なぜ人は他人の目が怖いのか
こんにちは
現在の世の中の状況に
フィーチャーするような動画を観て
とても勉強になったので今回覚書させていただきます
なぜ人は生贄(いけにえ)を探し続けるのでしょうか
本当の正義とは何でしょうか
現在のコロナ禍のような社会の危機的状況を乗り越えるために、人々は変わらねばなりません
人は異なる要素があるものを排除しようとする生き物
人間は、実に不思議です
個体ひとりひとりの考え方を聞けば
さほど良識がないとも思えないのに
集団になると、それだけで凶暴になり
異なる内面、異質な外見を持った者を
執拗に排除しようと何年も忘れずに叩き続け、
体内に取り込まれた異物を排除するかのごとく
集団は異質な者をどうにかして排除しようと足掻く
誰のコントロールも受け付けず
問答無用で異物を排除しようといつも生贄を探す
社会が危機感に覆われ、人々が不安に直面するほど
この現象が強まる傾向にあるようです
パンデミックで明るみになる
パンデミックをはじめ、
地震などの自然災害が起きる時
必ず移民や特別な仕事に従事する人や
一般的ではない振る舞いをする人が
この現象の犠牲になっています
2020年は、近年でも特に
世界全体が大きな危機感にさらされた年でした
この現象について、思い知らされるようなニュースが
大小含めて相次いだのは
皆様も感じていらっしゃったのではないかと思います
自らを正義と思い込んでしまった途端に
人はどんなに残虐な事でも
あまり心を痛めずにいられてしまうものなのです
魔女狩りについて【歴史と現代】
歴史的には、もっと残酷な形で
この人間の心理が顕在化した時期がありました
その歴史的な例として魔女狩りが挙げられます
ヨーロッパ中世末の15世紀には、
悪魔と契約してキリスト教社会の破壊を企む
背教者という新種の「魔女」の概念が生まれるとともに
最初の大規模な魔女裁判が興ったそうで
初期近代の16世紀後半から17世紀にかけてが
魔女熱狂とも大迫害時代とも呼ばれる
魔女裁判の最盛期だったようで、
ドイツを中心にヨーロッパにおける魔女狩りが
行われていたそうです
悪魔に仕え、呪術で人々にさまざまな害悪を及ぼす
魔女ではないかと疑われる人物に対し
裁いたり制裁を加えるといった迫害が
行われていたそうです
社会不安に対する生贄として
『魔女とされた無実の人々』は
民衆自身によって裁判にかけられ殺められたそうです
魔女狩りは当時、キリスト教により
魔女を殺めるのが正義だと半ば認められていたそうです
自信を正義の側において自分が救われるには
魔女を裁かなければならないと多くの人が恐慌をきたし
魔女を裁くことが神の真意に沿うことであると
信じていたようです
しかも、現代でも
アジア、アフリカ、中東、オセアニアの一部で
現代でも妖術や精霊の存在やシャーマニズムが
信じられているそうで、
一部の暴徒によって私刑という形で
魔女狩りが行われているそうなのです
そして現代日本における冤罪事件では、
警察官が被害者の証言または自らの推理を過信し
自白重視の姿勢から拷問まがいの過酷または
違法な取り調べを行った結果、
精神的に追い詰められた無実の被疑者が
虚偽の自白をするという事例が
数多く明らかになっているそうです
このことを揶揄して
「魔女狩り」「魔女裁判」と言うこともあるそうです
正義こそがすべて…?今も昔も本質は変わらない【シャーデンフロイデ】
自信が正義を行なっていると信じており
かつそこに権威の存在があるのならば尚更
人はどこまでも残虐になれたそうです
人間には集団にとって都合の悪い個体を見つけ出し
排除する仕組みが備わっているそうです
知恵を持つ人間ならば
これを過激化させないこともできるはずですが
しかし人間の脳そのものは
魔女狩りがあった数百年前から
ほとんど変化していないそうです
人間は非常に残念なことですが
他人が失敗したり不幸な出来事に遭った時
思わず湧き上がってしまう
喜びの感情を持っているようです
これをドイツ語由来の学術用語で
シャーデンフロイデ(Schadenfreude)と言うそうで、
シャーデン=損害、害、不幸、など
フロイデ=喜び
という意味で
自分が手を下すことなく
他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと
見聞きした時に生じる
喜び、嬉しさといった快い感情のことを指すそうです
簡潔に述べると、
他人の損害を喜ぶ感情のことを表します
"Schadenfreude ist die schönste Freude, denn sie kommt von Herzen.
