初めてのコーチングで気づいた、納得感の大切さ
今日、2回目のコーチングを受けた。2回目といっても前回は30分のお試しだったから、本格的なセッションは今日がはじめて。
終わった直後の感想は
「お腹すいた」。
それくらい頭を使ったのだと思う。セッションが終わったあとは気づきや学びをアウトプットするといい、というコーチからの助言があったので、素直にそれを聞いて書いてみることにした。
「やりたいこと探し」が苦しみの始まりだった
そもそもなぜ私がコーチングを受けようと思ったかというと、ざっくり言えば人生ドン詰まりで進む方向性がまるで見えなかったからだ。
コーチからは「お手上げ状態に見えます」と言われたが、まったくもってその通り。お手上げ、もう無理、誰か助けてヘルプミーーーーーーー!!な気持ちだった。
はい、具体的に説明しますね。
私は社会人になってから(就職したのは10年以上前の話)ずーーーっと仕事がつまらなくて、やりがいがなくて、興味がなかった。とはいえ多くの人がそんな感じで折り合いをつけながら働いているはずだし、と自分を納得させようとしたのだが、3年くらい前に「やっぱりこのままじゃイヤだ!」と一念発起した。本を読んだりYouTubeを見たりあらゆる手をつくして自己理解というやつに必死に取り組んだ。その結果、
という結論にいたった。
今思うと、これが苦しみの始まりだった。
目標を叶えるために行動したら違和感に気付いてしまった
「やりたいことが見つかった!」と息巻いた私は、それまでの(職務経歴書のうえでは順風満帆な)キャリアを捨てて、会社の公募制度を使って関連会社の広報に異動し、プライベートの時間でライティングの講座を受けた。
しかしそうこうしているうちに段々自分のなかに違和感がわきはじめる。
「もしかして、私がやりたいことはライターじゃないかもしれない」。
発注者(講座なので仮想の発注者だが)の要望に応えるために書くことにはどこか窮屈さを感じたし、「読者」という顔の見えないお客さんのために働くより、私は1対1の仕事をする方がやりがいを感じるのかもしれない。
そもそもライターになってどうしたいのか、その先を描けていない。
そんなことを考えているうちに本業のストレスもあいまって休職することになった。
「やりたいことを仕事にする」を諦めるか否か
休職して半年がたち、いよいよ働かないとまずいなと思った私は真剣に今後の仕事について考え、3つの選択肢を並べた。
「やりたいことを仕事にする」ことを諦め、ストレスのない仕事で生活を維持しながら余暇を楽しむ
ライターになるための努力を続ける
ライター以外の「やりたいこと」を探して仕事にするための努力をする
2と3を選ぶにしても生活費を稼げるようになるまでは時間がかかるから、復職するか転職するか、はたまたこれまでのキャリアを活かしてフリーランスになるという道もあった。
つまり、選択肢がありすぎてワケが分からなくなったのだ。
1を選びたい気持ちが大きかったが、「やりたいことを仕事にしよう!」という空気が流れる世の中で(私のSNSのタイムラインだけ?)そんな道を選ぶのは負けな気がした。何の勝負をしているかは、分からない。
2を選ぶためには色々な仕事に応募して実績を作っていく必要がある。何事も最初の一歩が一番しんどい。やりたいかどうか分からない仕事のために頑張るモチベーションが、正直わいてこない。
3を選ぶとすると、「ライターを目指したが仕事になる前に諦めた」という実績ができてしまう。そんなんじゃ、何をやっても同じ結果になるんじゃないか?どんな職業を選んだって結局仕事にする前に理由をつけて諦めるんじゃないか?
どうせ私は何も成し遂げられない人間なんだと、全てを投げ出しくなった。
まあこんな感じで思考は延々とグルグルし続け、考えることに疲れた私は現実逃避のため転職エージェントに登録し、塗り絵を始めることになる。
悩みの正体は選択肢の多さではなく「納得感を持てていないこと」
やばい、前置きが長くなり過ぎた。話を「コーチングを受けて気づいたこと」に戻そう。
今日のセッションは、事前に私が「今困っていること」や「大事にしたい価値観」などを書いたドキュメントをコーチに提出し、それをもとにコーチが「今こんな状態なんじゃない?」という仮説をぶつける形で進んだ。
そこで気付いたのは、私は「自分が納得すること」をとても大事にしているということ。そして、今苦しいのは選択肢がありすぎて決められないことではない。どれを選ぶのか、納得感のある根拠・理由を持てていないからだ。
「好きなことを仕事にすること」を諦めるにしたって、納得して諦めたい。
ではどうすれば納得感のある根拠・理由を持てるのだろうか。
そのためには、あらゆる角度から考え検証することが必要だと思う。
そして今の私がそのプロセスを実行するには、他者の助けが必要だ。ひとりでは同じような視点でしか考えられない。
私の「誰か助けてーーーーヘルプミーーーーー!!」という気持ちは、これだったのだ。
そしてこの「納得感」というキーワードに気付いてから、思い出したことがある。
幼いころ、母によく「あんたはほんと頑固だからね」と言われていた。
自覚はないのだが、何度もそう言われた。母に言わせると、習い事を始めるのも終わるのも全部自分で決めていたし、一度やると言ったら聞かない子だったそうだ。
これは「納得」の片鱗なのだろうか。
自分で納得したことしかやりたくない。そんな厄介なところは子供のころから変わっていないのかもしれない。なんかちょっとイヤだけど。
非日常な空間で未来を描く
そんなわけで、1時間のセッションでけっこうな気づきを得ることができた。コーチの方は信頼できると感じたので、3か月継続して受けることにした。正直安くはないので休職中の身としては痛い出費だが、まあ今までそれなりに働いて貯金してきたので、こんな時こそ自分のためにお金を使おうではないか。
そして最後にコーチから言われたことで印象的だったのは、ワークに取り組むときは、お気に入りの洋服を着たり好きなカフェに行ったりして、非日常な空間で取り組むといい、ということ。なぜなら、「自分の未来を描く」というのは、特別なことだから。
正直過去に自己理解にトライして挫折した経験があるから、「自分探しとか、もういいわ」と思う気持ちもある。でも、やっぱりモヤモヤしたまま時間を過ごすのはイヤだ。何かを諦めたり手放すにしたって、納得してそうしたい。
今度は人の手を借りて、三度目の正直のつもりで、自分に向き合う三か月にしよう。