硯の中の地球を歩く
青柳 貴史 著
自分が、魂を預けていることについて、何ひとつ真剣に知ろうとしていなかったな。
腹を括れていなかったからだな。
この一年は、昨日始まったばかりのような新鮮な青々とした躍動感と、もう、10年にも20年も時を経たような濃密さが同居し続ける混沌とした何かの繰り返しだったように感じる。
必死に何かにしがみつこうとしたかと言えば、
そうでもなくて。
でも何故だかわからないけれど、たくさんの糸がスルスルと垂れてきて、アレ?と何となくそれを直感で握ってみたりした。
何かを渇望しているからこそ、なのか?
それとも、視座が変化したからなのか?
紡がれた何か。
"意味付け"なんて、どうにでも出来るかもしれないんだけどね。
気になるモノって、何かあるんだよなぁ…。
筆。
これは、いろんな出会いがあって。
墨。
これも。
で、
硯。
どんなきっかけで目に止まったかは忘れたけれど、石探しから切り出しから磨きから、産むまでをひとりでやるのか。
不思議と目からウロコ的な驚きは無くて、
そう、そうなんだな、やっぱり。
って、意外にも穏やかな反応のわたしが居た。
ただ、
製硯師
この言霊は、初めて聞いた。
無性に気になった。
グズグズしがちているうちに、なんだかタイムリーにまた降る。https://note.com/may_syo_kaori/n/n73297b227ee0
で、ようやく、気になっていた一冊を自分の中に取り込む。
実は、
体も心も、エネルギー切れしていた時に、
少し横になって仮眠しようかというときに。
適当に読み流したくなかったに、何故、そんなときに無理矢理に近いテンションで一気に読み倒したのか、なんだか、よく、わからないけれど。
自分が魂を預けるモノは、
同じように、
魂を預けて産まれたモノなんだ。
書かれている内容をいくらでも要約して、
簡易に伝えることはできるけれど。
触って、聴く必要が絶対にあるもの。
命懸けで、異国の山奥から、
断腸の想いで自然の体に楔を入れ、
切り取り、いただいた、
魂の塊。
…に、磨きを入れる行為が、
どんかものか。
産まれてくる、カガミに
想いを馳せて、
五感全てを捧げる。