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マーヤンのこと⑤消えた波乗り

まだジョイフル本田がオープンしたばかりの頃だろうか。
常陸那珂港の開発が進んで海に防波堤が建ったときマーヤンは「阿字ヶ浦の波は死んだ」とピースをふかしながら実家へ向かうボロい車の中で言った。

阿字ヶ浦は北関東では数少ないマリンスポーツのメッカだったからだ。
昔は海無し県に住む人が夏休みになると常磐線と湊線をドッキングした「特急あじがうら」に乗りわざわざ海水浴に来るほどのものだった。
そしてマーヤンと母は阿字ヶ浦でロマンチックな出会いをした。
更にあのキムタクもプライベートでサーフィンに来ていたらしい。
神奈川の湘南に負けじと良い波が昔の阿字ヶ浦にはあったのだ。

今は引退している名物・くじらの大ちゃんは本当に泳げて体力もある剛の者しか辿り着けない難関でバタ足しかできない私には到底無理だった。

確かに小学生くらいの私は浮き輪やビート板で波乗りもどきをして遊んでいたし、人気の少ない場所でなんかの大会をしていた記憶がある。
ひたちなか出身のプロサーファー兄弟がいた話も聞いた事がある。たしか兄が癌で早逝したんだったかな…

もし私が死んだら私含め沢山の人々の思いが詰まった阿字ヶ浦に散骨して一心同体になりたい。

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