物語となり、かつ、藤原道長は政治的意図を、紫式部は執筆意図を物語に込められたのです。
つまり専門家が指導する『源氏物語』に対する小説観は、本来の『源氏物語』の小説観とは、正反対なのです。光源氏のモデルとなった実在する人物を検証していきます。
そして光源氏のモデルが、その実在する人物でなければならない謎に回答します。その謎に対する筆者の回答は、世界初の回答になります。
光源氏のモデルには三人の有力な候補がいます。
一人目は、特別な権力者の藤原道長です。光源氏もそうであるため道長は有力候補です。しかし、そのモデルの父は天皇で、自身が元皇族でなければなりませんが、道長はどちらにも当てはまりません。さらに、そのモデルは謀反で左遷されていなければなりませんが、道長は左遷をされていません。したがって、道長は明らかに○○○のモデルではありません。
二人目は、貴公子の源融です。光源氏が夕顔と契った某院は融の河原院だと言われています。さらに融の父は天皇で自身は元皇族です。出自に共通点があるため融も有力候補です。しかし、融も謀反で左遷をされていません。そのため融も明らかに光源氏のモデルではありません。
三人目は、左大臣という特別な権力者で、元皇族の源高明です。高明の父は天皇で母は更衣です。高明と両親の出自が、合致しています。さらに高明は謀叛で左遷をされ、その時期が「三月二十日あまり」(「須磨」)であることも合致しています。
藤原道長や源融には謀叛による左遷という最重要事が欠落しているため、モデルではありません。しかし源高明は、「光源氏の出自・父の出自・母の出自・左遷・左遷の時期」の五点の要点が合致し、その確率は三十二分の一と同一人物にしていない限り起きない確率のため、「光源氏のモデルは、源高明だ。」と言いきれるのです。
つまり「光源氏のモデルは源高明であると一条天皇が確実に分かるように意図的に造型されている。」のです。
因みに、源高明が光源氏のモデルだ、と最初に明言したのは左大臣の四辻善成(一三二六~一四〇二)です。善成は、『源氏物語』の代表的な注釈書の『河海抄』の中で「桐壺の御門は延喜(=醍醐天皇)、光源氏は西宮左大臣(=源高明)此くの如く相当するなり。」としました。ただ大事なのは、そこではなく「なぜ光源氏のモデルは源高明なのか。」というところです。しかし光源氏のモデルは源高明だと明言したのに、その必然性について明言しなかったのです。実に奇妙で不自然です。
そして、その四辻義成の時代から千年経った今も専門家は、その謎に回答をしていません。仮に回答していれば、基本事項を解説する高校の教科書に当然、その回答を載せて、解説していなければならないからです。しかし、その基本事項に関する解説を教科書で見たことがありません。
源高明が○○○のモデルだと明言しながら、高明が光源氏のモデルである必然性について専門家が千年も明解な回答をしない不自然さは、今の天皇家の信頼性に関わる天皇家の闇を国民に知らせまいとする高慮以外では説明がつきにくいのです。
源高明は安和の変で「勅勘を蒙った謀叛人」とされました。当時、勅勘を蒙った謀叛人となれば直ちに死罪となる重罪です。ところが、円融天皇は、高明を死罪に処さず、高明の帰京と復位という「安和の変の不正を償う鎮魂」で左遷の原因である謀叛を捏造した過失を認めたのです。
綸言は汗の如しで、天皇は一旦出した勅勘を否認しません。天皇が過失を認めることになるからです。基本的に天皇は過失を絶対に認めません。
たとえば『光る君へ』の第二十四話でも一条天皇は「(藤原伊周と隆家の遠流の処置を)止めてほしかった。後に聞けば、呪詛は噂に過ぎず、矢は車に当たっただけだ。」と藤原道長を不注意な悪人にして責任転嫁し、自身の過失を認めませんでした。
昭和天皇も「わたしが戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、国民はわたしを精神病院に押し込め、彼等は簡単にわたしの首をちょんぎったでしょう。」(『昭和天皇独白録』)と戦前、ヘレンケラーやアインシュタインが、平和を好み、礼儀正しく善良だと評した国民を好戦的な悪人にして開戦責任を転嫁し、自身の過失を認めませんでした。
