#6 もはや、基礎を学ぶ必要はなくなった
詰込みで学んだ囲碁
私が子供の頃に習った環境では、囲碁の教え方は画一的だった。「教える」というよりも、とにかく基礎を繰り返しやって、自分で感覚を身に着けろ、という風潮だったように思う。
今思うと、明らかに基礎とは思えないような内容も、どんどん詰め込まれていき、「なぜ?」「どうして?」と思っても、「そういうものだ」と言われて終わった。「覚えてしまえばいい」「そういうことは考えなくてもいい」とも言われた気がする。当時の勉強の教え方と同じで、詰込み型が良しとされていたからだろう。今の私なら、「なぜそうなるのか」と食い掛っていきそうな気がするが、小学生の私には、大人に反発する選択肢は浮かばなかった。
探求心があれば…
余談だが、私がもし、このときの「なぜ?」「どうして?」を自分で追及するような情熱を囲碁に持てていたら、もう少し上達していたように思う。当時は囲碁も、勉強も、言われたことをただ一生懸命やり、それをこなすのに精いっぱいで、疑問を感じる余裕もなかった。教育現場で現在は大事だといわれている「探求心」「主体性」みたいなものが足りなかったと、大いに反省している。
学び方が選択できる時代
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