(意:シャーデンフロイデは最高の喜び、
なぜならそれは心から来たものである。)"
ということわざもあるそうです
日本語では『ざまあみろ』の感情で
シャーデンフロイデの類義語としては
「隣の貧乏鴨の味」および「隣の貧乏雁の味」があり、
「隣の不幸は鴨の味」「隣の不幸は蜜の味」
「隣の不幸は鯛の味」「他人の不幸は蜜の味」
などともいうそうで、
「人の過ち我が幸せ」
「隣で餅搗く杵の音一つ食いたい蓬餅」
「隣で倉が建てば此方で腹が立つ」
「隣り嫉み(となりそねみ)」も類義語であるそうです
SNS黎明期の2000年代前半にネットスラングで
メシウマ
(”他人の不幸で今日も飯が美味い”の略)
という言葉が流行りましたが
その感情にも通じると思います
同調圧力が働く事による弊害と終息
シャーデンフロイデが集団内で発生した時
異質な他人を排除する方向に動きます
同調圧力が働き、
異質な人々を魔女として排除した
当時の普通の民衆の精神状態が目に浮かぶようです
魔女狩りの裁判が終息したのは
上層部の意識が変わったからだそうです
民衆からの告発が減ったわけではなく、
民衆は依然として異質な者を排除するために
告発を続けていたそうです
ただ、それが裁判として受理されなくなった、
それだけのことだったようです
これは他国の例だけではない
依然として私たちの中には
この民衆のように正義中毒の火種が
くすぶり続けているようです
現代でも、局所的に自然発生する形で
なお魔女狩りのような行為は行われ続けています
しかしそれは果たして遠い国だけの話なのでしょうか
人が集団で存在し、誰かが統制できない状況が続くと
些細なことが原因で魔女狩りは起きてしまいます
何の過ちもない人に対し
あの手この手で罪状をあげ
相手が叩き潰されるまで
終わることのない魔女狩りの闇…
日本も例外とは言えないのでないでしょうか
誰にでも集団による排除の対象になる可能性があり、
誰の心の中にも異質である人を
陥れずにはいられない
”自分の信じる正義”があるのだそうです
そして現代社会の実情
愚かなことに、人間の脳は
他人に正義の制裁を加えることに
悦びを感じるようにできているそうです
例えば、匿名によるネット上での叩きは
まさにその現れではないかと思います
人々が歪んだ正義にとらわれて、
排除する対象を探し始め(生贄)
制裁の快感に飲み込まれて我を忘れてしまう前に
一人でも多くの人が気づいて変われば
良いのだと思います
身近でも起きている
こんな場面を経験したことはないでしょうか
自分が苦しい状況の中、
一生懸命頑張っているのに
楽して得をしている人を見ると
・何だかモヤっとしてしまう
・ムカついて仕方がない
・何で自分はこんなに苦労をしているのに
あいつだけイイ思いをしているのだろう
・腑に落ちない、●ねばイイのにとすら思う
・働きもせず呑気に遊んで暮らしている人を見ただけで
イライラが抑えられない
実はこうした一見ネガティヴな心の働きも
人間という生物のごく自然で
健康な機能の一つだそうです
当てはまるからといって
慌てて綺麗事で塗り固めたり
自分を卑下する必要はいらないそうです
とはいえ、
自分が思わぬ得をしたり同じ状況になった時
自分も他人からそう思われてしまうのではないか、と
心配になってしまうのもまた人間の性でしょう
そしてムカつき、苛立ちを感じる相手は
画面の向こうにいる人たちだけとは限りません
配偶者、家族、友人など
むしろ近くにいる存在の方が
不公平感や不条理性や
不平等な関係を意識させる可能性が高いと言えます
誰かが得をしているとモヤっとするのは
人間が何かと比較しないと
幸福を感じることができない、
という脳の性質を持っているためでもあるそうです
私たちはそれほど自分自身の基準を持てない
悲しい生き物でもあるそうです
決して性格が悪いわけではなく、
人間というのは自分の基準よりも
他人との比較を優先しやすいものなのだそうです
社内でも身近に起きることが多い
誰とも比べることができず、
自信が持てないという人は案外
高収入の人に多いそうです
自信なんて持ってしまったら
自分は終わってしまうのではないか、と
怯えてしまう人もいるそうです
年収が変化するたびに自分が置かれている層との
競争と比較が始まります
自分じゃない誰かが出世したり
収入が増えたりすることで
不幸を感じてしまう地獄は
収入が増えたところで終わるものではありません
誰もが羨む立場になった時こそ、
自分が試される瞬間がやってくるとも言えます
『他人の不幸は蜜の味』などと言いますが
逆に人間は『誰かと一緒に幸せになる』ということを
苦手とする不思議な脳を持ってしまっているそうです
それはただただ悲しいことなのかもしれません
こういった脳の性質は克服できるものなのでしょうか