因みに、国民が天皇を精神病院に押し込めたり、首を切ろうとしたりする大逆事件があったので、そう言ったのでしょうから『昭和天皇実録』で事実確認をするため同実録を調べましたが見つかりませんでした。根も葉もない言いがかりではと、あと一ヶ月で特攻に征っていた叔父に聞くと、「国民が天皇の首を切るとは心外だ。そんな事件が日本中で大騒ぎになるが、そんな事件を聞いたこともない。国民は天皇と天皇家を守る御楯となるため特攻を熱望し命を捧げたのだ。戦争にご反対なのであれば、大東亜戦争は米英ソ支との玉砕戦争となるから反対だ、と開戦前に国民にはっきりとご説明になればいいのだ。その説明をしなかった理由を国民を未開人にし開戦責任を転嫁するのは卑怯だ。
東条が東京裁判で云ったことは本当だ。高官や国民が、天皇のご意思に逆らう不敬を犯すことはない。天皇は、そのご意思に従い、勇敢に戦い、命を捧げた三百万の国民をいとおしいと思わず、天皇が戦争に反対すれば、その首を切る野蛮人だから反対できなかったとするのは卑劣だ。
天皇は、東条も悪人にしているが、開戦に反対し、杉原千畝より3倍以上の2万人のユダヤ人を、ソ連の侵略を占守島で止めた樋口季一郎と救った。しかし天皇は、命の危険に瀕していたユダヤ人を一人として救っていない。ユダヤ人救助から見れば、東条は天皇より人道的だ。
特攻作戦は、ドイツにもあった。ただ雲泥の差があった。これも天皇家のために隠蔽されているが、ヒットラーは「生き残る可能性は兵士に残すべきだ。」と特攻に反対し、若者を守った。
しかし、天皇は「よくやった。」と特攻を称賛して、四千人の若者を見殺しにされた。四千人の若者には前途や夢があり、家族がいたのだ。特攻作戦から見れば、天皇はヒットラーより非人道的だ。
若者は日本の未来だ。その若者の自殺攻撃を止めるどころか、褒め続けた天皇なれば国民を守ることはなく、天皇が平和の努力をすれば首を切る、と国民を野蛮人にして開戦責任を転嫁をしたのは、宜なるか。」と嘆き、怒っていました。因みに、昭和天皇は、マッカサーとの最初の会見でも似たことを話しています。戦死した国民も兵士も怨魂を抱いています。
なぜなら国民は戦争に反対していたからです。たとえば、国会で一時間半も日中戦争反対の演説をして除名された斎藤隆夫を国民は絶大な支持をして次の選挙でトップ当選をさせています。醍醐天皇のように昭和天皇は、自分が戦争に反対したら国民に首を切られるから反対できなかった、というとんでもない濡れ衣を国民に着せています。
勿論、『源氏物語』の中にも、天皇が過失を絶対認めないことを紫式部は記しています。地獄に堕ちた時、生前過失が有ったことは、幼い子供もよく知っています。ところが故桐壺院は、地獄に堕ちているのに「過つことなかりしか」(過失は無かった)(「明石」)と言っているのです。その結果、戦時中でも三食食事をとることができ、映画を鑑賞してお菓子を食べられ、空爆時は頑丈な防空壕へ避難できる生活をさせてもらった恩人の国民に感謝できず、未開な野蛮人にしたて責任転嫁するのです。部下は、上司のやり方を真似ますので、その組織にいる国民が幸せになれるはずがありません。
とまれ、なぜ円融天皇は、源高明を謀叛人だ、悪人だと言い続けず、謀叛を捏造した過失を認めたのでしょうか。
また、一条天皇が『源氏物語』を読み続けたのは、どのような内容が物語にあったからなのでしょうか。
この先の内容は、『源氏物語』の「七大ミステリー」の一つである一条天皇が長大で難解な『源氏物語』を読み続けた謎に対する筆者の回答は、世界初の回答です。専門家は仕事なので『源氏物語』を読み続けます。しかし、そうでなければ、同時代でも注釈なしで、この物語を読み続けることは無理です。仕事より、恋愛より最優先で『源氏物語』を読む理由が、同天皇にはあったのです。
どうぞ、ご覧になってください。
※○に人名を漢字で入れてください。クイズとしてお楽しみください。本稿の(4)で回答します。
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