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小説『夏追いサンドキッカー』

普段、学校ではクラス長としての仕事を全うしている男、長暮エイジ。
そんな彼に訪れた夏休みの物語である…


夏休みが始まって早一週間、冷えた部屋の中に籠ったクラス長は買っただけのプラモデルを組み立てていた。
「...エイジ、ご飯よ。」
「うぃー。」
外したパーツをとりあえずくっつけ箱に戻した彼は、下のリビングへゆっくり降りていく。

「え、鍋?」
「いや、もう鍋の素の賞味期限切れちゃうから。」
「いや夏に鍋はいいんだけど...お昼だよ?」
冷えた部屋の中、蓋を取りモクモクと浮かぶ湯気に気分は冬である。

「ほとんどうどんだ...」
「うどんも切れちゃうの。」
キムチ鍋に浮かぶ大量のうどん。
すすってもすすってもうどん。

「具はある?」
「あるはずだけ...あ、ウインナー」
下の方から掬いあげたお玉の中身をそのまま取り皿に流し込む。
赤い海を彷徨うウインナーを箸でつまみ、一度口の中を肉汁でリセットする。
そしてまたうどん。
ズルズル吸い込むうどん。
食べ盛りのはずの彼もさすがに限界である。

「ごちそうさん...。」
「雑炊の追加しない?」
「さすがに吐いちゃうよ。」
台所まで自分の物を置き、そのまま自分の部屋へUターンをする。
落ちたパンをついばみ巣へ帰るハトと一緒である。

大きな世界の中にある小さな家のさらに小さな部屋の中で小さな作業をしている彼はこの生活にうっすらととある思いを抱いていた。

「なんか、このまま夏休み終わるのマズくね?」

趣味で溶かすだけの時間、たまーに触れる課題の山。
7月の夏休み序章を終え、とうとう8月本編に入ったクラス長はこのルーティンのやばさにとうとう気づき始めていた。

「でも金あんまねえな...ってそうだ!」
ドンドンと音を立て階段を降りていく。
自分に都合のいい用事がある時は早い。

「母さん!」
「小遣いはもういつもの所にしまってあるよ。」
「マミー...!」
残りのうどんを啜りながらクイズ番組の再放送を見る母。
その後ろをゆっくりと通りながら引き出しの中に潜んでいるほんの少しだけ厚くなった封筒を目で確認する。
「...え!?一枚五千円札なんだけど。」
「あ、父さんがボーナス出たからって。」
「パピー...!」

"パピーは子犬だろ。"
と、高校だったら帰ってくるかもしれないが、周りにいるのは生憎うどんをすする母親のみ。

ボケてない顔をして封筒に差し込む二本指。

「...!」
札に触れたその時、突如としてクラス長の脳みそにかかるブレーキ...
「無駄遣いすんなよ~後半きついぞ~?」
「わーかってるよ!」
息子の気持ちなんか余裕で見透かす母。
雑炊の追加はあっても小遣いの追加はないことを知っている彼は顔の真ん中にしわを寄せると、迷った結果引き出しにスっと戻した。
「なんか絶対予定増えるし今日は良いや。」
「お、さすがクラス長だな。」
実質何も起きていないが、また階段を上って行った彼の顔はどこかスッキリしている。

「夏っぽいことしねえとなぁ...。」
プラモデルを作りながら何をしようか考える。
海、キャンプ、祭りに縁側でかじりつくスイカ。

「なんか、女の子とかと過ごせねえかなぁ...。」

...
暗闇を照らす小さな線香花火。

可愛いあの子と隣り合わせ。
二人はしゃがみながら儚い光の終焉を待つ。
自分の左で笑う君、右にはセミの死体が転がっている。

生きてんのか死んでんのか良く分からないあのセミ。

死んだ状態と死んでない状態が重なっているセミ。
シュレディンガーのセミ。

「...あぁっ!」
行動にまで影響を及ぼす思考のノイズは、デコを掻いて落ち着かせる。
床に転がったグレーの小さなパーツを指圧で持ち上げると、単体ではなにか分からななかったそれは足首の関節へと変わった。

「...出来た!」
思考のノイズを取っ払い、ようやく完成したプラモデルを棚の一番見えやすい位置に飾ると、カメラで一枚パシャッと撮る。

ゲームのスクショと美味しいお菓子のパッケージしか撮っていない彼のフォルダには、高校生らしいエモさとか、青春らしい映えとか、そんなものはない。
ガチャで出た強そうなキャラと期間限定のポテトチップスの袋ばかりである。

彼にエモや映えは分からない。
いや、実際にはなんとなく分かってはいるつもりだ。
しかし、分かってしまったその瞬間からなんとなーく周りの人間に"薄っぺらい人"みたいに思われる気がするので分からないふりをしているだけなのかもしれない。

エモや映えに触れてきていない人間のさがである。
仕方ない。

「なんかしねえとな...」
その"なんか"を必死に考えるが。

海に行ったとして、もし溺れてしまったら?

