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「傷つく」って自分でやってる
こないだハリーポッターの映画を観ていたら、魔法族の純血のマルフォイが、人間のハーマイオニーのことを「穢れた血め」と罵っていて、それ罵りとして成立するんや?てなった。調べたら、ハリーポッターの世界で「穢れた血」というのは人間や半純血に対して使われる差別用語らしい。出自と魔法力は本当は関係ないが、純血主義者の中には、人間が魔法力を奪っていると考える者がいると。
魔法力を奪うって何?という問いもあるけどそれは置いといて、差別用語を言われた時に、傷つく度合いは人それぞれだろうなと思った。純血が上で人間が下、というのはひとつの考えにすぎない(今ハーマイオニーの立場に立ってます)。勝手な枠組みを盾に、お前は下等だと叫ばれても、知らんがな、私は私や!と思う。
しかし強気になれない用語もある。私は「無能」と言われると傷つく。これ平気な人がいるって前聞いてびっくりした。平気な人は、だってほんとだし…それが何か?という感じらしい。すごい。自分の、いわゆる良くない性質や歴史や持ちものに関して、負い目を感じずに、開き直るっていうのは難しい。私が無能なのは、まあ事実だ。克服するために何百万も使ったけど、治らなかった。だから私はこれからも、無能のまま存在し続けるしかない。どうしようもないその事に「ダメ」「恥ずべき」「あってはならない」みたいな意味をつけると、自分で自分の居場所をなくしてしまう。色々なことを繋げて考えるのは癖だからやめられないけど、自分を苦しめる意味づけ行為は、ほどほどにしたい。