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『源氏物語』を「恋愛小説」といふ勿れ(2) ※「藤原道長と易姓革命」編

第1章 『源氏物語』と藤原道長

1 藤原道長は『源氏物語』に本当に関与していないのか

   なぜ『源氏物語』は執筆されたのか。その質問に対して専門家は 通説で、亡夫後の無聊を慰めるため、としています。しかし、そのような思いつきの内容だと、好学の一条天皇の心をつかむことがあっても、つかみ続けることはありません。
 一条天皇が切実に求める内容が各巻に据えられていないと、同天皇の心をつかみ読み続けることはなく、したがって彰子の許に通い続けることはありません。同天皇が切実に求めていると言い切れる『源氏物語』の内容ついては、本稿の(3)で詳述します。
 また通説では、藤原道長は『源氏物語』の内容に全く関与していません。道長は、この物語の内容に本当に関与していないのでしょうか
 一条天皇が彰子の許に通い続けること、すなわち皇子誕生に九条流の命運がかかっています。そして定子のような知的で華やかな魅力が彰子にはありませんから、同天皇を彰子の許に通い続けるようにするためには『源氏物語』しかありません。そのため藤原道長が、紫式部に物語を造作させる時、内容も含めて丸投げをしません。つまり家の大事を成功させるため、道長は同天皇の心をつかみ続ける物語の内容を模索したのです。
 そこで道長は、一条天皇が確実に求めている内容を公家や女房、家人から情報を必死に集め、遂に見つけたのです。それは、父藤原兼家が花山天皇につけ込んだ苦境と同じ種類の内容です。藤原家は、摂関家になるのは天皇を支えたいからではなく、世を「我が世」としたいからなのです。
 藤原道長の政治的意図は、迭立しつつも冷泉系と円融系が天皇家になるのを競っている時、冷泉系を不適格化して、円融系で引き続き摂関家となって政権を盤石にすることです。彰子が皇子を産んでも、円融系には解決すべき重大な問題点がありました。
 それは、円融天皇が安和の変の不正を事実上認めた「過失」です。さらに天皇家にとって闇となる重大な問題点が二点ありました。
 今の天皇家の正当性とは無関係ですが、一点目は、その祖である円融天皇は、安和の変で無実の源高明を謀叛で陥れた不正による不当な即位をした点です。二点目は、子の一条天皇は、寛和の変で兄宮の皇統であるため弟宮の皇統より先に即位できる冷泉系の花山天皇の苦境に乗じて騙して退位させた不敬による不当な即位をした点です。
 それら三点の全てを解決するため『伊勢物語』の主軸の日本式易姓革命を『源氏物語』でも主軸とさせました
 因みに、「日本式易姓革命」は、筆者の造語です。簡潔に言えば、物語で易えたい天皇の父は臣下だと難じて、天皇として不適格者にする奸策です。藤原家は摂関家になって、すなわち天皇家となって「我が世」とするため、御しやすい天皇がいいのです。そこで手を焼く天皇に対し、父が臣下のため臣下の「姓」を有している、と匂わせる物語を造作したのです。
 その結果、姓の無い万世一系の皇統断絶を嗅ぎつけた読者の公卿は、父が天皇で姓を有しない皇統へ「易」えようと暗躍します。その圧力を利用し、御しにくい天皇から御しやすい天皇へ「易」えるのです。
 すなわち摂関政治をしにくい天皇に臣下の「姓」を持つ物語を造作させ、姓の無い万世一系の皇統を断絶させたとして摂関政治のしやすい天皇や皇統に「易」えるのです。
 藤原道長は、兄宮の冷泉系の皇統を弟宮の円融系の皇統に易えたいため、その「日本式易姓革命」を『源氏物語』の主軸とさせました。実際、物語の内容は、そのように造作されています。上記の政治的意図に沿って冷泉系の皇統を円融系に転換する内容の物語が造作され、展開していたことは、筆者の世界初の発見です。本稿の(7)で本文に即しながら詳述します。
 ところで、一条天皇が、興味を「必ず」持ち続ける内容とは、どのような内容でしょうか。その内容は、紫式部には分かりにくいのです。その内容は、一条天皇の苦境に関する情報を仲間の公卿や女房、家人から集められる政治家の道長だからこそ入手できた内容です
 因みに、一条天皇が切実に求める内容を換言しますと、同天皇が「必ず」読みたくなる、そして、「必ず」読まざるを得なくなる内容です。その内容は二点ありますが、どちらも同天皇が「必ず」読み続けると言い切れる内容です。本稿の(3)詳述します。
 専門家は、既述した通説で『源氏物語』の最初の読者を女房だと言い切っていますが、確たる証拠はありません。しかし、『紫式部日記』を証拠に、この古典の読者だと言い切れる読者がいます。一条天皇です。なぜなら同日記には同天皇が「この人は日本紀をこそ読みたるべけれ。まことに才あるべし。」と紫式部と『源氏物語』を絶賛した感想が記されているからです。
 そのような『源氏物語』を絶賛した記録が無い女房を最初の読者にして、その記録の有る一条天皇を最初の読者ではなく、最後の読者とする専門家の通説は、不自然で非論理的です。天皇が読者である以上、天皇以外のためにこの物語が造作された可能性を詰める必要は全くありません。
 しかし、詰めますと、この古典には、同天皇だけが安堵でき、かつ、その心だけを激しく揺さぶる内容が、物語の中核に据えられています。そのためこの古典は同天皇を読者と想定して造作された、と言い切れるのです。
 同天皇を読者と特定できる内容を根拠に『源氏物語』の読者を同天皇だとした発見は、筆者の世界初の発見です。
 客観的に一条天皇が読者だと言うことができ、かつ、その同天皇を読者として想定した内容が物語の中核に据えられている時、同天皇が絶賛した感想にある『日本紀』が、『源氏物語』に本質的な影響を与えているとするのが自然で論理的です。
 では、なぜ一条天皇は、政変を記した『日本紀』が『源氏物語』に本質的な影響を与えたと認識したのでしょうか。
 通常、物語で天皇をモデルにした帝は、そうでなくても賢帝として描くのがお約束です。しかし、『源氏物語』では父円融天皇をモデルにした帝は父が認めた安和の変の不正によって不当な即位をした以外の理由がない帝失格の愚帝として描かれ、かつ、恥多い不幸を繰り返し与えられています。 
その異常さは藤原氏の家のため本来天皇家となるべき源氏の家を陥れ、犠牲にしていいという自己本位な天皇家の在り方に対する紫式部の忿怒による、という以外の説明では、その帝の評価と不幸を説明できません
 つまり一条天皇は、父円融天皇をモデルにした帝が安和の変で犯した不正で不当に即位したことを理由に帝として失格者だと鋭く批判されていた、と感じたため、『日本紀』を読み込んだ「実在の骨太な諷刺小説」だ、と認識せざるを得なかったのです。
 一条天皇を読者として想定し、その父円融をモデルにした帝失格の愚帝をもって『日本紀』が物語に本質的な影響を与えたと認識した『源氏物語』の主題は、「架空の雅な恋愛小説」という小説観からは分かりません。
 一条天皇を読者として造作された『源氏物語』は、同天皇が認識した「実在の骨太な諷刺小説」という小説観から、その主題に迫るべき古典です。
 この先の内容は、まずは『伊勢物語』の「千年謎」の回答です。この回答は世界初の回答です。どうぞ、ご覧になってください。

気骨のある娘は、父の仇を忘れない。

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