キャンプに行ったとして、もし毒蛇に噛まれたら?

祭りに行ったとして、もし怖い人と肩をぶつけてしまったら?

外を散歩するとして、もし一人で歩いているところを同じ中学校だった奴の集団とかに見られてコソコソ裏でバカにされてしまったら?

と、行動を起こそうとすると毎回なにかしらの"もしも"が邪魔をしてくる。
そんなマイナス思考を言い訳にしていった結果、いつも安全なこの冷えた空間に落ち着くのである。

「...でも、なんかしようと思えているときにしなきゃ。」
しかし今年の彼は違う。

学校が始まったあの日
この部屋以上に冷え切った空気の中でひとり席を立ち、誰もやらなかったクラス長に立候補をした彼の目は、去年の夏休みになかった"覚悟"があった。

「海、行こう...!」
覚悟を決めた彼はゆっくりと階段を降りていく。
部屋着を洗濯機にすべて送り、鏡に映る半裸の自分の現実を見て大きくうなずく

「...見せもんじゃない、砂浜にしとこう。」

黒い長ズボンを腰までしっかりと履き、街の写真が貼られたような白いTシャツに腕を通した彼は、封筒から千円を一枚取り出すとスマホケースのポケットにしまい込む。
「ちょっとエピソードトーク作ってくるわ。」
「...は?」
「夜飯は...わかんない。」
「いいけど、早めに連絡してね。」

汚れたスニーカーはスルりと足にフィットする。
玄関に響くのは行ってきますの声、そして押し込まれたドアの開く音。

「...はー。」
踏み出した一歩がとても重たいのはマイナス思考から現われる"もしも"の恐怖...
ではなく、普通に暑いからである。

コンクリートからしみこんでくる熱に気にならないくらいのストレスを蓄積させながら、ただひたすら進んでいく。

ただ、ひたすら進んではいるが、なにも調べていない彼はどこに砂浜があるかとかも正直分かっていない。
持っているものはスマホと千円札、そして
「あそこって川なのか?海なのか?...」
普段コンビニと家の往復していない彼なりの勘である。

"まあ最悪川でもいいか"
澄んだ空に差し込む太陽の光
陽炎が揺蕩うほどの熱気が早くも彼に妥協点を与えていた。

スマホを開いて地図を見ないのは彼なりのプライド。
なにも調べず歩いてきてしまった今、スマホを開くという行為は彼の中で"負け"の二文字を表すのである。
彼が最初に開くのは海の風景を撮る時だ。

緩やかな坂を上ったり、堤防を渡ったり、入って良いのか分からない小さな神社を横目で見たり、いつか入ってみたいと準備中の小さな居酒屋を抜けたりした。

彼は一度進んだ道を戻らない。
それは、自分の勘に自信があるからである。
「...あれ、こっちさっき来たな。」
迷った結果、大きく三回左折して戻ってきたのはノーカンである。しょうがない。

また緩やかな坂を上り、さっきと同じように堤防を渡り
「あれ、てか堤防じゃんここ。」
しばし歩くと、さっきは気づかなかった錆びついた階段がそこには当たり前の顔をしてたっていた。

「...これは。」
そう言いながら降りた彼の目に入り込んでくる大きな砂浜と小さな波。
「...多分、海だ!」

靴の中に入り込んでくるサラサラの砂なんか気にも留めず、ただ走り抜けていく。
「...しょっぺーな。」
流れてくる波からなるべく離れ、一枚写真を収める。
「でもなんか全然砂とかきったねえな。」

人がいないことを良いことに言いたい放題文句を言う彼は、何かないかと辺りを探す。
白くない砂浜、透き通ってはいない海。
強いて言うのであれば遠くの方に小さな建物があるくらいだ。
「...え、建物あんじゃん。」
収穫の無いと思っていた彼にとってこの建物は大きなイベントである。
ダサい砂に足を奪われながら、一歩ずつ前に進んでいく。

