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読書を許す

なぜ読書だけは生産的でなくてはいけないのか?
他の情報取得より高尚でなくてはいけないのか?

「毎年100冊読む」なんてレベルではないですが、家の2つの小さな本棚が溢れれきた程度の読書好きが、最近になって本の読み方を再発見したので書いていきます。

ビジネス書、自己啓発、推理、自叙伝、ルポ…

紙媒体、デジタル、音声読み上げ…

速読、熟読、斜め読み、積読、つまみ食い…

線を引く、付箋を貼る、折り目をつける、ノートに纏める…

色々な本を読んだし、
色々な「読み方」も試してもみました。

楽しいし、勉強になるし、本は子供の頃から好きでした。
そのはすが、気付けば本を読むのが苦痛になっていました。

最も意識が高かったときの私の読み方はこうです。
①目次と著者に目を通し
②速読よろしく本をざっと何度も読み
③熟読し
④線を引き
⑤線を引いた箇所を読み返し
⑥章ごとにマインドマップに纏め
⑦マインドマップを毎朝読み返す

説明を読むだけで疲れてきます!!
もはや読書は、
タスクと化していました。
タスクを課していました。

普段から真面目に馬車馬の如く働いているのに、
余暇すら働くとは、休むことを怠けています。とんだ不真面目者でした。

悶々として辿り着いたのは
「読み方を決めない」という読み方でした。

雑食、あるいは、乱読という読み方です。

初めから読まずに気になった途中部分から読む、
つまらない章は飛ばす、
飽きたら辞める、
別の本を読む、
なんならYouTubeを見て気分転換、
Kindleのマンガの隣にあった読み途中の本を見つけて読み直す、
線が引いてあって途中まで読んでたんだと気付く、
通勤時暇だから挫折してたデジタル本を読む、
散歩がてらナレーションで本を聞く、
もはやラジオ代わりに皿洗いながら聞く、
寝る前に色々考えないように流しっぱにする、
もはや聞いてないくて寝落ちする。

ブログに書く、
友達にプレゼントとして贈る、
紹介するために言語化する、
心の中に留める、
読み返す、
読み返さない、
ふと思い出して頭の中で反芻する、
よく分かんなかったから忘れる、
途中まで書いてた何冊目かの読書ノートに纏める

その時の好きな読み方をするようにしました。

「読書は生産的でなくていい」と
自分を【許した】と言ってもいいでしょう。

Youtubeは流しっぱでよくて、
TVドラマは途中で挫折してもいいのに、
読書だけは「生産的でなくてはならない」という制約を無意識に課していたのです。
楽しんでこその趣味。ここで楽しまなくて、ここで我儘にならなければ、私たちはどこで我儘になるのでしょう?

そう気付けたある日、久しぶりにするする本が読めた気分になりました。
時間を忘れて本の世界にのめり込めました。
読書がまた好きになった。

共感して、
驚嘆して、
感嘆して、
感動して、
感心しました。

最近の流行りはAudibleです。
ナレーターが本を読みあげるサービス。で、
性質上、多くの書籍はないですが、
「読んで集中しなきゃ」という仕事感もないです。
家事しながらでも聞けるし、通勤中も聞けます。

しかし、カフェに座って聞き続けるというのは基本できません。
私はナレーションを聞いているつもりでも、
他のお客さんからは、1〜2時間虚空か壁を見つけているだけの変わり者です。

そんな時は普段いったことない道を散歩して、
触覚・視覚に少し新しい刺激を与え続け、
聴覚で本を聞くってのが丁度いいです。
先日は気付いたら家から豊洲まで約10km聞き歩きしていました。

もしあなたが本の読み方を自分に課しているなら
「好きに読んでいい」と
自分を許してみてはどうでしょう?

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