気が滅入ったら、気をそらすことで、気が晴れる。
気をそらす、ってのは幸福論の伝統芸である。モンテーニュはさる女性から悩みを話された時に、このテクニックを使っている。悩み語を聴きながら、少しずつそのことと関係はあるが少しずれた話題へを会話を運んでいき、しまいには悩み事とはまったく関係のない話題まで進んでいった。すると女性は晴れ晴れとした顔をしていた云々と。
悩んでいる当の事柄から気をそらすと、いつしか悩み事を人は考えていないのであり、すると気も晴れるのである。気をそらすことから気が晴れることへとつながっていき、不幸なる思いにくよくよすることが減り、自分のしたいことやすべきことへと気持ちを切り替えることができるのである。
ある時モンテーニュ自身がこの方法を駆使している。彼は何かの悩み事を抱いた。しかしそればっかり考えるとどうにもこうにも滅入ってしまうので、気をそらすようにした。どうしたのか。モンテーニュ曰く、恋をしたのだ。恋すれば相手の事ばかり考えるものだから、悩み事に悩み苦しむこともなくなるのである。気をそらすことによって気が晴れるのである。悩みそれ自体は解消されないが、それでもなかなか解決できない悩み事ばかり思い煩って、意気消沈して、時には身体症状すら出て、やる気がなくなって、したいこともすべきこともできなくなって、時間が徒に過ぎ去って非生産的になるくらいならば、気をそらすことによって、不調な気分が幾分でも和らいで、それですべきことやしたいことに励んだほうが、どれだけ建設的か知れないのだ。
こういったことは多くの幸福論者の芸風である。ラッセルは、ピューリタン的教育を受けたので、自らを罪深い存在だと思いつつ生きてきた。だから彼はいつか自殺しようと常に考えていた。そのラッセルが幸福を得たのであるが、その方法とは、自分の事をあまり考えないこと、自分の外部の事柄に没頭するようにすること、である。これも自分の内面から気をそらすことであり、そうすることによって気が晴れるのであり、そうして建設的な事業に参加することができるようになるのである。こういったことはアランも主張するところである。
ヒルティもこの方法を使っている。彼は言う。自分がちょっと不調にある時は、そのことについてくよくよ考えるのではなく、あまり気にしないで自分がしたいことやすべきことに一生懸命励むがよい、すると最初の不調な気分もいつか解消されているであろう、と。
だから、何か気が滅入ることがあったとしたら、気をそらすことによって気が晴れる、ということを自分で経験してみるといいだろう。より建設的な日常生活を送るためにも。
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