今日わたしは28歳になった。 うつも摂食障害も何も変わっていないけれど 年齢は重ねていくらしい。 今朝起きると、ダイニングテーブルの上に紙袋が 置いてあった。 夫からのプレゼントだった。 実はここ3週間ほど、夫とろくに会話もせず 顔も合わせていない状態だった。 それで今年の誕生日はほんとのほんとに孤独だ、と 思っていた。 お祝いしてもらいたいような、嬉しくなるような年齢でもないけれど、それでもやっぱり誕生日は特別な日になったら嬉しい。 写真に残したくなるような出来
最近、精神疾患があることをYouTubeなどで公表する芸能人をちらほらと見かけるようになった。 というか、公表する人が一気に増えたような気がする。(あくまでもわたしの感覚だけれど) コメント欄を見ると 「わたしも同じ境遇にあるので勇気がもらえました」 「病気を隠さずに頑張る姿がかっこいい」 と、とても肯定的なコメントがずらりと並んでいた。 もちろん、批判的なコメントも多く見受けられた。有名税と呼ばれるものがこれか、なんて思いながらさっと目を通した。 まぁそもそも、病気
ふと思ったこと。 わたしは他人の幸せが苦手だ。 自分と比べては、わたしは不幸だ、あの人になりたい、 あの人が羨ましい、妬ましいと思ってしまう。 Instagramは最悪だ。 頼んでもいないのに、他人の幸せをおすすめしてくる。 本当はわたしも、だれかの幸せを自分のことのように喜べるような、そんな人間になりたい。 綺麗なモデルさんを見て、わたしも努力してみよう!と前向きに捉えてみたい。 奥様たちが作るお料理Instagramを見て、参考にさせていただこう、素敵なお料理
最近なんだか調子が悪い。 心臓が苦しくて、うまく息が吸えない。 胸のあたりが痛くて、ぎゅーっと締めつけられる。 理由を自分なりに考えてみた。 まず、体重が増えてしまったこと。 1月半ばは26.7キロだったのに、今は30キロ目前。 数字が怖くて、何ヶ月も前から楽しみにしていた、早めの結婚記念日のディナーもキャンセルした。 娘とゆっくり向き合えない罪悪感が消えないこと。 はやく!と今朝も叱ってしまった。 娘は娘なりに一生懸命お片付けしていたのに。 何も考えない、何もしない
大学時代、わたしは付き合っている彼とごくごく一部の友人、母親にしか病気をカミングアウトしなかった。 それはきっと、特別視されるのが怖かったのもあるし、なによりも「みんなが思うわたし像」を貫きたいという思いがあったからだ。 お気楽で自由で悩みがなさそうな、 そんなわたしでありたかった。 大好きなサッカーを観て、泣いて、笑って、 好きなことのためになら時間もお金も惜しまない、 そんな気ままな姉さんでいたかった。 出産後、ひょんなことからInstagramのDMを交わし始めた友
立たぬ、歩かぬ、喋らぬ、の三拍子揃った娘。 もうすぐ1歳2ヶ月になる。 そんな娘が今月頭から、大きな一歩を踏み出した。 保育園デビューだ。 転居の都合により、4月入園の申し込みは間に合わず、今は一時預かりを利用している。今月半ばには、5月入園を考えている人向けに、最新の保育園の空き情報リストが市から公開される。 娘はひとまず、今月と来月は一時預かりさん。 5月から正式にどこかの園に入園するか、今の園での一時預かりを継続していくか、夫婦と娘で話し合い中である。 保育園の話
おなかに小さな命が宿ってくれたそのときから、わたしは母になっていたのだが、実感として母親の自覚が芽生えたのはもっともっと、あとのことだ。 妊娠中はもはや、母親の自覚はなかったと言っても過言ではない。 もちろん、大切な愛おしい命を自分が守らなければ、という意識は強くあったけれど、わたしは「わたし」でしかなかった。 出産とは不思議なものだ。 妊娠中は一心同体でどんなときもわたしの中にあった命が、外界へと飛び出してくる。 母と娘という、2つの個になる。 個になったというのに、