克服できないまでも、
うまく活用していくことができるものなのでしょうか
同僚の収入が増えると
自分の収入が同じ額だけ無くなったように感じて
ネガティヴな感情を味わう、という研究があるそうです
自分の年収が減ったわけでもなく
損をしていないはずなのに
誰かが得をしていることを知ると
自分が損をしたような認知が生じてしまうそうです
コロナ禍で実際に起きたこと
例えばコロナ禍では
事業者救済のためにさまざまな政策がとられましたが
これらの動きに対して不満の声が上がりました
しかし、よく考えてみると
それはおかしなことだということに気づくでしょう
この件で誰も損をしていないのです
ただただ得する人がいた、
これだけで不満の声が上がってしまったのです
恩恵を得るのは飲食店や旅行業者など
ある業種に限られているということから
利権政治ではないか、という声が上がったのです
国民全体が得をすること自体に意を唱える人は
いないでしょう
けれど自分は恩恵を得られないのに、
誰かが得をしているのは許せない
つまり、自分は損をしている、と
感じる人が数多く存在したのです
人々が満足するのは
自分も得をしたと実感できる何かを得られた時です
その時ようやく人々は他人を攻撃することをやめ
穏やかな心で誰かの不幸をともに嘆き
誰かの幸せを、心から喜ぶことができるのです
日本人特有の性質
日本人の社会的振る舞いは大変節度のあるものであり
控えめで美しいと海外から評価されることが
しばしばあるようです
これは大変誇らしく思えますが、
冷静に考えれば親切で礼儀正しいのは
相手に対して無礼に振る舞ったことが広まり
誹謗されることによる不利益をかぶるリスクを
抑えるためであったり
真面目なのは誰かから後ろ指をさされて
村八分にならないための自衛行為であったりもします
協調性があるというのも
そうしなければ本当に困った時に
誰も助けてくれないかもしれないから、
という理由が隠れていたりもするでしょう
日本人のこうした逆説的な良い意味での悪い性格が
原因となっているとも言えるのです
日本人特有の性質とスパイト行動
そんな日本人は他国よりも顕著に
スパイト行動をしてしまうという報告があるそうです
スパイト行動とは、
相手の得を許さないという振る舞いのことです
もう少しきつく言えば
自分が損してでも他人を貶めたいという
嫌がらせ行動とも言えます
大阪大学社会経済研究所が
このような実験を行ったそうです
被験者に、『お金を出資し合い道路を造ろう』
というゲームをさせました
プレイヤー同士が互いにどのような行動をとるかにより
自分損益が決まるというルールで
心理的な駆け引きが見えてくるようになっています
この実験によると日本人は
スパイト行動(自分が損してでも他人を貶めたい)が
顕著だったそうです
日本人は他人が利益を得ようとして
自分を出し抜くことを嫌います
フリーライダーを許してはならない、
タダ乗りする奴を許せば社会の損失となる、と
自分が損をしてでも他人の足を引っ張ろうとするのです
そしてこの傾向は、
世界の他の国の人々には見られなかったそうです
なぜ日本だけ、この現象が見られるのでしょうか
『出る杭は打たれる』ということわざがありますが
これは非常に日本的は発想であり、
海外ではそれに該当することわざはないようです
一見素晴らしく見える日本人の親切さ、
礼儀正しさ、真面目さ、協調性
これらはもしかしたらスパイト行動で
自分が怖い目に遭わないための
同調圧力から生まれているのかもしれません
この実験ではゲームが進むにつれ
プレイヤーは協力的になっていったそうです
これは協力せずに自分が出し抜こうとしたら
仕返しをされるだろうという
恐怖が大きくなっていったからだと
考えられるそうです
これについても他国では
同じような傾向は見られなかったそうです
Win-Win、ではなくLose-Loseになってしまう
この日本人特有の他人が得するのを許せない、
という精神は
どちらも得をするという
Win-Winへ結びつかなくしてしまいます
また興味深いのは、
私が損をしているのだから、あんたも損をすべきだ、
という考え方が生じることを
Win-WinよりもLose-Loseを思考する構造を
持っているということになります
足を引っ張り合い、誰の得も許さない
ひとりだけ抜け駆けしようとする奴は
みんなで袋叩きにするのだ、と
つまりこの同調圧力から抜け出そうとするのには
かなりの困難が伴うということです
目立って旗を振る善人が
この空気の犠牲となってしまいます
その度に足を引っ張られていては
日本にイノベーションが起こりようがないのも
納得できます
新たな技術が出てきても
普及させる上で些細な問題が起きるたびに
足を引っ張る良い口実ができたと
