『源氏物語』を「恋愛小説」といふ勿れ(5) ※「怨霊」編
第3章 「恋愛小説」の怨霊と「諷刺小説」の怨霊
1 怨霊は「恋愛小説」の時にだけ現れるのか
『源氏物語』でしばしば登場する怨霊は、この物語が「恋愛小説」の時にだけ現れているわけではありません。「恋愛小説」から「諷刺小説」へ翻転した時にも現れています。
しかし専門家は、たとえば「恋愛小説」と見える時の六条御息所の怨霊しか取り上げません。
恋愛絡みにして商売をしたい、ややこしい天皇家の闇を避けたい、という専門家の主観が見え隠れしています。しかし、まずは『源氏物語』を客観的に読めるように、主題を把握できるように、「恋愛小説」から「諷刺小説」へ翻転した後にも現れる六条御息所の怨霊も取り上げるべきです。
平安時代では「物」は、「霊」の意味で使われていました。たとえば「物におそはるる心地して」(「夕顔」)の「物」は、某院に潜む「霊」を意味していました。つまり物語は、霊に声を与え、霊に真実を語らせる「霊(もの)語り」だったのです。今の感覚とは合いませんが、一旦、当時の感覚に合わせ、物を霊に置き換えてみます。
では、『源氏霊語り』を執筆する時、紫式部は霊に声を与え、どのような真実を語らせようとしていたのでしょうか。
紫式部には「亡き人に かごとをかけて わづらふも おのが心の鬼にやあらぬ(後妻にどうして取り憑くのかと、あなたは前妻の怨霊に恨み言を言って悩んでいるけれど、怨霊などいません。前妻に対する罪悪感という「心の鬼」を抱くことで、後妻に前妻の怨霊が取り憑いているように思うのです。)」(『紫式部集』)という式部の霊に対する認識がよく分かる和歌があります。
この和歌によって紫式部は、「霊は存在しない。にもかかわらず、霊を感じるのは、心の鬼(罪悪感)を抱くからだ。」と、霊を認識していることが分かります。つまり霊がいないと認識している紫式部が霊を描く理由は、霊を感じさせる罪悪感の原因である不倫や政変の不正を描くためなのです。
現代の読者は、専門家が推す架空の雅な「恋愛小説」の小説観から『源氏物語』を読む時に霊を感じる○○感の原因に不倫しか認識できません。そのためたとえば、夕顔との不倫に罪悪感を抱いた光源氏が「物におそはるる心地して」(「夕顔」)に記された「物」に、六条御息所の怨霊の気配があると解釈すると、そこで読者は読了するのです。
しかし、霊を感じる罪悪感の原因には政変の不正もあります。ただ、今の天皇家に対する信頼性に悪影響を与える天皇家の闇は、知らしむべからず、との浅慮から、物語で重要な役割のあるその霊を高校の教科書に載せることはありません。
つまり『源氏物語』を教科書で学習するため私達は、六条御息所の怨霊から不倫と結びつく怨霊について知っていても、「諷刺小説」へ翻転する時の六条御息所や光源氏の怨霊から天皇家が政変で犯した不正と結びつく怨霊について知ることはありません。したがって私達は、天皇家の深い闇について何も知りません。専門家がメデイアを活用して模範的な名家と言えば、その通りに刷り込まれるのです。
物語の主人公である光源氏を恋愛と怨霊の両面で理解すべきなのに、恋愛小説の片面のみで理解させられることで、真の光源氏を理解できないようにさせられているため、私達はこの物語を客観的に読むことも、物語の主題を知ることもできないのです。
それは連日大きな話題となった職員の自殺の死因を不倫発覚とパワハラの両面で理解すべきなのにパワハラの片面のみで理解させられることで、死因はパワハラだと理解するようにさせられているため、死因について客観的に知ることも、事件の問題点について知ることもできないことと似ています。『源氏物語』を「恋愛小説」といふ勿れ。
因みに、天皇家は、政変で陥れて憤死させた無実の忠臣の怨霊を感じてもその怨霊を認めることは、基本的にありません。なぜなら無実の忠臣の怨霊を認めると、その霊を出現させた不正や不正による不当な即位を認めることになるため、民は天皇家の正当性を疑うからです。
つまり天皇家は、民の幸福という公益を実現するために政治を執っているとしていたのに、実際には覇者が覇者の家の存続という私益を実現するため政変を画策し、本来天皇家となるべき王者とその忠臣を陥れて天皇となって栄華を極めている、という天皇家の闇を、すなわちその自己本位な在り方で民を不幸にして路を死骸で一杯にする天皇家に政治を執る資格はないという不都合な真実を、発覚させまいとしたのです。
但し、その真実を発覚させることになってでも、○○家が怨霊を認める時があります。それは神社への奉幣などをしても怨霊の怒りが鎮まらず、政変で犯した不正を認め、償わないと怨霊に祟り殺される、と強烈に怯懦した時です。たとえば最終手段として「天神」として祀るなど怨霊と結びつかないものへ目を逸らし、政変の不正を償う鎮魂をするのです。
たとえば醍醐天皇は、菅原道真の怨霊を認めました。なぜなら共犯の藤原時平も、自身の子孫も頓死し、道真の怨霊に祟り殺される気配に強烈に怯懦したからです。そこで同天皇は、無実に忠臣道真に謀叛を捏造した不正を認める「昌泰の変の不正を償う鎮魂」をしたのです。
具体的は醍醐天皇は、菅原道真の官位を政変で左遷する前の官位に戻し、無実の道真を罪人にした過失を認めて、怨霊に祟り殺される天皇失格の頓死を回避しようとしたのです。
この先の内容は、『源氏物語』が実在の人物と実在の政変に基づいていること、なぜ紫式部はそのように造作をしたのか、について説明する世界初の内容になっています。
また、『源氏物語』で紫式部が諷刺をするために駆使したコード(暗号)について説明する世界初の内容もあります。
それぞれを、どうぞご覧になってください。
※○に漢字を入れてください。クイズとしてお楽しみください。本稿の(6)で回答します。
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