消費物にされたくない
最近、精神疾患があることをYouTubeなどで公表する芸能人をちらほらと見かけるようになった。
というか、公表する人が一気に増えたような気がする。(あくまでもわたしの感覚だけれど)
コメント欄を見ると
「わたしも同じ境遇にあるので勇気がもらえました」
「病気を隠さずに頑張る姿がかっこいい」
と、とても肯定的なコメントがずらりと並んでいた。
もちろん、批判的なコメントも多く見受けられた。有名税と呼ばれるものがこれか、なんて思いながらさっと目を通した。
まぁそもそも、病気や障害に関わらず、人が人のことをあれこれ言う権利はないし、言われる筋合いもない。
公表するもしないも自由だし、でもそれに対して肯定されたり叩かれたりするのが今の世の中であることは間違いない。
それを踏まえたうえで公表している(はず)なのだから、わたしを批判するな!と言い返せばそりゃあネット上はさらに大盛り上がりだ。
ふとわたしは、自分の病気をなぜ大っぴらに公表しないのか考えてみた。
わたしの知り合いの中でも、うつ病を公表している人は何人もいるというのに。
その人はみんなから励ましの言葉や温かいメッセージをもらい、生きていることにハナマルをもらっているというのに。
なぜわたしは一部の人にしか言えないのだろうか。
なぜわたしはみんなからハナマルをもらえないまま、劣等感を拭うために自分を追い込んでいるのだろうか。
言ってしまえば楽になれるかもしれないのに。
言ってしまえば誉められるかもしれないのに。
なぜだろう、なぜ言わないんだろう、
なぜ人を選んでしか言わないんだろう、
逡巡する日が続いた。
そんなとき、一冊の小説に出会った。
凪良ゆう『汝、星のごとく』だ。
とてつもない小説なのだが、ここでは内容を割愛する。いつかこの小説について語り合える人に出会いたいものだ。
読後わたしは、なぜ自分が病気を公表しないのか、
答えが見えた気がした。
現在進行形のわたしの病気をだれかの消費物にされたくないから、だ。
わたしが公表すればだれかがだれかとその話をするだろう。
それが賞賛なのか、批判なのか、それは分からない。
でも次の日にはきっと、わたしの苦しみは多くの人の記憶から泡のようになくなって、音を立てることもなく消え去ってしまう。
わたしの病気は、お菓子みたいにつまみ食いされて、そしてなにも残らず、わたしのこころ以外のこの世から消え去ってしまうのではないか、と。
わたしはだれかに消費されたくない。
いまはまだ、消費物になりたくない。
病気を自分の肩書きにもしたくない。
自分をブランディングするための病気なんてまっぴらごめんだ。
わたしは、わたしみたいになってほしくない人にだけひっそりと伝え続けるのかもしれない。
こんなことを言いながら、
いつか自分のブランディングのために病気を使う日が来るのかもしれないけれど。
そのときはまた、心境の変化を記してみよう。