責任追求ばかりに終始する、
ネガティヴな側面ばかりがクローズアップされて
規制のオンパレード、
これが日本人の性質なのです
こうなってしまっている状況を
これからどう改善するかに
フォーカスしていく必要があります
この実験により、
もう一つ日本人の興味深い性質が
浮き彫りになったそうです
自分が得する側になったら
今度は自分が足を引っ張られて潰されるのが怖いので
できるだけ相手を刺激しないように
無難に仲良くLose-Loseしようという性質です
空気を読んで、目立たないように行動しよう
誰かの反感を買いかねないような
ファッションはしないでおこうと
控えめに振る舞うのも、このためでしょう
スパイト行動をもう少し深堀する
カラハリ砂漠のサン人は、
自慢すると後ろから味方に打たれかねないので
どんなに良い獲物を仕留めても
自らの猟下をみんなの前で自慢することはないそうです
日本社会にも似たところがありそうです
政治家や芸能人の不倫報道などで炎上しやすいのが
日本特有である理由の一つも
これで説明することができるかもしれません
芸能人も一度不倫騒動があれば
人生終了レベルにまで転落をしてしまいます
やはり日本人には、有名人を叩くのが好きな
スパイトの精神があるのでしょう
有名税という言葉は日本特有かもしれませんが
自分よりも美味しい思いをしている有名人は
けしからん!と、足を引っ張るわけです
日本にいまだによくある根性論や美徳を振りかざして
他者を追い詰める行為も
スパイト行動の一種と言えます
これは現代ではモラハラ・パワハラとも言われます
身近なスパイト行動例
成長にまったく寄与しないにも関わらず
『お前のためだ』などといって
理不尽な倫理観でねじ伏せようとする行動です
児童虐待の中にも、
こうした側面が見られるものがあり
大変痛ましい報道を見聞きするたびに
押しつぶされそうな気分に陥ります
それから、
『自分たちはこんな苦労をしてきたのだから
お前も苦労すべきだ!』などという論を
押し付ける振る舞いも
スパイト行動の典型的な例だそうです
今の若い人が美味しい思いをしているのを
見るだけで許せなくて足を引っ張ろうとする大人は
多く存在するでしょう
このような足を引っ張るような人が多い環境で
暮らしていくには息苦しいでしょう
できればもっと
誰かの成功を心から祝福したり
素直に称賛したりするような器の大きさを持った人と
楽しい人生を過ごしたいものですよね
できれば足を引っ張られる環境から脱する
"足を引っ張られず、悠々と実力をつけたい"
と願うのであれば、
スパイト行動を取る人が多い環境を
なるべく選ばないようにするのが望ましいでしょう
実力をつけてきそうな後輩を叩いて道連れにしたり
村八分を恐れるあまり、
同調せざるを得なくするような人も
残念ながら多いものです
そのような環境に、長く身を置くことになれば
搾取され続けてしまうことになったり
いつか自分も無意識に
誰かにスパイト行動する人間に
変貌してしまうかもしれません
もしも今の環境がそうであるならば
すぐに抜け出すことをオススメしたいところですが
なかなか難しいですよね…
もし抜け出せない環境にそんな相手がいるとしたら
その人には自分のことを
こう思ってもらう必要があります
『この人は私とは違う、
もはやこの人は私の手の届くようなところにはない
特別な能力を持った人だ』と、
出すぎた杭は打たれないような状態に
なるしかないのです
相手を妬みを憧れに変え、
自分を生贄にするよりも
生かして仲良くした方が得だと
思わせられるようになるまで
自分を磨き抜かなければなりません
そうして自信を作り上げていった人たちが
多数派になると
日本という国は変わるかもしれませんね
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございます
まとめてみると、
人間の脳には
✅他人が失敗したり不幸な出来事が起こったときに
喜びを感じる
✅他人に正義の制裁を加えることに喜びを感じる
✅何かと比較しないと幸福を感じられない
✅誰かと一緒に幸せになるということを
✅苦手とするといった性質があり、
人間は自分の基準よりも他者との比較を優先する
生き物である
日本人は他国よりも顕著に
スパイト行動をしてしまう人種である
足を引っ張るような人の多い環境からは
すぐに抜け出すこと
どうしても抜け出せない場合は
相手が足を引っ張るより仲良くした方が
得だと思うほど自分を磨きぬく必要がある
正義を掲げ、異物に制裁を与える快感に飲み込まれ
他人の幸福が許せず、心から祝福することができず
足を引っ張り続け
そのような生贄を探し続ける人間になってしまう前に
一人でも多くの人が気づいて変わっていくことを
私も願うばかりです