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恐怖フェス
1/6に手術を受けることになり、その説明を聞いていたら急激に怖くなり、ここ数日は全く眠れなかったりしました。
謎のカタマリの正体は結局「おなかを開けてみないとわからない」らしく、それが良性か悪性かも、それを取り出した後の調査になるとのこと。
手術自体はそんなに難しくない、珍しくない種類のものだと聞いても、麻酔が効かなかったらどうしようとか、緊急事態があったらどうしようとか、いろいろ考えて不安になっていました。(います。)
もうまな板の鯉なのだから、現実逃避をしようにも当日を待つしかなく、今できることは全力で自分の機嫌をとることだ!と思って、いつか読みたかった本に手をつけるなどしました。
めっちゃ良かったです。
それで思ったのが、50年近く前に書かれて、すごく大事なことを示していて、たくさんの人が読んでいるはずなのに、社会があまり変わっていない(ように見える)のは何故だろう?と。
それはやっぱり、過去や未来に向かう”思考”というものが強力であり、”個人”という枠があまりにリアルだからかなーと思いました。ちょうど今、私が不安に嵌ってしまっているみたいに。
昨晩zoomで月夜の皆と話していて、私の近況は「とにかく手術が怖い。以上です。」だったのですが、喋りながらかすかな違和感を覚えました。皆の対等なまなざしも手伝って、今ここにないものを扱うヘンテコさを自覚した感じ。不安は依然あるけれど、それはそれというか…。
てかね!
わーんあと10日もこんな怖いキモチが続くのーって思ってたんやけど、ふと明日死ぬかも?と考えた時に「この過ごし方は絶対違う!」ってなりました。なぜ手術日まで無事に生きてる前提でおったんやろか。今この心臓が動いてることがもう奇跡やのに。
話が切れ切れになりますが、身体のことを”自分のもの”って思えば思うほど、しんどくなります最近。私は自分のものをコントロールしたいし、「患部」とかあってほしくない。そんなものが自分の中にあるのは怖い。急に爆発したらどうしよう、ってなる。
一方で、そのカタマリは赤ちゃんの頭くらいあって、でも全然痛くないから、取ってしまうのは自分の一部を失う感じがして、ちょっと悲しい。謎の感情。手術が終わったらすごく別人になっている気がする。それは楽しみかもしれない。わかんない。もう考えるのはやめよう。
というわけで、複雑な乙女心でした。
追伸:ミスチルのファンじゃないけどミスチルの本を買ってみました。おもしろかった。桜井さんは脳梗塞を患った時、「物事を判断する視点が、たかが病気をしたくらいでガラッと変わるのだけは嫌だった」そうです。そういう考え方もあるんだな。