人の話を聞くことは、音が耳に入ることでは無い。【子どもとのやりとり備忘録】
昨日息子(小4)が算数の文章題を間違えていた。計算と答えのみを知ろうとしていたので、「文章の意味をよく呼んで」と言った時の話です。
人から何かを指摘された時、
自分の中の思い付きや、過去の経験から答えを導き出そうと、相手を全く見ないことが息子はよくあった。(「分からない自分」が表出するのが怒られる可能性もあるし、自分自身も嫌なんでしょうね。リスキーですもん、たぶん私もそうしたことがあります。)
会話の時の答えのカギは、(既に知っている自分の脳内より)相手の中にあることが多いので、自分の頭の中ばかりを探しても分からないまま迷路に入り込んでしまうことがよくあった。(空手など習った時にはその「聞かない様子」に見える態度に毎度先生が怒ってしまうなど、お互いとてもストレスで問題になってしまっていた。)
よく言う「人の話を聞きましょう」は、「音が耳に入ること」ではない。
一旦自分の考えを止め、おしゃべりも独り言も一旦止める。
相手の話の内容、相手は「なぜ」「どうしたいのか」「なにを伝えたいのか」(それが分かれば文法は雑でもいい。)目線に注目し、どんな表情をしているか、口調の速さ、身振り手振りそれらの感情に注目して、集中して「心」を聴く。
「文字」や「単語」を覚えれば『わかる』のでは無い。その向こうに、書いている人の心を『読む』のです。
昨日の問題の答え合わせをする前に息子に伝えておきたい。答え合わせをしてしまうと、記憶が塗り替えられて分からなかった時の状態をうやむやにしてしまうことがよくある。
自分の「ここができてない、分からなかった」ことを恐れず見つめてよく知ることで正体を見極め、自分が解決する力をつけて欲しい。
自分に力が無いのでも無く、出来ないことで責められない環境であることを信じて欲しい。
そのために私も安心して信じられる環境を作ることを、ここに約束しようと思います。