中性脂肪やばすぎて、食生活を改革した
健康診断で中性脂肪の値がとんでもない数値を叩き出した。初めて見たがその項目だけ「F」と書かれていた。
つまり、要受診&生活指導を受けろといった趣旨の文言が並ぶ。
自分で言うのもなんだが、昔から私はやせていた。
出産前までは学生時代からひどい食生活のわりには体重が増えたこともなく、ダイエットという言葉は辞書になかった。
中学生の頃に愛読していた「non-no」で2号に一回くらいはダイエット特集が組まれており、それを見ながら「なぜ、太ってから始めるのだろう? その前からやせる行動を取ればいいじゃないか」と、「パンがなければケーキを食え」的マリーアントワネット思想で腹筋100回を日課にするほど、ダイエット界では優等生であった。
その後、筋トレせずポテトチップスを一袋夜中に完食しても、体重が増えないので、自分は太らない体質だと信じていた。
野菜といえばトマトときゅうりしか食べず、魚は居酒屋でホッケを頼むくらいしか健康に気を使わず、ビール以外のアルコールは飲めないため、ひたすらビール一択。
161センチで体重が40キロ台だった時代が長く続いた。思えば、予兆はあった。
その頃にも、中性脂肪だけは高めで、「見直せ」的なメッセージが書かれていたが、「いやいや、中性脂肪ってメタボ腹の人の話でしょ? やせてる私がそんなわけない。何かの間違いだよ」と警告を華麗にスルーした。
「年とると体重と肉が落ちなくなるよ」
「産後に体重が戻らない」
などの体験談を聞かされてもどこ吹く風。ダイエット界のハイソサエティらしく、「そうなんでごさいますのね、それは大変でござぁマスね、オホホ」と気取っていた。
「まよっこは、昔からスタイルいいし、腕とか折れそうに細いもんね」
という賞賛の言葉も10代の頃から浴び続けていた。そのたびに、「痛み入ります」とお辞儀し、「あたくしってば、何を食べても体重変わらないんでございますのよ、みなさんのお気持ちがわからず、申し訳ござぁませんことですわ」などと、口に出したら一発で人間関係をぶち壊す発言を心の中でかますぐらい、余裕ぶっこいていた。
そんな、あたくしが、なんと! 中性脂肪値300超え! 150でもなく、その倍の300!! なんじゃこりゃぁぁぁ! マリーアントワネット気取りのオハイソ婦人から一気に松田優作に転換する憂き目に遭ったわけでございます。
松田優作も松田龍平も大好きですが、ダイエット界の没落貴族としては、いささか受け入れ難き事態であることは、が想像いただけますでしょうか。
まさに、斜陽。
真の革命のためには、もっと美しい破滅が必要だ!
という太宰先生の教えのもと、わたくしは、自身の身に起きている中性脂肪値の異常値に目を瞑り、ひたすらに肉類と糖質を頑なともいえる態度で摂取し、深夜にもガサゴソとキッチンに隠れてスナック菓子を頬張り、身体を労わる形でなるべく動かず、トドのように横たわり続けました。
やがて、革命の足音は近づき、ついにその時がきたのです。
わたくしは、もはや、貴族ではなくなりました。
世の中でいう「デブ」の称号を手にし、自尊心は粉々に砕け、体重計の上で震えました。
残された道は、ただ一つ。
生活を変えること。
物理的にも重たくなった腰をよっこらせとあげ、たまらなく面倒で、やりたくなさすぎる、食事のメニュー変更と、ジム通いを始めました。
肉か丼か麺という体育会系の部活にでも入ってるのかという肥満メニューへメスを入れたのです。
・キャベツ、にんじん、ブロッコリー、冷凍したキノコ→レンチンして温野菜に
・味噌汁にはほうれん草、大根を投入
・サバの塩焼き(もしくは、しゃけ、タラなどのホイル焼き、ホッケなど)
・いんげんゴマあえ
・豆腐のキムチ乗せ
・納豆
魚を変更すること、野菜を適当に味付けして主食以外には全て入れるようにしたのです。
そして、ジムへ行き筋トレを始めました。
魚のレシピがさっぱりわからず、調べ始めたところ、今度は「食品添加物」が気になりはじめ、先ほど調味料を手作りし、私のような神経質な消費者に向けて「無添加!!!」とデカデカと書かれたコンソメも購入しました。
さすがにコンソメは、手作りを始めたら仕事は辞めたいな、と思うレベルで時間がかかりすぎるので、勤労細胞が「そこは、市販でいいんじゃない?」とささやいてきたので、やめました。
クラシルの動画に「3時間」と表示されていたんですよ。3分じゃなくですよ? 時短レシピ推奨のクラシルですら、短縮できないんですもの。料理ど素人のわたくしには、手に負えませんことよ。