「野菊の墓」伊藤左千夫
※ネタばれありますので、注意願います。
子どもが大人になる境目のころの、はかない恋を描いた小説です。
と、これだけの説明だと、私なら「きっとつまらない」と思ってしまうのですが、いかがでしょう。
ところが、大きく予想を裏切って、とても面白い本でした。
というか、なんてきれいな小説なのでしょう。田舎の景色や家、会話、寝付いている母、みんな風景におさまっています。話は長閑な子どものやりとりから始まります。
どんなに悲しい物語でも読むことはやはり「楽しい」と言わなくてはなりません。悲しいだけなら、本を読む人はいないでしょう。
冒頭で以下のような文があります。
舞台は矢切の渡し近くの農家、その家の次男と親戚から預かっている手伝いの娘の恋です。幼馴染の2人にようやく芽生えた「恋」。まだ民子15歳、政男13歳です。
ですが、女のほうが2歳年上ということでこの組み合わせは大人たちが反対するところとなります。政男は遠方の学校へ、民子は嫁に行きお産後に亡くなります。
以下の文は民子が嫁に行ったことを知った政男の心境です。
大事に思っている人が嫁いだのに、むしろ自分の心が変わらないことを楽しんで浸っています。
読んでる方は悲劇のにおいがただよって、どんどん悲しくなっていきます。
めくるたびに残りページが少なくなっていくのが惜しくて、さっさと読むことができない。眠い時や急いでいるときは読んだらダメです、もったいないから。
民子が亡くなったことを政男が知る場面では、母の言葉に感動して、昔こういうおばあさんいたなぁと自分の家族を連想していました。
ラストシーンは、野菊に埋もれる民子の墓です。
この部分は是非本書を読んでください。
翌日、政男は決然として学校へかえっていきます。
※※※※
筋書とは関係ありませんが、
古い小説を読む楽しみの一つとして、言葉を知ることが出来るというのがあります。この本では例えば「笊」です。
物語の初めのほうで、2人で茄子を摘みに行く場面があります。その中に出てきた、「笊」という字が読めなくて、前後の文章から推測しようとしましたが良い読みを思いつきませんでした。
「竹冠に爪」で検索してみたらすぐ「ざる」と読むことがわかりました。
「ざる」なら前後の文章にきれいにおさまります。なぜ思いつかなかったかと考えるに、「ざる」はもっと「ざる」らしい字であると思っていたから。あほな理屈ですが、ざるだとは思いませんでした。しつこい
「そう」というものがある、と思いつきましたが、「竿」ではない「そう」がなんで出てきたのか、本当にあるのかもわからないのに。
結果的に、「笊」は「そう」とも読むらしいので、まったくはずれてはいなかったのが笑えます。
※※※
是非よんでいただきたい一冊です。
きっと泣きながらページをめくる手を止められないでしょう。
近代古典の美しさを堪能してください。
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