【762/1096】コントロール欲に気づく
自分はすごく非力で、人に操られやすくて、従いやすくて、自分の好きなこと、やりたいことは何一つできていないと言う人は、自分のコントロール(支配)欲の強さに気づいていない。
自分は支配されている側で、被害者で、だから力の強い人になんとかしてもらわなければどうにもならないと言う。
社会のしくみのせいにして、自分は被害者のままでいる。
被害者は支配された側だから、コントロール欲などありませんという顔をできる。
もちろん、環境的につらかったことなどがあって、過去に傷ついた体験があって、そうなってしまったということはある。
だから、自分なんてダメだ、と自己否定して、そこから出ないようにしていることに気づかない。
自分がどれだけ、コントロール(支配)欲が強いかを自覚しないために、それをやっている。
もちろん、無自覚に。
自分のコントロール欲がうすうす強いことに自覚がある人(権力を持っているとか)よりも、まったくの無自覚なので、よほどたちが悪いかもな・・・と思ったりする。
無自覚に、権力を振りかざしてこられるのも相当イヤだが。
天気をコントロールできないことは知っていても、自分の何か大事なときに、思い通りの天気にならないことに憤る。
コントロールできなくてイライラする。そして、それは自覚がないので、表に出す。
人間なんだから、そのくらいしてもいいと思っている。
しかし、天気を人がコントロールできる日は来ない。
絶対にコントロールできないものに、コントロールできないからと腹が立つであろうか。
どこかでコントロールできる全能さが自分にあると思っているから、イラつくのである。
そのコントロール欲の強さを自覚するほうがよい。
自覚すれば、表に出ない。
自分のなかで処理できる。
表に出すと言うことは、人(他者)に関わる。
つまり、他者をコントロールしたがるのと、同じである。
自分の中だけで処理できると、自分だけで循環する。
我が強い、というのは、このコントロール欲の強さである。
そこに真正面から向き合うのは、かなり恐ろしい。
できたら一生、向き合わないで済んだらいいなーと思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
この2年くらい、自分で取り組んでいたのが、このコントロール(支配)欲である。
過去のトラウマ体験で、「身体が命を守る防衛反応を起こしたことが、どうしてもどうしても受け入れられない、許せない」というのがあり、ここといつも闘うはめになっていた。
身体が命を守る防衛反応を起こすことは、自分の意志でコントロールできないと学んだけれど、心の奥底では、「身体が動いてくれれば自分はあんな目に遭わなかった」ということをどうしても諦めきれずに攻め続けるということがあった。
これは、過去の天気を変えようとするのと同じくらい、アンコントローラブルなことなのに、そのコントロールをしたくて手放さなかった。
ここに気づいてからは5年以上、手を変え品を変え、いろいろいろいろここに取り組んだけど、最終的には、これは自分の強烈なコントロール欲なのだとただそれを認めて降参した。
そして、それはそれで「以上」であった。
セラピーなどを受けて、
身体が守ってくれたおかげで今がある、とか、
あれは自分のせいじゃなかった、とか、
それはそれで、身体に感謝が湧いたりした。
でも、ここは、そういうことではまったく癒されなかったところに、手を突っ込んだら、「あ、これか」で終わりという感じ。
「身体が動いてくれれば自分はあんな目に遭わなかった」を思い起こしても、あの身体の奥底から湧いてくるものが出てこなくなった。
だからと言って、自分のコントロール欲はなくならない。
強烈なコントロール欲はただ私の中にあるのである。
そして、中にきちんとしまっておけば、特に外的には問題ない。
ちなみに新しいセッション(心と身体セラピー)は、「見たくないものをさらっと見られる」とご感想いただいております。
恐ろしくて自分だけでは手をつけられないんだよなーと思ってるものがある方も、ぜひご相談ください。
では、また。
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