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やめることって、勇気がいる
わたしはいつも、
やめることは、
続けることよりも勇気がいる
と思っている。
「やめる」という行為
それを、なんだかマイナスに思って
しまっている人が多いように感じる。
やめるのって、続けることよりも、
はるかにはるかに勇気がいることで、
ときにはとっても大切なことなのだ。
わたしがそのことを身をもって
実感した出来事を、
今回はすこし書こうと思う。
大学1年生のとき
コロナ禍で上京するのが
遅れてしまっていたわたしは、
いろいろなサークルを見て
なにに自分は入ろうかと、
とてもわくわくしたきもちでいた。
そして見つけたのが、
あるダンスサークルだった。
からだを動かすことが
とてもだいすきなわたしは、
キラキラと眩しすぎる笑顔で
楽しそうに踊っている人たちが映っている、
そのサークルの紹介写真を見つけた瞬間に、
楽しそう!わたしもやってみたい!!
という想いでいっぱいになった。
まだやったことがないこと、
楽しそうなことに、いつも思わず
わくわくしてしまうわたしは、
そのサークルに入ることを
そのまま決めたのである。
そして夏になり、
わたしもようやく
上京できたタイミングで、
サークルの対面練習がはじまった。
毎週月、水、金の
19:00〜22:00というスケジュール
わたしはこれを知ってはいたのだけど、
高校生のときは週6で
部活動をしていたものだから、
これは少ないほうだと思っていた。
しかし、それは大きな間違いだったのである。
コロナの影響もあり新歓は夏に行われ、
サークルにみんなが入ったときには
すでに、新学期から約半年経ってしまっていた。
そのうえ、
“初心者多め!”
ということばに
ほっとして入ったにも関わらず、
なぜかわたしたちの代だけ
ダンス経験者がおおかったのだ。
からだを動かすことが好きだとは言っても、
決して得意なわけではないわたしは、
上の練習時間に加えてさらに
“自主練”というものにも、
多くの時間を費やさなければ
いけなくなってしまったのである。
また、夜の19:00~22:00とは言っても
毎回練習場所は異なるため、
家に帰ると23:00を過ぎている、
なんていうこともざらにあった。
ちょうど一人暮らしを
はじめたばかりだったわたしは、
夜おそくに家につき、シャワーを浴びて、
洗濯をして、課題をして、
気づけば24時なんて
とっくに過ぎてしまっている、
そんな生活をしばらく送っていた。
夜おそくまで起きることも
苦手だったわたしは、
とてもじゃないけれど、
そんな生活に耐えられなくなっていった。
わたしはただ、
“楽しそう!わたしもやってみたい!!“
という自分のわくわくに従った
だけだったのだけど、周りの人たちは、
“大学生活、ぜんぶサークルにささげます!!”
というような熱い想いを抱いている人も多く、
その自分と周りの人たちとの温度差にも、
すこしずつ耐えられなくなっていった。
サークルの人たちの人柄は
すごく好きだったのだけど、
“夜おそくまでの多忙すぎる練習スケジュール”
“サークルに対する
自分と周りの人たちとの温度差”
この2つにどうしても
耐えられなくなってしまった
わたしだったのだが、
「サークルをやめたいです。」
なんてそんなこと、
到底言える雰囲気では
なかったのである。
なぜかというと、
そのサークルは100人くらいいる
おおきなサークルだったにも関わらず、
なんと辞めている人が1人もいなかったのだ。
引退していく先輩方も、
引退式ではみんな揃って
「やめたいと思うときは必ず来るとは思うけど、
でも、最後まで続けてほんとうによかった!!」
という言葉を口にする。
やめにくい。。
やめたいなんて言えるわけがない。。。
ずっと、そう思っていた。
でも、そう思いながらも気づいたら
親に電話をかけてしまい、
毎日相談しては泣いてしまう、
そんな日々をくり返していた。
そして、そんなある日のこと
わたしはふと、
わたし、いまの自分のこと、
ぜんぜん好きじゃない。
そう思った。
やめたいのに、
正直にやめたいと言えない自分
周りからどう思われるのかを
気にしてしまっている自分
毎日つらいのに、
それに気づかないふりをしている自分
ぜんぶ、ぜんぶ、好きじゃない。
このままじゃもっと、
自分のことがきらいになる。
そんなの、ぜったいにだめだ!!!!
