見出し画像

【345/1096】断片化されたわたしたちを癒す(2)

345日目。自分の容量の少なさにうひーん!となるけども、それも致し方ない。少しずつでも広げていけるように!


さて、昨日の続きです。

強烈な子どもの感情に、自分自身が乗っ取られて巻き込まれてしまうと、ただ圧倒されるような痛みを耐えることになる。子どもなのでほかに方法がない。

これを繰り返すと、自己嫌悪したり、感情を感じないように回避したり、嗜癖、自己破壊行為、ぜい弱さと支配、愛と嫌悪、親密さと疎遠、恥と誇りと言った内面の葛藤がどんどん強くなっていく。
自分から遠ざかって、自分の身体の中に心がいない状態になる。
内面の葛藤が強ければ強いほど、矛盾の多い行動を繰り返すことになる。

・近づいてまとわりついたかと思えば、拒絶し遠ざかる。
・自分を嫌悪し責め続けてる一方で、他者の欠点を許せなくなる。
・注目されたいと願いながら、一人になりたがる。

こういった矛盾した行動は、事件や事故などによる単回性のトラウマではなく、幼少期のトラウマ的愛着によるものである。

トラウマセラピーはそれこそ幾多あるし、すぐれた技法や介入手段、そして素晴らしいセラピストの先生たちも数多くいるけれど、だれにでも効く万能な治療法というものはない。そして、トラウマセラピーを難しくさせるものに、トラウマ的愛着がある。
幼児にとって、安全で安心できる場所である養育者のもとで、それと同時に危険を感じる状態が常態化していると、トラウマ的愛着による葛藤や矛盾を抱えて生きることになるのである。

元大空小学校の木村泰子先生が「すべての子どもは弱者だ」と言っていた。というのも、大人(養育者)から食事が与えられず、住む場所が危険だったらば、子どもは死ぬからだと言った。大人は自分で逃げることも、助けを求めることも、その苦痛を和らげる方法も選ぶことが出来るが、子どもにはまだその力がない。大人の保護が必要だからだ。

その保護が必要な時期に安全と危険が同時に存在していると、子どもは安全と危険の感覚を正しく学ぶのが難しくなる。そのため、内部に葛藤が生じる。でもその葛藤をまともに扱うには幼すぎるため、凍り付かせたり、解離したりして生き延びるのである。

そうして生き延びて、大人になってから病気の症状(PTSD、うつ、双極性障がい、解離性障がいなど)として発症する人もいるし、慢性疼痛や不定愁訴として特定の病気ではないが不調を抱えるなどする。
トラウマ的愛着で育った人は、「自分を大切にする」ということに難しさを感じる人が多い。その感覚がわからないからだ。
しかし、子ども時代とは違い、大人になったわたしたちは、自分で行動を起こすことができる。
逃げることもできるし、信頼するかしないか様子を見ることもできるし、境界線を引きながら関係性を調整したりすることもできる。
これを習得していくことがとても大事だ。
セラピーでは習得するための練習もしていったりする。

自分の中の断片化された「わたしたち」、彼、もしくは彼女、あるいはそのどちらでもない存在たちを認識し、「わたしたち」と大人になった自分との関係性を良くしていくことが、癒しとなる。

決してその存在たちに消えてもらうことがセラピーの目的ではないし、トラウマ的な出来事を再現したり、語ることは必ずしも癒しに必要ではない。

ただ、その断片化したわたしたちと関係性をよくするためには、彼らを「見る」必要がある。
見るためには、「マインドフル」な、つまり「今ここにいる」存在が絶対に必要で、それが今の大人の自分である。
大人の自分が、子どものパーツの持つ苦痛に飲み込まれるのではなく、乗っ取られるのでもなく、囚われるのでもなく、ただ今ここにいて気づくことが出来ることで、初めて、自分の断片化された子どものパーツの痛み、苦しみ、つらさを理解することが可能になる。

そのマインドフルな自分でいるために、自分の身体がある、身体にいる状態が必要なのだが、解離して生き延びてきた人にはこれがとても難しい。
身体にいないことで生き延びてきたので、無意識に身体から抜けてしまう。
身体から抜けてしまうと言うのは、別にオカルトでもなんでもなくて、自分の身体の感覚はない状態にしてしまえるということである。
考え事をしてぼーっとする、というのは結構誰でもあるのではないだろうか?
あれも、「身体がない」ということである。
身体がある状態で考えているのと、身体がない状態で考えているのはまるで別物なのである。
ひどくなるとしょっちゅう記憶が飛んだり、熱さや痛みを感じなくなったり、逆にさまざまなことに超敏感に反応しすぎたり、というようなことが起きる。
急に眠くなる、というのも身体からいなくなるサインだったりする。(解離する人はセラピー中に急に眠くなることも多い。)

こうした断片化したパーツと一人ひとり関係性を良くしていくにはもちろん時間がかかる。セラピーは魔法ではない。
一瞬ですべてが、パッとよくなるなどという手法があったら反って疑う方がよい。

ただ、身体へのアプローチがとても有効なのは、身体はひとつだからである。
自分の中にどんなに断片化されたパーツが存在していても、そのパーツが存在しているのは自分の身体の中である。
そして、その身体が心地よくなる、安心する、リラックスすると、その断片化されたパーツたちも心地よく、安心し、リラックスする。
特定できていなかったとしても、関係ない。
身体が心地よくなると、パーツたちも一斉に心地よくなるので、良い影響が与えられる。

私が呼吸・整体をやって、トラウマ症状が劇的によくなったのは、この身体のおかげでもある。
呼吸・整体は、トラウマをよくするためにやったわけではないが、結果的には劇的に良くなった。
私は呼吸・整体をやってよくなったが、ヨガやピラティス、太極拳などをやってよくなったと言う人もいる。

ちなみに、解離する人にはただじっと座ってやる瞑想は、たいてい解離してしまうのであまりおススメしない。(瞑想すると具合が悪くなる人はこれが該当することが多い。)
イメージで誘導されるものは特におススメしない。
解離して心地よくなっている可能性が非常に高い。解離して心地よくなっても、それは解離しているので、全体によい影響は与えない。
瞑想するなら、身体を使うものが良いと思う。

つづく。

では、またね。


私のセラピーはこちらをどうぞ。


1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!