かわいいなんてやったもん勝ちの非合理だから、物わかり良い顔して諦めなくていいんだよ
「かわいい」のために、どう考えても合理的じゃないことをする人っているよね。
学生の頃、怒られるとわかっていて校則違反をしていた目立つグループ。
「そんな短期間の合間を縫ってハジケる!?」みたいなスパンで髪の毛を染める学生。
絶対寒いのに、「かわいいは我慢」と言って防寒より優先されるファッショナブルな服装。
理屈で考えればわかるのに。どうしてわざわざそんな無駄をするのか?
そう思っていた時期が、私にはあったし、そういう考え方の友達もいる。
だけどそこに少なくとも私には少なからずあった。
「うらやましい」という気持ち。「自分がやってもなぁ」みたいな諦め。それを、そっと物わかりの良さに隠していた。
やってみたかったけど、やらなかった。だって、やってもあの子たちみたいになれる気はしないから。後ろ指をさされるのも嫌だし。かっこ悪いし。
今は、当時ならきっと抑え込んだ、そんな無駄なことをしている。
興味があったけど、「花魁は…」と思っていた体験とか。
超短期で入れたインナーカラーにハイライトのヘアカラーとか。
「落ち着けよ」と言われるかもしれないし、いい大人でもある。後ろ指の指され方で言ったら、今の方が指されるかもしれない。
だけど、やってみてわかった。
楽しい。
やっぱり、「かわいい」は、楽しい。
何の意味があるの?って言われたら、何もない。
だけど、「かわいい」それだけで意味がある。そんな、非合理な合理。
「大人だし」。そんな風にまた、物わかりよくあろうとする自分はいるけど、「自分が指されて耐えられるレベル」や「大丈夫ライン」もわかっている。
「うらやましい」「やってみたい」…そう思っているのに、それを「かっこ悪い」と言い換えている自分を受け入れて、「私なりにやってみよう」ができるようになったら、本当に楽だし、楽しめることが増えた。
そりゃ、思う。
もっと若い時にやっておけばよかった!
絶対あの時期にもっとやっておくのがよかった!
遅いんだよな。いろいろ。興味を持つのが遅すぎる。
でも、しょうがない。自分の気持ち、認められなかったんだから。認めていても、そんな状態だったから、多分あの時期はその挑戦に負けていた。
別に悪いことじゃないのに、誰かの価値観に合わないからって言われる無責任な言葉に、多分あの時の自分じゃ耐えられなくて、楽しみ切れなかった。
だから、言いたい。
もっと、今を振り切っても大丈夫。
とっても慎重だからね。
多分ね、ここまで読んでくれている人もそうだと思う(笑)
だから、言いたい。
今から、振り切っても大丈夫。
きっと取り返しのつかないことにはならない。
法律と良心の咎めるところでなければ、自分の責任の範囲でなら、何を楽しもうと大丈夫。
「やっちゃだめ」の自分の中の声を、もっと精査してみて。
自分の興味や思いに、蓋をしてしまわないで。
「びびってたけどこんなもんか」「次はもうちょっとこんな風にやってみよ」「もう次からは良いや」「やっぱりかわいいー!!」
その先の展開が、ちゃんとあるから。
とりあえず、私はこのヘアスタイルで幸せに年末年始送ります☺