「これ...って。」
まっさらな砂浜に立つ一軒の小さな建物。
太陽と同じくらい目が痛くなるようなマゼンタで塗りつぶされたその建物には窓がない。
ひと気の感じないその建物をぐるりと半周したとき、なんとなくしていた予想が正解へと変わる。
「やっぱ海の家だ...。」

ひと気も電気の光も全くない海の家
パラソルで光から守られた椅子に座り、旅の疲れをひたすら癒す。

「プラスチックのイスって飛んでかないのか?これ。」

「こんな活気のない海の家ある?冬?」

「...てか海の家って冬なにしてんだろ。」

どこに届くこともない疑問を一つ吐いては一枚写真を撮る。
"これがカメラマンだったら最悪だろう"

「...あっ!えっ!?」
「うわっ!?」
ビクッと浮き上がる体。
後ろから聞こえたその声は、どこかで聞いたことある気がする女性の声だった。

「やっぱりクラス長じゃん!」
「あ、えーっと柴...北...さん?」
「あー!クラス長のくせに生徒の名前曖昧じゃーん!」
肩にグーのテンションでアゴに掌底をカマす彼女。

ガクンとなりながら痛むところを片手で抑えるクラス長は、関わりがほとんどない割に高いノリに少しだけ安心する。
これがもし落ち着いた人だったら最悪の空気になっていただろう。

「...て、てか曖昧なわけないじゃん!クラス長だよ?」
「じゃあ私の下の名前はなんでしょう!」
「...」
不安になりながら会話のキャッチボールをするクラス長、柴北は一番投げてほしくない位置にボールを投げ込んできた。

「ごめん!ごめんだからマジで掌底だけやめて!!」
「いいけど、でもひどーい!」
「ごめん!みぞおちまで出てるんだ!」
「...って結構低いじゃん!」
掌底を回避するために必死にヘヘッと笑ってごまかすクラス長を見ている柴北は、彼のあたふたした表情にくすくす笑う。
クラス長はなんとか話をずらそうと、なぜここにいるのかを聞く。

「え?まあ...それはいいじゃん!」
柴北はヤバ位という表情をすると、さっきの自分のように黙り込み目をキョロキョロ泳がす。

「....え、もしや隠れてバイト?」
「...」
下を向く彼女。
どうやら一番投げてほしくない場所に投げ返してしまったみたいだ。

「...ごめん!ほんとに言わないで!」
大きく音を立て手を合わせる彼女にクラス長は良いことを思いついたと手を叩くと、一つ交渉を仕掛ける。

「言わない言わない....けど、ちょっと代わりに一つ。」
「え...なに?」
クラス長は彼女と同じく手を合わせてポーズを取り、彼女よりも高い位置に手を掲げ深い位置に頭を下げる。

「...下の名前覚えてなかったこと、マジで誰にも言わないで。」
彼女は口角を上げながらも鼻にしわを寄せ、しぶしぶ交渉を飲み込む。
「ぐぐ...いいでしょう。」
「...マジ約束しよう。」
一回は一回の理論で交渉成立。
学校生活でほとんど関わり無かったのが、逆に二人の会話をスムーズに進めているのかもしれない。

「そーいえば、クラス長はなにしに来たの?」
「いや、なんていうか...その、まぁ...」

"家でダラダラしてるのがマズいと思ったからエピソードトークを作りになんも考えずに海来たんだよねー"

伝えようとした口を閉じて考える。
よく考えたら理由として少しダサい気がする。
仲のいい友人になら言えるが、あって数分の彼女に言うのはなんか違う気がした。

ファーストコンタクトで変人に思われることを恐れた彼はわずか数秒しかない会話の隙間でバレなさそうな嘘を思い付く。

「あのー...あ、自由研究!海水から塩を作ろうと思って...。」
あたふたしながらひねり出したわりには結構それなりな嘘。

こんな所で変な理由を言ってしまえば学校で何言われるか分からない。

逆にバレるような嘘をついてしまえば嘘つきな人間だと唯一のアイデンティティであるクラス長が次の学期で交代してしまうかもしれない。

それだけは避けたい彼にとってこの嘘はかなりちょうどいい。
夏休みの課題を終わらせるためとのことならば、相手も絶対気づくことは無い。
上出来だと彼は内心ホッとした。