ふとそう思ったわたしは、
気づいたらサークル長に
サークルをやめたいという旨を
LINEで伝えていた。
わたしはそのままLINEで
おわってくれると思ったのだが、
なんとサークル長から、
「学校で直接話したいんだけど、
明日会えないかな??」
というメッセージが届いたのである。
わたしは次の日、
意を決して学校へと向かった。
そしてサークル長を発見し、
彼の前に座った瞬間に、
思わず緊張からか、罪悪感からか、安心からか、
気づいたときには涙があふれて
止まらなくなってしまっていた。
そして、なんとか自分なりに
「サークルをやめたい」という旨を伝え、
無事にサークルをやめることができたのだった。
わたしは彼と話しおわり、
大学の外にでたとき、びっくりした。
世界が色を取り戻したかのように、
一気に鮮やかになったから。
ぜんぜん、心がちがう。
やっと、自分の心を取り戻した。
そんな感覚に、一瞬にして襲われた。
わたしはそのまま
1人でケーキを食べに行き、
そこからの生活は心のゆとりを
ようやく取り戻したのか、
ほんとうにほんとうに
充実したものになっていった。
でも、もしわたしもあのまま
最後までサークルを続けていたら、
「やめたいと思うときは必ず来るとは思うけど、
でも、最後まで続けてほんとうによかった!!」
と、引退式で言っていたのではないかと思う。
だって、続けていたら
必ず波はあるものだから、
楽しいときがあればつらいときもくるし、
最後はいままでのぜんぶに対して
「いろいろなこともあったけど、
この道を選んでほんとうによかった!!」
と、できればプラスに捉えたい、
そう思うのが自然だと思う。
わたしもあのサークルに入ったことを、
決して後悔はしていない。
だって、いまでもすごく頻繁に会う
だいすきな友だちとも出会えたし、
自分ってこういうのが向いてないんだなあ
ということにも、
ちゃんと気づくことができたから。
大切なのは、
“やってみたいと思ったことも、
実際にやってみないとわからない“
“いざという時は逃げてもいいし、
それは決して悪いことじゃない“
この2つだと思う。
もちろん、なにか一つのことを続けることは
すごく尊いことだと思うし、
とっても大切なことだとも思う。
でも、
楽しそう!やってみたい!と思ったことや、
ずっとずっとやってみたいと思っていたことを
実際にやってみたら、
あれ?なんか思ってたのと違うかも、、
もう耐えられない、逃げだしたい
となってしまうときもあると思う。
でも、それはやってみないと分からないから、
とりあえずやってみたい!と思ったことは
やってみるということも、わたしは
普段からとても大切にしながら過ごしている。
そして、もしやめたいと思ってしまったとしても、
それは決して悪いことではないし、
自分のために逃げたってかまわないのだ。
そんなときのために
やめるという選択肢があるのだと思うし、
そのほうがきっと、ずっとずっと勇気がいる。
でも、1回やめてみたけれど
もしまたやり直したいなあと思ったら、
そのときはもう一回、形を変えながら
やり直してみてもいいんだと思う。
やりたいことなんてどんどん変わっていくし、
だから、そのときそのときで自分が
やってみたい!楽しそう!と
心がわくわくすることを大切にして
過ごせたら、それで十分なんだと思う。
いろいろな考え方があるとは思うけれど、
わたしはいつも、こう思いながら生きている。
自分の中のどんな想いにも、
どうか気づかないふりをしないでほしい。
わたしがあのとき学んだことが、
1人でもおおくの人の役に立ちますように🕊