母乳神話、という言葉を聞いたことがあるだろうか。 わたしがこの言葉を知ったのは、恥ずかしながら、出産後だった。 妊娠中から少しずつ母乳らしきものが出ていたし、 出産後はそのまま問題なく母乳育児ができると思っていた。 しかし、現実はそう甘くなかった。 「母乳をあげてみましょう」と助産師さんが赤ちゃんを連れて病室にやってきた。 まだまだアドレナリンが出まくっていたわたし。 「よし、頑張ろう!楽しみだな〜」なんて思いつつ、いざ授乳。 ところが赤ちゃんがうまく吸ってくれない。
「逃げ」=悪、ズル、負け、恥 そんな概念に勝手に縛られながら生きてきた。 こころと体が悲鳴をあげても、まだやれると信じて やりきることが正義だと思って生きてきた。 頑張ること、やりきること、逃げないこと。 体力と気力を使い果たしてはじめて、眠りにつくこと。 余裕なんてつくらずに、手帳を予定で埋め尽くして真っ黒にすること。 これがわたしの普通だったし、今も意識しないとこうなってしまう。 マタニティ期間は、わたしの人生史上最高に「何もしない」ことを全うしていたと思う。 (
わたしは、いつでも死ねるように、いつ死んでも大丈夫なように、スマホのメモに遺書を残している。 そんな大した内容のものではないけれど、 想いを伝えたい人へのメッセージを残している。 「死にたい」と泣きながら訴えても、 「死んじゃいけないよ。家族がいるでしょう」 と医者に言われる。 「子どもを産んだだけか。無責任なやつやな」 と罵られたこともある。 そのたびにわたしは、 はいはい、分かりますよ。あなたたちの仰っていることは。正義を振りかざせばいいと思ってるんでしょ。 と、笑
わたしのこころのコップは、もうすぐ溢れそうな、そんなギリギリのところにある状態だ。 あと一滴が落ちてきた瞬間、ドバドバと中身が溢れ出して止まらなくなる。 その一滴は、なんてことないことなのだ。 日常の中で起こりうる、本当になんてことないことなのだ。 ペンを落とした、普段より10分遅れて家に着いた、時計を忘れた、ミルクをこぼした… 育児と家事をしていれば、いや、生きていれば、いくらでもそんなことは起こる。頭では分かっている。 「そんなときもある」「誰にでもミスはある」「なんて
妊娠中、とあるクリニックで投げかけられた言葉だ。 たしかにわたしの体重の増加不良は明白だった。 でも信じて欲しかった。 わたしは赤ちゃんが欲しかった。 赤ちゃんに会える日が楽しみで仕方なかった。 お腹が大きくなっていって、胎動を感じられる日を心待ちにしていた。 でも、体重計の数字が怖かった。水を飲むことさえできなかった。100㎖の水を飲んで100g体重計の数字が増えることが恐怖だった。 1日に何度も何度も体重計に乗り、数字に束縛されていた。 赤ちゃんのために食べないとい
夕暮れどき、夜が近づいてくると動悸がする。 今日もまたわたしはダメな人間だった、眠れぬ夜がまた来るんだ、朝が来るのをじっと待つんだ。 早く朝になってほしい、生まれ変わっているかもしれない。 朝が来ないでほしい、またダメな1日が始まってしまう。 行ったり来たりするわたしの思考。 そして、眠れぬまま朝が来る。 あぁ、こんなにも死にたいのに生きながらえている。 今日も生きなくてはいけないのか…そうやってわたしの1日は始まる。 こんな感情で暮らす日々だった。 今もまだ、この感
はじめての執筆。 わたしのもっているもの、感じていること、心の中をオープンにすることになんのメリットがあるのか考えているうちにかなりの時間が経ってしまっていた。 わたしはいわゆる"普通"のココロよりマイナスのところで生きていると思う。だから、同じくココロがマイナスになっている人の道を照らし導くような文章は書けないし、プラスの感情をもたらすことは難しいだろう。 それでも、書いてみようと思う。 わたしがわたしであるために。 いつの日かのわたしが、今のわたしに"あのときは苦し