「え、高校って自由研究無くない?」
「あ。」
大ミスをしてしまった。

さざめく波の音がやけに大きく聞こえる彼の耳。
「...ごめん、ちょっとやる事無くて何も考えずに近くの海に来た。」
「ふーん...あ、ちょっと待ってて!」
彼女はそういいながら店の中へフェードアウトしていくと、海の家の冷蔵庫から缶のリンゴジュースを取り出してきた。

「はい、ちょっと仕事始まるまで暇だし地元じもトークでもしよ。」
「え?これ売りもんだろ?」
「払ってきた、バイト隠すための賄賂ってことで。」
環境音に違和感なく混ざる缶の開く音。
確かに彼女はクラスでも生粋の陽キャみたいなタイプだが、こんな距離の詰めが早いとは思わなくてかなり焦っている。

なぜ焦っているってそう。
クラス長は初対面の相手、それも女性に対しての免疫があまりないのである。
副クラス長の瀧田は、同じ役職についているという前提があるからそれなりの会話をすることはあるが、そんな理由も全くない彼女しばきたには一番最初のみぞおちボケとかが限界である。
なんならあれが通って無かったら砂を蹴って高速で逃げた。

「え、クラス長何中だった?」
「...西星せいせい中。」
「あーね、うち東塔とうとう中だからちょっと遠いんだ。」
ちょっと近いだったらだいぶ違ったが、ちょっと遠いのが一番困る。
丁度お互いの遊ぶ地域が違いそうだと思いながら、クラス長は頭を必死に捻り地元のトークになりそうなものを考える。

時間の稼げそうな会話、なんとか話題が途切れなさそうな会話。
中学の頃に話題になったもの、地元で流行っていたもの。

「...えーっと、じゃああそこ行ってた?潰れちゃったロティコとか。」
「あー行ってた!」
近くにあったが中二くらいの時につぶれてしまったショッピングモールの話。
中学生にとって近くのショッピングモールが潰れるのは大きな衝撃で、ここら辺の地域に住んでいる人なら全員がこの話で食いつなげる。
...

「あそこ後半さ、映画館貸し切り状態だったよね。」
「そう!あそこ絶対入場特典もらえるから!」

...
「なんか謎の休憩スペースで時間潰したり...」
「あーあったかも!二階の奥の方だよね?」

......
「最終の週とか全部の店で閉店セールやってたことない?」
「そうそう!三階の服屋のアロハシャツ二百円だったもん」
「あ、この服そこで買ったやつ!!」
その後もつぶれたショッピングモールの話でなんとか時間を稼いだ。

...つもりだったが、彼の中ではもう時間を稼ぐという感覚ではなく、ここ最近経験していなかった地元ークを心の底からめっちゃくちゃに楽しんでいた。

もし彼女と中学の頃に出会ってたらどうだっただろうか。
と一瞬考えたが、実際会っていたらきっと交じり合うことのないまま卒業して、三年間で得た会話は今日以下だっただろうなとも思った。

「あ、もう五時前だけど...バイトの時間大丈夫?」
「やば、もうそろ準備しないと。」
「...ごめん、こんな質問良くないかもしれないけどここって人集まるの?」
「ここね、凄いのは夜なんだ。」
柴北はクラス長の後ろを指さして見てと呟く。

話に夢中で気づかなかった、指を差された砂浜にはちょくちょく人が集まってきていた。
「え、なんで。」
「てかそっちじゃ流行んなかった?おまつり海岸ってさ。」
「...あ、なんかクラスのカップルとか行ってた気がする。」

この地域でどこよりも早く夏祭りを始め、どこよりも遅く夏祭りをするでおなじみのおまつり海岸。
毎日違う主催者がこの海を借りて行うお祭り、通称【おまつりまつり】を開催する。
砂浜の端から端まで屋台を大量に準備する主催者
全国から花火師を呼び合作を行う主催者。
地元のアーティストを呼んでフェスみたいにする主催者もいれば、有名な芸人さんを沢山呼んでもはや年末の賞レースみたいにする主催者もいる。

毎年最終日にはどの祭りが一番良かったかを決め、優勝者には賞金百万円。
しかし主催者たちが求めるのは賞金ではなく、それ以上に優勝で得られる"名誉"。
ただその栄光だけを追い求めて戦っているのだ。

