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人は意思があるから、言い方を変えればノーがイエスになってしまう。ゆえの節度

先月に、行動経済学は最強の学問である(昨・相良奈美香)と、働くということ「能力主義」を超えて(作・勅使河原真衣)の2つの本をつづけて読みました。

どちらかというと、「最強」も「能力」も、男子がわーきゃー言いやすい話題ですが、どちらの本も女性の作者で、最強のスキルと、スキル越えの思想(ある種の最強)を語るものだったので、セットで読みたいなと思っての読書でした。

結論からいうと、両者に補完し合うような内容ではなく、僕の見立てては大外れであったものの、どちらも興味深い内容でした。

行動経済学は、経済学と心理学の複合的なモノで、なぜ人は客観的に見ると不合理な選択を、良いと思って選択してしまうのかが、現行で発表されている様々な理論で説明づけられていて、まさに「やらかす理由の大図鑑」と言える本でした。

能力主義を超えての方は、能力という言葉の観測不可能性と、その魔力的な魅力について深掘りしながら、その能力を活かした競争を「働く」という現場に持ち込む危険性を、わかりやすく説明してくれる本でした。

2つを合わせて読んだ上で言えることは、どの立場てあっても人は惑わされやすい。ゆえに知性を持って冷静に判断していこうぜ。って事かなというのが感想です。能力は最強でも、使い続けた結果が不幸なら意味がないので、上手な扱いが求められるという事です。

そんな中たまたまXで

Noを言われた時に、あれ、言うこと聞かないぞ、言い方が悪かったかな?というテンションであれこれ言い回しを変えてみたりする人に対して、相手を装置かなんかと勘違いしているのでは(人扱いしてないのではという意訳)?

と言った批判をしている投稿を見つけました。

まさに行動経済学がその、意思ゆえに言い方を変えればノーがイエスになってしまう原因を探究していました。(逆に装置だったら言い方変えてもノーはnoなので)

そして、そんなスキルを持っている人に、意思を操作されてしまったり、反して意思を通した結果としてあらぬ結果が出てしまう(よく、違和感とかモヤモヤというもの)事が事実としてある。なんなら全く能力が作用しない相手に対して悲惨な関係破綻を生み出すことさえある。

ゆえに能力の使用と顕示は節度を持ってやっていこうぜというのは、力、能力や、立場あるゆえに、考え方として律して超える必要がある、能力使用者の倫理です。

加えて言えば、能力を受けた自分が、違和感やモヤモヤや嫌悪を感じたととして、それは自分自身(受けて側)が悪いわけでは無いんだよという事だけは、ハッキリと明示しておきたい。

つまりは「言い方を変える」能力を使う側の人は(男女問わず)、Noを言われた時に、あれ、言うこと聞かないぞ、言い方が悪かったかな?と思っても、能力を使うかどうか一旦落ち着いて考えよう。能力を使って説得したその先には良い未来が無い可能も忘れないでね。
っていうのが、2つの本から僕なりに学んだ、ひとつの答えでした。


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