「だから夏休み毎日のように花火なってるんだね。」
「そうそう、まあ今日は開幕宣言の日だから人は少ないけどね。」
「これで少ない方なんだ...。」
「...ってほんとにヤバい!タイムカード押してくる!」
慌てた様子で走っていく彼女、ボーっと人の波を見つめるクラス長。
こんな近くの場所でも、まだまだ知らない世界があるんだと自分の経験の浅さを埋めるように写真をたくさん取った。

「...お待たせ、写真撮ってんじゃーん。」
「あぁ、てかバイトしなくていいの?」
「お店開くのはもう十分くらい後だから。」
下準備は終わらせてきたともう一度席に付き外を眺める。

「花火は今日あるの?」
「多分きっと...わかんないけど、上がると思う。」
「めっちゃ曖昧じゃん。」
「私の下の名前みたいに?」
「ぐぐっ......」
高速でカウンターをぶちこまれたクラス長はまるで掌底をアゴにうけたかのように顔をしかめる。

「花火上がったらそれだけ撮って帰ろうかな。」
「じゃあ夜飯はここで食べてってよ。」
「そうだね...,,,ってあっ!」
クラス長は何かを思い出すとカメラを閉じ、鬼のスピードで親指を動かして文字を打ち込む。
「親に飯の連絡入れんの忘れてた...。」
「あー、怒られるやつだそれは。」
「...『了解。』だって。」
淡泊な返信、句読点がより彼の気持ちを焦らせる。
やっちまった表情をするクラス長を見て笑いながら気持ちを察した柴北は、指を差して海の家の入口へ案内する。

「まだ開いてないけど...行く?」
「え、勝手にそんなことして良いの?」
「うん、友人のお父さんのお店だし!」
どうやら幼稚園から一緒にいるいつメンの一人の父がやっているお店らしく昔からお手伝いに来ていたそう。

「え、じゃあバイトってよりお手伝いなんだ。」
「いやそれが、高校生だったら流石にちゃんと金出すってさ。」
「あっそっか、さっきタイムカードきってたもんな。」
そろそろ時間だと立ち上がり、二人は店内へ向かう。

「いらっしゃ...あれ、お隣は?」
受付に立つ柴北と同じくらいの年齢の女性、どうやらさっき話した店長の娘らしい。
「あぁ、うちの高校のクラス長!なんかここら辺っぽくてたまたま!」
「へー!うちのランがお世話になってますぅ。」
「...へへ...いやいや...まあまあ...。」
「ちょっと困らせないで~?」
彼女は自分たちのテンションを愛想笑いで見守るクラス長の代わりに焼きそばを注文する。

「ってかランもこっちで手伝って!」
「はあーい。」
クラス長の前を通り、紺色のエプロンをつけながらレジになにかを打ち込む。
「四百円!」
「あぁ、千円で...。」
「ちょっと待ってね、レジ初めてだから....。」
七百円のお釣りをポッケにしまい、プラスチックのパックからあふれるほどパンパンに詰められた焼きそばを受け取ったクラス長は空の左手で手を振った。

「バイト頑張って!じゃあ!」
「うん!ごめんね止めちゃって!」
急いでバックルームへ入っていく彼女の後ろ姿。
なんだか最後あっさりと終わってしまった感じの空気に少しだけキュッとなった彼はなぜか思い切り砂浜を蹴って遠くまで走った。

本当に何故か分からない。
頭と心の奥がさっきまでの楽しかった記憶でパンパンになっている。

ただの会話をしてただ笑っていただけ。
だが、そんな"ただ"の経験してこなかった彼にとって、彼の脳みそにある女性のデータはほとんど彼女で埋まっていた。

高校生の割に強がらずアイドルや女性に対して可愛いと思える人間のはずだったのに、実際女性と会話してみれば可愛いだなんて軽い気持ちで言えないほど喉に感情が突っかかる。

みぞおちに沈殿した本能を隠し、ショッピングモールの話でつぶれたあの数時間は少なくとも彼の人生に大きな影響を与える。

分からない...彼にはこの気持ちが何かわからない。
「...もしかしてこれが..."エモい"ってやつ!?」

だいぶ遠くまで離れ、息を切らしたまま砂浜に座り込むクラス長は強く握った箸のビニール袋を太ももに叩きつけ破り開ける。

「...下の名前、自分の力で聞けなかったなぁ。」
夏の始まり、空に開く一輪の花火。
急いで小銭まみれのポケットから出したスマホで写す消えかけの花火。

「まあ、最高のエピソードかもな。」
クラス長の心は八月の夏に追いついた。

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